2-8
途中で少し迷ってしまったこともあり、おばあちゃんの家についたのは日が暮れる寸前だった。
「まだ起きているのかしら? そもそも赤ずきんではこの後どうなったんだっけ?」
道子は首を傾げながら、ゆっくりと小さな扉を二回ノックする。
「返事がないわね」
道子は今度は少し強めにノックをした。
「どうぞ」
すると、しゃがれた声が家の中から返ってきた。
道子は恐る恐る扉を開けると、家の中に入った。
玄関の向こうはキッチンだった。使われている様子はなく、ピカピカに磨かれていた。
「寝室はどこかしら」
道子はキッチンを通り抜けた先にあった部屋の扉を開けた。
「あら、赤ずきんかい?」
そこには大きなベッドが一つ置かれていて、その上はおばあちゃんが寝ているのか大きく膨らんでいた。
おばあちゃんは顔まですっぽりと布団に被っていて、頭しか見えなかった。
「そうだわ思い出したわ」
「何を思い出したんだい?」
「いいえ、何でもないわ」
「そんなことよりもっと近くに来て、私にお前さんの顔をよーく見せておくれ」
道子はベッドに近づき、すぐ横にあった椅子にお見舞い箱を置くと、おばあちゃんであろうベッドの上を見つめた。
「ここは何て言うんだったかしら」
「あらあらかわいい赤ずきん、どうしたの?」
「そうだったわ。おばあさんの耳はどうしてそんなに大きいの?」
「お前さんの声をよく聞くためさ」
「ふーん、そう……それじゃあ……」
道子は一瞬考えるそぶりを見せた。
「どうしておばあさんはそんな獣臭いの?」
「えっ?……それはお前さんによく覚えといてもらうためだよ」
「それならラベンダーの香りとかでもよくない? どうしてわざわざ悪い印象を与える獣臭い臭いなんかにするのよ」
布団をかぶっている正体がおばあさんではなく、狼だと知っている赤ずきんは容赦がなかった。
「……そうそう、さっきまで赤ずきんのためにイノシシの燻製を作っていたのさ。たぶんその匂いが染みついちゃってるのかね」
「ふーん。それでそのおいしそうな燻製はどこに置いてあるの?」
周りを見渡しても燻製のような大きなものが置いてあるような気配はない。
確実にとっさに思いついた嘘だろう。
ほんとに他人は嘘ばっかりつく。
まあ今話しているのは人じゃないけれど。
「それは赤ずきんが来るのがあまりにも遅かったから、私が全部食べちゃったのさ」
「イノシシ一匹を? おばあさん一人で? おばあさんはそんなに大食いだったかしら」
「実は隠していたのさ。ばれたら恥ずかしいだろう?」
「そう。……まあいいわ。最後に一つだけ聞くわね」
道子が少し身を乗り出しそういうと、布団の中からじゅるりというよだれを飲み込む気持ち悪い音が聞こえた。
「私の名前は赤ずきんじゃないわ。どうしておばあさんは私の本名を呼んでくれないの?」
「え?」
「ねえ答えてよ、私の本名を。ねえ狼さん?」
その瞬間空間がゆがみ、世界が崩壊した。
「君はいったい何をやっているんだい!」
怒号が飛び込んでくる。
道子を包む光は冷たく、触れることもできなかった。
開ける視界、目の前には顔を真っ赤にして何かを叫び続けるムーグリルの姿があった。
「私疲れているの、説教なら後にしてくれる? そもそも、説教されるようなこと、なにかしたかしら?」
道子は深く息を吐きだしながら、ソファに座り込むとかぶっていた赤ずきんを脱ぎ捨てた。
「君が物語を修理できていないのに今! この場所で! いることが! 問題なんだよ! 君はこの世界を崩壊させたいのかい!?」
「そんなこと知ったことじゃないわ。あの狼がもっとましな嘘をつけばよかったのよ」
「……何があったのか、説明してもらえるかな?」
ムーグリルは冷静になったのか、前のめりになっていた姿勢をただすと、顔に作り笑いを作って道子に尋ねた。
「口がぴくぴくしているわよ。気持ち悪いから作り笑いなんて馬鹿らしいことやめて」
「話を逸らすんじゃない。いったい何があって、君はこの物語から追い出されたというんだい?」
ムーグリルは再び少し体を前のめりにしながら、左手に持っていた本を右手でつつきながらそう言った。
「ベッドに寝ているのが、狼ではなくおばあさんであることを証明してもらおうと思ったら、論破しちゃったの」
「……はあ、君は全く……この物語を知っているはずだろう?」
「ええ、知っているわ。馬鹿な主人公は狼の口車にまんまと乗せられた挙句に、最後はおばあさんだと信じ切って食べられる話でしょう? 簡単に信じるからいけないのよ。そもそもあれくらいでだまされる方が悪いのよ」
道子はムーグリルが持っている本から目を背けると、足を組んだ。
「それに私は、あんな狼なんかに食べられたくはないわ」
「それじゃあ君は逃げ出した赤ずきんと一緒じゃないか!」
「その子の気持ちもよくわかるわよ。あんなよだれ垂らした狼に何度も食べられるくらいなら、本から抜け出したほうがましよ」
ムーグリルは一瞬考えるそぶりを見せると、道子の目の前に本をぶら下げた。
「もう一度チャンスをあげよう。今度は最後まで本から追い出されずに成し遂げるんだ」
「また入らないといけないの? もうごめんだわ」
「白骨化しても、いいというんだね?」
そういったムーグリルの目は怪しく光り、それと同時に本もかすかな光をまとい始めた。
「……わかったわよ、行けばいいんでしょ。食われてくるわよ!」
「ほんとは最初からといいたいところだけど、これも今回だけだ。君がしくじったところに戻してあげよう。幸いそこまでは直ってるみたいだし」
「急に上からなのね。執事みたいな格好してるのに、中身は全くの別物ね」
道子はムーグリルをにらみながら立ち上がると、床に広がっていた赤ずきんを拾い乱暴にそれを被った。
「じゃあ、準備はいいね?」
「どうせ、いいえと答えても開くんでしょう?」
「当然だ」
ムーグリルは冷たい声でそう言い放つと、本の真ん中あたりを開いた。
一瞬真っ白なページが見えたかと思うと、道子は三度目の冷たい光に包まれた。
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