2-10

 道子は数分、なんとか結び目がゆるくならないか試してみたが、状況はまったく変わらず結び目は頑丈なままだった。


「残る手は一つしかないけれど、この際仕方ないわね」


 道子は自分のおろかな考えにため息をつくと、上半身に力をいれさらに体を折り曲げようとした。


「手がだめなら歯でやるしかないでしょう!」


 麻袋は今にも破れそうなほど引っ張られ、それと同時に道子の横っ腹も伸びていた。


「もうちょっと……あ!」


 もう少しで紐に口が届きそうだというときに、道子の横っ腹に嫌な感触が走った。

 そしてその直後、そこに激痛が駆け巡る。

 肌に鳥肌がたち、額からは嫌なじめっとした汗がにじみ出た。


「つった……! あっ……」


 道子は苦悶の表情を浮かべ、体をよじり、それによってさらに袋は引っ張られていた。


「……ふう、死ぬかと思ったわ」


 時間にして数秒だったが、その痛みは道子の心を折りかけていた。


「ん? 眩しい?」


 痛みが治まり、冷静になるとどこかから細い光が射し込んでいるのがわかった。


「どこか破れたの?」


 体を回転させ、袋を見渡すと道子のお尻が引っ張っていた部分が、細く亀裂が入ったように破れていた。


「まあ、結果オーライね」


 道子はその亀裂から穴を広げると、そこから外に這い出る。


「ここは家の外?」


 地面に横たわりながら、目に入ったのは二度見たおばあさんの家の扉だった。

 投げ出されていたのは、家のすぐ外で森の手前だったようだ。

 道子は近くにあった木で、足を縛られていた紐をちぎり取ると、そのまま立ち上がった。


「さてとここからどうするかね……」


 おばあさんは一体どこに行ったのだろうか。


「私と同じようにどこかで捕らえられている……?」


 その可能性は低い。腹をすかせた狼が目の前の食事をわざわざ生け捕りにするなど、考えにくいからだ。


「私はおなかがいっぱいだったからお腹がすいてから食べるつもりだった?」


 道子は考えをめぐらせ、家の周りをぐるぐる回っているとどこからか視線を向けられているのを感じた。

 もしかして狼が戻ってきた?

 残念ながらいまはあの馬鹿力をもつ狼に対応する道具も力も持っていない。

 ここで戻ってこられたら、一巻の終わりだ。


「君は何でここをぐるぐる回っているんだい? もし泥棒なら僕は君を王国に連行しないといけなくなる」


 道子の前に立ちふさがったのは毛むくじゃらの狼ではなく、羽のついた帽子から長髪を垂れ流し、両手で猟銃を構えているつり目の男だった。


「私はここのおばあさんの家の孫よ」

「そんな嘘なんて誰でもつけるんだよ。でもできることなら君のような若者を犯罪者にはしたくないんだ」

「じゃあ私の言葉を信じればいいじゃない」


 その言葉はブーメランのように自分の胸に返ってくる。

 誰の言葉も信じていないのは、誰でもない道子自身だったからだ。


「じゃあ質問を変えようか。まだ何も質問していないけどね」

「あなたってよくおかしな人って言われない?」

「そんなことは初めて言われたな」


 猟師は道子の方がおかしなことを言っているような風に、首をかしげた。


「そう、まあいいわ。それで質問ってなんなの? 私には時間がないの」


 狼がここを離れてから結構な時間が経つ。 

 いつあの狼が戻ってくるかわかったものではない。


「早くしないとここの家の主が帰ってくるからかい? そうなると君は空き巣に入れなくなってしまうもんな」

「質問はそんなくだらないこと? それなら私はもういくけれど」


「違う違う。君が一体ここで何をしようとしていたのか聞きたかっただけだよ」

「それならいい加減、その銃口をこっちに向けるのをやめてくれないかしら」


 猟師はその道子の言葉を聞いてはっとしたように、構えていた猟銃をさげた。


「ごめんごめん、つい癖でね」

「物騒な癖ね」

「それで話をそらさないでくれ。ここで何をしてたんだい? もしくは何をしようとしていたんだい?」

「狼に食べられてしまったかわいそうなおばあさんをどうやって救い出すか考えていたの。あなたが信じるか信じないかは別だけどね」


 それを聞いた猟師は、何かを考え込むかのように帽子に手を当て顔を伏せた。

 そして思いつめるように顔を上げると、道子の目をじっと見つめた。


「な、何よ」

「その狼というのはもしかして酔っ払いの狼かい?」

「そうね。どうしてわかったの?」

「それなら僕がさっき撃ち殺してしまったかもしれない」


「はあ!?」

「多分森の中で倒れているんじゃないかな。いわれてみれば、あの狼お腹が膨れていたような気がするな」

「じゃああんたは主人公である私を助けに来るどころか、先回りしてたってこと!?」

「何を言っているのか理解できないけど、僕は君に今怒られるのではなく感謝されるべきではないのかな」


 道子は頭を抱えた。しゃがみこみたい衝動は必死に抑えた。

 これ以上本来のストーリーが変わってしまったら、もしかしたらもう一度やり直しかもしれない。

 いや、四度目はないかもしれない。


「とりあえず狼を探しに行くわよ」


 道子は気を取り直すと、猟師を颯爽と追い越し森に向かった。


「ずいぶんと強引で傲慢だな、君は」

「そんなこと初めて言われたわ」


 猟師は渋い顔をしながら、道子のあとをついていった。

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