2-12
「まったく君は……最後の最後でとんでもないことをしてくれる」
本の匂いと、やわらかいソファに触れる感覚を覚えると共に、呆れたような声が飛び込んできた。
目を開けると、ムーグリルが呆れた表情で道子を見下ろしていた。
「道子の最後の一言で今までの努力が無駄になる可能性があったんだよ」
「私は何もやってないわ」
「麻袋の中で腰をつっていた人が言う言葉ではないね」
「そんなところまで見ていたの」
今度は道子がムーグリルを呆れた表情で見上げると、ため息をついた。
「それで? 物語は壊れなかったのね。私はあなたにぶちぎれられてないわけだし」
「僕はぶちぎれたことなんてないよ。道子にはね」
「戻ってきた瞬間に怒鳴りあげてきた人がよく言うわね」
「まあそれはおいといてだ」
自分のことを棚に上げてとはよくいったものだ。
そんなことを考えている道子をお構いなしにムーグリルは話を続けた。
「あのあと、おばあさんの奇跡的なフォロー……まあ意図せずにだけど、あの子は赤ちゃんだっていい続けて、言いくるめられたんだよ。ちなみに赤ずきんは突然の腹痛で、トイレにこもっていたことになっている」
「ずいぶんとそこは雑なのね」
「童話には載らないからね。赤ずきんがおばあさんと一緒に家で団欒している時点で、狼のほうに視点は移っているんだ」
「そうよ、狼はいったいどうなったの。死んでてもおかしくないけど」
「君は本当に昔話を知らないんだな……。狼はあのあと起きたんだけど」
「起きれたのね」
「ああ、何事もなかったのようにね。ただ、当然尋常じゃない腹痛が襲ってくるわけだ。狼は老婆を食ったから腹痛が起きたんだと勘違いした。猟師の予想通り、腹が割かれたなど考えもしなかったわけだ」
「本当にあほね」
「そして重たい腹を抱えて、水場に向かった」
「どうして水場に向かうのよ」
「ここは僕の考えだけど、きっと水を流し込めば消化が早まるとか思ったんじゃないかな。ただ、本当に水が飲みたかっただけかもしれないけどね」
「そんな考え方にいたるの?」
「十分に考えられる思考回路を持っていてもおかしくないんだよ。あいつは。それで、水を飲もうとかがみこんだ狼は、腹に溜まった石の重みで深い水場に落っこちたんだ。その後、彼の姿を見たものはいない」
「赤ずきんってそんな残酷な終わり方だったの」
「そうだよ。赤ずきんは本当の原作からほとんど改変されていない本の一つだ」
「改変?」
「こういう本の修理をすると、少なからず元の物語とは少しずつ変わっていく。そしてそういうのは大体現代向けのやわらかい方向へと変わっていく」
「やわらかい方向って何よ」
「昔話の一切修理されていない本は残酷なものが多いんだよ。それをその時代の子に修理してもらっているわけだから、修正すると変わって来るんだよ」
「それは物語が変わっている事にはならないの?」
「大筋が変わっていなければ物語が変わったことにはならない。それこそ敵を論破するなんていう強制終了をしない限りね」
「相当根に持っているのね」
「そんなことないさ。だから今回は結構簡単なはずだったんだけどね」
「まるで私が失敗したみたいじゃない」
「最終的には成功しているけれど、僕からすれば失敗に近い仮成功だね」
「……私も本気で成功したなんて思ってないわよ」
道子は意気消沈し、ソファに深くもたれかかった。
「ごめんごめん、道子はがんばってくれたことは認める。それは間違いないからね」
「実感はないけれどね」
「今回で自分は変われたかい?」
「……どういうことよ」
「今回は自分が思っていることを、ずいぶんとぽんぽん言っていたように思えるけど?」
「それは、これが夢だってわかっているからよ。今だってそうよ。現実だったらこんなこと言うわけないじゃない。そんなこといったらすぐに壊れるわ。私が」
「……そうか」
ムーグリルは道子のその話を聞いて、落胆したように声を落とした。
「そうよ。これはまだ夢の中じゃない。夢のなかで夢を見ていたから、ここが現実だと勘違いしちゃったわ」
「それは君の理想じゃないのかな。それに君は別にここで寝て、夢を見ていたわけではないんだけどね」
「そんなことはもうどうでもいいわ。私を夢から覚まして。ここに来ていったい何時間たっていると思ってるのよ」
「まあ僕の条件はクリアしたわけだからね。本質的には何も解決してないんだけどね」
「どういうことよ。私のやったことは本当にただの無駄だったって事?」
「そうじゃない。これは僕のミスだ。『あかずきん』にはまだ本当の主人公が帰ってきていない。ていうかどこに逃げたのか捕まえられないんだ。だから今は仮の主人公が立てられているにすぎない。仮修理っていう状態だね。本当に修理するためには赤ずきんを本に戻すしかない」
「あなたの仕事ができていないって事なのね」
「そういわれると元も子もないんだけどね」
「でも私は本を修理したわ。私はあんな寮のベッドの上でなんかで死にたくはないわ」
「ずいぶんと卑屈な理由だね」
道子は勢いよく立ち上がると、ムーグリルを追い越して部屋の出口である長い廊下の前に立った。
「そうだね、君を拘束する理由はなくなったわけだ。そこをまっすぐ歩けば、ここから覚めることができる」
そう聞いた道子はムーグリルに即座に背を向け、廊下を歩き始めた。
「ただ、最後に一つだけ言っておくよ。君は必ずもう一度ここに訪れるよ。君は『童話修理館』を求めてる」
道子はその言葉を受け振り返ったがそこに既に部屋はなく、奥が見えない廊下になっていた。
結局こんな夢を見てしまったのはなぜなんだろう。
しかも現実に絶望しているこのタイミングで。
この夢は自分が死ぬことを恐れて自己擁護のために見た夢なんだろうか。
そんなことではない気がする。
道子は安心感の中にもやもやした気持ちを抱えながら、重い足取りでいつの間にか表れた現実への小さな光に向けて進んでいった。
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