2-2

「あんまり本を壊さないでくれるかな?」


 突如頭上から聞こえてきた柔和な声。

 声がしたほうに顔を向けると、本棚の上で背を伸ばして立っている執事がいた。


「え?」

「その本達は大事な物なんでね。あんまり壊されると困るんだよ」


 そういうと執事は、ゆっくりと宙に浮いている本の上を傷つけないようにそっと乗った。

 そしてその本はゆっくりと下降していき、道子の少し前の頭上で止まった。

 執事は音も立てることなく飛び降りると、ゆっくりと道子に向かって会釈をする。


「久しぶりだね、道子」 


 そういってにっこりと笑う執事だったが、道子には目の前の執事が何者かわからなかった。

 そもそも会ったことがないはずだ。


「私はあなたにあったことがないわ」

「そうかい? 僕は君を何回も見たことがあるけどね」


 それは中学時代のころのことを言っているのだろうか?

 しかしその頃もこの場所は道子一人だったわけで、こんな目の前のオールバックな執事はいなかったはずだ。


「まあこんなところで話をするのもなんだ。せっかくだからリビングに行こうじゃないか」


 執事は再び軽く会釈すると、道子に背を向け先を歩いた。

 道子は一瞬ついていくかどうか迷ったが、このままここにいても帰れそうにないので、しかたなく目の前のすこしおかしな執事についていくことにした。



 オールバックの髪は後ろでまとめられ、一切しわがない執事服を着て、何もしゃべらずゆっくりと歩く執事の後ろを歩いて数分。

 相変わらず眠りから覚めそうにはなかった。

 まあここで下手に覚めても気になることが多すぎて、もやもやしていただろうが。

 ……それに今は現実よりもこの夢のほうがよっぽどましかもしれない。


「さあ、ついたよ」


 執事が足を止めた場所は円形の部屋だった。

 壁にずらりと並んだ大量の本は変わらないが、そのほかに中心にソファがあり、談話室のようになっていた。

 しかしおかしい。


「こんなところさっきはたどりつけなかったわ」


 この執事に案内される前に歩いたときには、これよりもっと長い時間歩いていたはずだ。

 こんなに早くこんな開けた場所にたどり着けるわけがないのだ。


「ここに来るにはある条件があってね。道子はいま特別にここに招かれている状態になる」


 執事は反転し、道子のほうを向くとにこっと笑った。

 その瞬間、静かに本棚に収まっていた何冊かの本が、本棚から飛び出すように出てきて宙を漂い始めた。


「あの宙に漂っている本はあなたの仕業だったの?」

「いやいや僕にそんな力はない」


 執事は何がおかしいのか、笑いをこらえる様子を見せながら頭を振った。


「だって今だってあなたが振り返った瞬間に本が飛び出してきたじゃない。それにさっきもあなたは本を操って、本棚のてっぺんから降りてきたわ」


 そこで執事はこらえきれなくなったのか口に手を当てて、道子から背を向けた。

 その肩は腹が立つくらいに震えていた。

 そして再び振り返った執事の顔はにやけており、目には涙がたまっていた。


「まさかこんなに純粋な子だったとは! そんなに引っ掛かってくれるとは思わなかったよ!」

「どういうことよ?」


「種明かしをしようか。僕が振り返った瞬間に本棚から本が飛び出してきたように見えたのは、それを計算したからだ。この本棚は一定時間ごとに壊れている本を吐き出す。僕はそれを選別しているから、本が飛び出してくる時間は大体わかる」

「なによ、それ……。じゃあさっきの本に乗って降りてきたのは?」

「あれは僕の重さに耐えきれなくなった本が、ただ勝手に下降しただけさ」

「それじゃあ、あなただって本を傷つけているじゃない!」

「そんな細かいことは気にしてはだめだよ、お嬢さん」


 執事はまたにこっと笑う。

 何がそんなにおかしいのだろうか。


「そもそもなんでそんなことをしたのよ」

「決まってるじゃないか。君を驚かすためさ! まさかこんなに上手くいくとは思わなかったけどね」

「それで驚く私を見て楽しんでいたわけ。いい趣味してるわね」

「ちなみに……」


 執事はもったいぶるように口を閉じると、道子に一歩近づいた。


「君のことはここに来た時からわかっていたよ。僕はここの管理人だからね。でもあえて、君が暴れ始めるまで出ていかなかったんだ」

「……ほんと、最低ね」


 道子は執事をにらみつけながら、無駄に整っている顔を近づけてきた執事の横を通り過ぎると、部屋のど真ん中に置かれてある大きな赤いソファに座り込んだ。


「それに別に私は暴れてないわ」

「どんどん本を崩し壊していくお嬢さんが暴れていないというのなら、どんなお嬢さんを暴れているといえばいいのかね」

「あれは勝手に崩れただけじゃない!」

「君が、手に取ったから本は崩れた。の間違いじゃないのかい?」


 執事は首を傾げながらそう言う。

 そして道子が座っているソファの横に立つと、覗き込むように道子の顔を見ていた。


 本当に腹が立つ執事だ。 

 そもそもどうしてこいつだけこんな場所にいるんだろうか。

 そしてこの執事と、なんでこんなにすらすらと話すことができるのだろう。 

 もしかしたら頭の中で人だとは思っていないのかもしれない。 

 道子の夢の中だから、話せるだけかもしれない。


 道子はぐるぐると回る思考の中で相変わらず腹が立つ顔で首を傾げている執事を眺めた。

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