2-4
「それでどうしたらここから出られるの?」
「ようやく本題に入れるわけだね」
「なによ、その私が本題を先延ばしにしてたみたいな言い方! そもそもあなたが私を驚かそうとしたからいけないんじゃないの!」
「まさか道子があんなに驚くと思わなかったからね」
ムーグリルは何かを思い出したのか、また笑いをこらえるように口を押えていた。
「……はあ。ここで言い返したらまた同じことを繰り返すだけだわ。早く本題にうつって」
ムーグリルは真顔を作り、息を長く吐き出すと大きく伸びをした。
執事服には一切しわはつかない。
執事の格好はしているものの、言動が執事とはかけ離れている。
「さて、本題に入ろうか」
「さっきからそういったじゃない」
「どうやったら君がここから抜け出せるか。ズバリ言おう。君にこの壊れてしまった本の修理をお願いしたい!」
ムーグリルは宙を漂いながら、ページをまき散らしている本を両手で指さしながら、そう言った。
「壊れてしまった本の修理?」
その言っている意味は、今までの話を聞く限りあのバラバラになっていくページを全部空中でキャッチして、それをテープで修復していくなんて言うものではなさそうだった。
「そうだ。本を修理してくれれば君をこの夢から覚めさせてあげよう」
「本を修理するってどういうこと?」
「正確にはストーリーがおかしくなっている物語を君の手で、元通りに戻してほしいんだ」
「どうやって?」
「もちろん、その本の中に入ってだよ」
本の中に入る?
それは物理的にということだろうか。
でも体をあの宙を舞っている小さな本の中に入ろうとしたならば、それこそ本は粉々に敗れて跡形もなくなってしまうだろう。
それならば精神的に入り込むということになるのだけど……。
全く想像がつかない。
「まあ、夢だから何でもありなのかしらね」
「どうかしたかい?」
「何でもないわ。それでどうやったら本の中に入ることができるの?」
「『鍵』を使ってはいるのさ」
この執事は、わからないことを平然とした顔で言う。
「本にはすべて鍵がかかっているというの?」
「そんなことはないさ。僕が手に取れば何もしなくても本はめくれる。物語のカギを持っていることが重要なのさ」
「それで、その物語のカギとやらはどこにあるの?」
「僕が持っている。というか作り出せるんだ」
ムーグリルは両手を広げると、得意げに言った。
「それならあなたが本を修理すればいいじゃない。わざわざ私が行く必要はないように思えるけど」
「残念ながらそれは僕の体質上できないんだ。言ってみれば法律で禁じられているというものかな?」
「ここをまとめて、取り仕切っている人がいるの?」
「あくまでも例えだよ。それに僕はここの管理人だから、ここから僕がいなくなってしまったら誰も管理する人がいなくなって、ひどいことになってしまう」
道子は躊躇した。
もちろんこのおかしな場所から早く抜け出したいが、自分がもし物語の中に入れたとしたら、何かが変わってしまいそうで怖かった。
「夢から覚めたくないのかい?」
「ここからは抜け出したいけど……」
夢から覚めたいかと聞かれれば、正直素直に首を縦には振れなかった。
ここは現実に比べれば圧倒的に居心地がいい。
「でもこんなへんてこな場所には長居したくないわ」
「道子がもし目覚めなかったとして、だれかそれに気がついてくれるかな?」
「同じルームメイトが気が付くんじゃないかしら」
「本当にそうかな? ルームメイトは寝ている君に興味を持って、起こそうとしてくれるかな」
ムーグリルは真顔だった。
彼の言いたいことを道子はすぐに理解できた。
しかし道子はあえてこう聞いた。
「何が言いたいの?」
「君が死んでも数日は誰も気が付かないんじゃないかな?」
死んでも気が付かれない。
寮に住んでいる限り、ふつうありえないことだ。
しかし道子にとってそれはあり得ることだった。
道子が起きずに、寮から出なくても、学校に来ていなくても、そのことに気がついてくれる人に心当たりが、なかった。
「道子は誰にも気づかれずに、眠ったまま死んでしまうかもしれないね」
「それでも……」
構わない。といい切ろうとした。
しかしできなかった。
死が間近に迫ると、急に死が怖くなった。
死の恐怖が迫った途端、それにおびえた。
「やってくれるかな?」
ムーグリルがゆっくりと、道子のことを試すかのようにそう訪ねてくる。
「……わかったわ。やればいいんでしょう」
「やる気になってくれてよかったよ! それじゃ記念すべき一回目の修理する物語を選んでくるよ!」
ムーグリルは真顔から急にキラキラとした笑顔を浮かべると、道子に背を向けスキップしそうな勢いで本が並ぶ廊下に歩いていった。
「……別にやる気があるわけじゃないわ。ただ死ぬよりはましだと思っただけよ」
道子はムーグリルの姿が見えなくなってから、ぽつりとそうつぶやいた。
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