2-3

「それで一体あなたは誰なの」

「そういえば自己紹介がまだだったね! 僕はこの図書修理館の管理人、ムーグリルだ」


 ムーグリルと名乗った執事は急に真顔になると、背筋を伸ばしきれいに会釈をした。

 しかしそれは一瞬で崩れる。


「道子のことは昔からよく知っている。大きくなった道子に会えてうれしいよ! しかも風邪をひいていないときに会えるなんてね!」


「やっぱりここは中学の頃に見ていた夢と同じ場所なの? でも私はあなたにあったことはないわ」

「道子の目の前に出てくるのはこれが初めてだからね」

「ずっと私をストーカーしてたってこと? まるで犯罪者ね」

「人聞きの悪いことを言うなあ。僕は修理館に入った不審者を監視してただけじゃないか」


「不審者ってどういうことよ」

「僕を犯罪者扱いするから、対抗してみただけさ。でも不審者であることは間違いないけどね」

「これは私の夢でしょ? 私が自分の夢で何をしようが勝手だわ」

「これを夢だと自覚しているんだね! それは非常に事を進めやすい!」


 執事は嬉しそうに両手を合わせると、目を輝かせながら見開いた。


「そうよ、ここは私の夢だと自覚しているわ。だから早く覚めたいのだけれど」

「本当に夢から覚めたいのかい?」


 執事は急にトーンを落とし、真顔で道子にそう尋ねる。

 道子は思わず返答に詰まってしまう。


「……そんなことよりここはどこなのよ」


 自分が作り出した夢の中で、そこがどこか分からず夢の住人に、場所を尋ねる。

 それはとてもおかしな状況だと分かっていたが、道子は話の流れを変えたかった。


 そして話の流れを変えようと、ねじ込んだ話題にムーグリルはきょとんとしていた。


「図書修理館だよ?」

「……聞き方がわるかったわ。ここはどういうところなの?」

「……?」


 ムーグリルは道子の質問の意図がわからないというように、あごに手を当てて思案し始めた。


「……そういうことか! そういえばまだ道子にここの説明はしたことがなかったね!」

「当然じゃない、今日初めて会うんだから」

「僕は何年も前に出会っているからね。てっきり説明はしたものだと、把握しているものだと決めつけてしまっていたよ」


 ムーグリルはすっきりした表情で道子を見つめた。


「ここは童話修理館だ。世の中にはたくさんの本が出回っている。そしてどんな本にも必ずストーリーがある。ストーリーがあるということは、そのストーリーに出てくる人たちも当然存在する。それは本を読まない道子でも、何となくわかるよね?」


「それくらいはわかるわ」

「そして時たま、本が壊れてしまうことがある。そんな壊れた本が送られてくるのがこの童話修理館というわけだ」

「本が壊れるってどういうこと?」


「例えば、自分の人生が気に入らないキャラクターがストーリーを放棄してしまうとか」


「そんなことってあり得るの?」

「命を与えられている者はどんなものでも自分の意思を持っているからね。十分にあり得ることだよ」


 到底信じられる話ではなかった。

 自分のストーリーが気に入らない主人公がいるなんて、突然言われても信じられないだろう。

 だってその主人公はそのストーリーを経験するために生まれてきているのだから。


 そもそも小説の中の主人公たちに、文章で描かれたこと以外の感情があるというのだろうか?


「そういえば童話修理館といっていたけれど、ここには童話しかないの?」

「そうだね。世界中には様々なそれこそ無数に本が存在している。それを一つの修理館で管理するのは無理な話だ。だからいろんなところでいくつかに分けられて造られている。そのひとつがこの『童話修理館』というわけだ」


 この修理館という場所に、童話しか置かれてなかったのはやはり気のせいではなかったのだ。

 おそらく壁にぎっしりとはめ込まれている本達は全て童話なのだろう。


「どうして私は童話ばかりあるここに連れてこられたの?」

「図書修理館はその人に合った形でその人の夢に現れる。君の夢に童話修理館っていう形で現れたってことは、そういうことじゃないかな?」

「どういうことよ……」


 ムーグリルの言っていることは、ほとんどでたらめのような気がした。

 しかしこの執事の言っていることにはもう一つ気になることがあった。


「私に合ったってどういうこと? 他にも私みたいな目にあっている人がいるってこと?」

「いるかもしれないし、道子一人がこんな目にあっているのかもしれない」

「そうやってはぐらかすのね」 


 道子は深く息を吐きだすと、いつの間にか力んでいた全身の力を抜き、ソファに深くもたれかかった。


 このまま眠れてしまいそう。

 そんな意味の分からない考えに思わず道子は鼻で笑った。

 夢の中で、もう一度寝るといったいどうなってしまうのだろうか。

 案外、この夢から覚めてくれるのかもしれない。


「眠るのかい?」


 その一声で、ぼんやりとした意識が覚醒し思わず立ち上がる。


「寝るわけないでしょ」

「その方がいい。こんなところで寝てしまえばどうなるか分かったものじゃないからね」


 そうだ。こんなところで寝てしまい、万が一あの居場所がない小さな寮の一室で目覚めたとしたら……。


 きっとどちらが、現実でどっちが夢か分からなくなるだろう。

 気がくるってしまうかもしれない。

 それにもう一つ……。


「そうね、寝ている間にあなたに襲われでもしたらたまったものじゃないもの」

「傷ついた寝込みの少女を襲う趣味は、さすがの僕でもないよ」


 ムーグリルはにらみつけてくる道子を見て、あきれたように笑った。

 そんな道子はムーグリルに少女と言われ、さらに笑われたことにムッとして再びソファに深く腰掛けた。

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