幕開け

1-1

クーラーが効き、広々としたパソコン教室で、生徒たちの明るい声が飛び交う。

 そんな教室で道子は一人、背もたれにぐったりともたれかかり目の前のパソコンを見つめていた。


 真っ暗なパソコン画面から見つめ返してくる、眠気眼のしっかり開かれていない目。

 前髪は力なく垂れさがり、そのやる気のない目を隠している。

 唯一顔に色が宿っているのは唇だけではないのかと思うほど、気迫のない表情。


 今はパソコンを使った授業だと言うのに、道子の目の前のパソコンは真っ暗だ。

 道子のパソコンは十分前急にうなり声のような音をあげると、それまで明るかった画面は急に暗くなり、強制シャットダウンしてしまった。


 電源ボタンを押しても、コンセントを抜き差ししてもパソコンは静かなまま。

 もちろん先生も呼ぼうとしたが、他のバカ騒ぎをしている生徒の対応で手いっぱいのようだ。

 どうして高校生にもなって、あんなバカ騒ぎができるのだろうか。


「中学校の時も同じこと思ってたわね」


 もちろん返事を返してくれる人など、周りに一人もいない。


 道子の周りの席の人は、作業時間になるやいなやてんでバラバラにいろんな方向に、それぞれの友達の方へと散っていった。


 自分のどうでもいい独り言にため息をつきながら、道子はもう一度先生を呼ぼうと試みた。


 まずは小さく手をあげる。

 色白で美人な先生はパソコン画面を使って何かしている生徒を止めながらも、時に一緒に笑っている。


 ああいう態度が、学校中の男子生徒から人気を集めている証拠だろう。

 鼻の下が伸び切っている男子生徒を相手にしている先生はもちろん、道子の小さな行動には気がつかない。


「すみません……パソコンが……」


 道子の小さいが澄んだ声に、周りにいた何人かの生徒がこちらを見る。

 しかし肝心の先生は、道子との距離や周りの騒々しさもあってか、気づいてくれる様子はなかった。 


 こっちを向いた生徒の何人かと目もあったが、その人たちもすぐに体を向きなおし自分たちのどうでもいい話に花を咲かせていた。

 呼んでくれてもいいじゃない。


 道子はその後も何回か似たようなことを試したが、結果は同じ。

 先生は気が付くどころか、別の生徒のところに行き、道子との距離はさらに離れてしまった。


 諦めた道子は、再び背もたれにもたれる。

 そっと気晴らし紛れに、もう一度パソコンの電源ボタンをゆっくりと押してみる。


 ……反応はなし。


 モーター音すらさせないパソコンは自分のことを嫌っているとしか思えなかった。


 授業時間は残り二十分。

 何もせずにぼーっとしておくには、中途半端に長い時間だ。

 かといって、もう一度先生に声をかけようとする余力は残っていない。

 ただこの二十分を乗り越えれば、あとは帰りが待っているだけだ。


 ふと窓の外に目を向けると、暗い厚い雲が空を覆っていた。

 明日は雨だろうか。せめて今日の帰りはまだ降らないでほしい。


 雨の日まで、わざわざ体を濡らしながら学校に行くということを考えると、気分は自然に憂鬱になる。

 外なんて見るんじゃなかった。


 道子は仕方なく肩にかかりかけている髪を手に取り、無心で枝毛を探す作業に没頭することにした。


 悪夢のような授業が終わって、その後とんとん拍子で進んだ事務的作業を終わらせると、道子は急ぎ足で学校から出た。 


 授業が終わった学校に用はない。


 部活には入っていないし、遊びに誘われるような友達はいないし、そもそもそういうことが道子は嫌いだった。


「学校なんていう他人の集合体、なくなっちゃえばいいのに」


 速足で帰路である川沿いの土手を歩きながら、独り言をぶつぶつとつぶやく道子。

 もちろん周りの人には聞こえないような音量でしゃべっているが、はたから見れば少し髪の短い貞子のように見えなくもないかもしれない。


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