3-2

「本当にうっとうしいよね」

「きゃ! 急に出てこないでよ!」


 古本の匂い、聞こえてくる人をからかっているようで静かな口調。

 自分が再び制服を着ていることに気付きながら、最早その聞きなれてしまった声を聞いていた。


 目の前にはムーグリルがしかめっ面をして立っており、腕組みをしてウンウンと唸っていた。

 そんなムーグリルの後ろには見慣れてしまった壁に所狭しと本が敷き詰められた本棚があった。


「こんなところで何してるの?」


 そこは『童話修理館』の夢を見たときに必ず立っている廊下だった。

 いわばそこは道子にとっての入り口なのだ。

 その入り口にその場所の管理人がいるなんて、普通では考えられない。


「最近本の虫が増えてきてさ」

「本の虫? それって本を憑りつかれた様に読んでる人のことを言うんじゃないの?」

「一般的にはね。でもここにはいるんだよ。羽虫のような姿をした『本の虫』が」


 ムーグリルは道子に顔を近づけて、怖がらせるように声色を低くした。


「怖くないし、気持ち悪いから顔を近づけないで」

「それは心外だな」


 ムーグリルは残念そうに道子から顔を遠ざけた。


「それで? その本の虫はいったい何をするの?」

「言葉通りさ。壊れた本を食べるのさ」

「食べる? それは紙を食べるってこと?」

「紙も食べるし、文字も食べる。本当に雑食すぎて困ってるんだ。壊れている本の浸食は進むし、それを直すのは道子しかいないからね」


「なんで私が公認の修理士みたいになってるのよ」

「え、違うのかい?」

「違うわよ! 認めた覚えはないわ!」

「でも君はこうやってここにやってきた」


「連れてこられたの間違いじゃない?」

「僕から君をここに強制的に呼ぶことはできないよ」

「何が言いたいのよ?」

「君は自らここに望んできているんだよ」

「そんなことあるわけないじゃない」

「そうかな? だって君はあの本を修理した後も何度もここに足を運んでいる」


 ムーグリルの言う通り、道子は『赤ずきん』の本を修理した後も童話修理館をさまよう夢を何度も見ていた。


 うたた寝の時ですらも本が敷き詰められたこのおかしな館をさまよう始末だ。

 しかし、今日までムーグリルに会うことは一度もなかった。

 本に触れようとすると、本は崩れ夢からも解放される。


「まあそれはどうでもいいし、今はそれよりもすることがある」

「本の虫の退治?」

「それも大事だけど、もっとやるべきことがあるだろう? こうやってまた道子が足を運んでくれたんだ」


 道子の頭の中に嫌な考えが思い浮かぶ。


「……修理はしないわよ」

「察しがいいじゃないか」

「そこまでおだてられたら、馬鹿でも気づくわよ」

「おお、それは頼もしい限りだね!」


 ムーグリルはわざとらしく、感嘆するように体をのけぞると再び道子のほうに顔を近づけた。


「私の話を聞いていたかしら? 私は修理なんてやらないって言ったのよ」

「そんなこと言っていたら、いつまでもこの夢から覚めることはないよ」

「……別に」

「死んでもいいというんだね?」

「……」


 果たしてこのまま夢から覚めて、このまま生きていて何かいいことがこれから起こるのだろうか? 現実で心躍るようなことどころか感情が動くようなことはまずない。


 それを考えると、この夢にずっととらわれたまま目を覚まさず死んでしまうのもありかもしれない。


「わかった! じゃあこうしようか!」


 道子がそんなことを考えると、そんな道子の心情など知る由もないムーグリルは大げさに手を叩いて、満面の笑みで道子の目を見つめていた。


「何よ」

「とりあえず修理してみようよ! それでも夢から覚めたくないっていうのであれば、僕は君がここに留まり続けても止めはしない。修理してみて、夢から覚めるというのであればそれも僕は止めない。どうだい? 悪くない提案だろう?」

「そうね……いや、待って。それって私にメリットはなくても、あなたにとってはメリットだらけじゃない」


 道子がしかめ面を作り、ムーグリルの目をまっすぐ見つめ返すと彼はドキッとした表情を一瞬見せた。


「どうしてそう思うのかな?」

「だって私がここに居続けるといったら、あなたは私を使って本を修理し放題。夢から覚めたいといっても今日修理させようとしている本は無事修理される。どっちにいっても最低は一冊の本はここからなくなるということになる。もちろん、いい意味でね」

「……ばれちゃったか」

「ほんとう考えることがゲスイわね」


 道子はあきれたようにムーグリルを見つめると彼は一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直したのか笑みをその顔に貼り付けた。


「とりあえず、こんなところで立ち話を続けるのもあれだからリビングに行こうか」

「前から思ってたけどあれってリビングなの?」

「僕が勝手にそう呼んでいるだけさ」


 ムーグリルははっはっはと笑うと、道子に背を向け奥が見えない廊下を歩き始めた。

 本当にこいつといると、感情が大きく揺さぶられる……。


 道子は大きく一つため息をつくと、行く当ても帰る場所もなかった道子はしぶしぶムーグリルの後をついていった。

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