2-7

 コスモス畑を通り、森に入ると木の匂いを感じながら道子の顔を涼しい風が撫でていった。

 木々はさわさわと音をたてながら、風に揺られて気持ちよさそうにゆれている。


「本当に木ばかりね」


 地面に花はなく、道子は母親からもらったお見舞い箱の中に入っていた地図を頼りに、森の中を歩いていった。


「やあお嬢さん、いったいどこに行くんだい?」


 森の中腹に差し掛かったころ、ガラガラとした声で後ろから誰かに話しかけられた。

 警戒しながら後ろをゆっくりと振り返ると、そこに立てっていたのはにんまりと口を広げた狼だった。


「狼が二足歩行で、人間の言葉をしゃべっているなんて本当に何でもありね」

「そりゃ俺だって言葉くらいしゃべるさ」


 狼は大げさに大手を振ると、道子に一歩近づいてくる。

 道子は狼が近づいた分だけ、狼から離れる。


「逃げなくてもいいじゃないか、仲良くしようじゃないか」

「狼となんか仲良くできるわけないでしょう」

「どうしてだい?」

「いつ食べられるか分かったものじゃないもの」


「そんな失敬な。俺はほかの狼と違ってグルメなんだ。まだ年端もいかないような娘を食べるなんてことはしないよ」

「じゃあ大きくなったら私を食べるっていうことよね?」

「それは否定できないけど、それでも今は仲良くできるだろう?」

「……そうね。じゃあ仲良くなるしるしにこれをあげるわ」


 そういって道子はお見舞い箱から瓶ボトルに入った葡萄酒を出すと、狼に差し出した。


「これはいったい何だい?」

「あなたにピッタリのぶどうジュースよ。お母さんから狼に会ったらあげなさい。っていわれてたの」

「そうかいそうかい! お母さんによろしく言っといておくれ! ありがたくいただくことにするよ。これで君と俺はもう友達だね!」


 狼は大きく開いた口を、さらに横に広げ笑うと、瓶の先端を歯で噛み切り、そのまま口にくわえたまま逆さにし、葡萄酒を一気飲みした。


「野蛮な飲み方をするのね」

「ぷはー! こりゃうめえな! お嬢ちゃんは面白い飲み物を持っているな」

「それはどうも」


 狼は空になった瓶を地面に置くために、しゃがみこんだ。

 そして立ち上がろうとした狼は、どこかおぼつかない足取りになっていた。


「それれ、お嬢ちゃんは、ろこに、いこうと、してたんらい?」

「おばあちゃんちにお見舞いに行くのよ。それよりも、フラフラで呂律が回っていないけれど大丈夫?」

「らいじょうぶ、らいじょうぶ! おばあちゃんにもよろしく言っといてくれ!」


 狼の顔は真っ赤で、目が座っていた。

 そして足はふらふらとその場を回っており、体全体も一歩踏み出すごとにゆらゆらと揺れていた。


「あれー、なんらかお嬢ちゃんの姿がゆがんで見えるろ?」

「そう。それは大変ね。じゃあ私、急いでいるからそろそろ行くわね」 


 道子は狼を冷たく見つめると、背を向けおばあちゃんの家に向けて歩き始めた。


「どこに行くってんらい! もっと俺を話そうらないか!」


 後ろから数歩おぼつかない足取りの足音が聞こえたかと思うと、ドサッという音がして足音が消えた。

 ちらっと振り返ると、その場で仰向けになり遠吠えをしている狼の姿があった。


「おバカな狼さん」


 道子はそう呟いた瞬間、突然目の前の視界が歪みはじめる。


「な、なにこれ」


辛うじてそう呟いた道子は平衡感覚が失われ、あまりの気持ち悪さにその場に倒れ込むように体が倒れていくのを感じながら意識を失った。



何分ほど意識を失っていたのか。おそらくそれは一瞬で、気がつくとあたたかい誰かの腕の中で道子は目を覚ました。


「一体何をやっているんだい? 道子」


どうやら道子の体を支えているのはムーグリルのようで、いつの間にか童話の世界からこのへんてこな図書館へと戻ってきてしまっていたようだった。


うつぶせに倒れ込んでいた道子は首だけ反転させてムーグリルの顔を見ると、口角だけを上げた気持ち悪い笑みを浮かべている彼の顔があった。


「何か言いたげだね?」

「この変態」

「な!? それは心外だな! 僕が君を抱きかかえなければ本から飛び出た道子は壁に激突していたんだよ?」


そんな必死な様子で道子を抱き抱えている状況に陥った現状を説明する彼を、道子自身は冷たい視線で見つめていた。


「そんな気持ち悪い顔を見せびらかしておいてよくそんな恩着せがましいこと言えるわね」

「全く君は僕に何度気持ち悪いといえば気が済むだい」


ムーグリルは少し困った表情をのぞかせると、抱えていた道子の体を軽々とお姫様抱っこの要領で持ち上げた。


「きゃっ! ちょっと何してるのよ!」

「そんな可愛い声も出せるんじゃないか」


ムーグリルは再び柔らかい笑みを浮かべると、道子を持ち上げたまま少し歩くとソファに道子を降ろした。


「それで? どうして追い出されたんだい?」


道子はムーグリルに持ち上げられたことで少し崩れてしまった制服を直しながら、横目でムーグリルを見る。


その表情は少し怒っているようにも見えなくもなかったが、なんせさっき出会ったばかりだ。本当に怒っているかどうかは道子に判断できるはずもなかった。


「知らないわよ、狼と出会ったあと急に目の前が歪んで……気づいた時にはあなたの作り笑いが目に入ったのよ」

「作り笑いって、ひどいなぁ。僕はそんなことしたことないよ」

「嘘つきなのね」


「僕のことは置いといて。狼に出会った時一体何をやらかしたんだい?」

「どうしてやらかした前提なのよ」

「だってやらかさないと本から追い出されるわけないでだろう?」

「私はただ話しかけてきた狼にぶどうジュースを渡しただけよ」

「ぶどうジュース? ……ああ、なるほど」


ムーグリルは一瞬考えを巡らせたようだが、その後すぐに道子の方を困った表情で見つめた。


「道子、それはぶどうジュースじゃなくてだね」

「葡萄酒でしょ、ワインとも言うわね。それくらい知ってるわよ」

「わかってて狼に飲ませたのかい!?」


「そりゃそうでしょ。あのままだと食べられる可能性があったのよ? 対策くらいはするわ。まあまさかあのオオカミがあんなにお酒に弱いなんて考えもしなかったけれど」

「道子、それはお話を壊しかねないよ」

「そんな話より自分の命優先よ」

「大丈夫さ、その場面では赤ずきんが狼に食べられることは無いさ。もう一回、さっきの続きから始めようか」

「え、まだやるの?」

「当たり前じゃないか! 今のままだと何一つ解決してないだろう?」


道子は深くため息をつくと、ソファからゆっくりと立ち上がりムーグリルが開こうとしている本の前に立った。


「じゃあ今度こそは頼んだよ」


道子はそのムーグリルの声に答えることなく、再び本の世界へと吸い込まれていった。

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