一:新学年 3
■
アレン=ロードルが帰路についたちょうどその頃、
「ふぅー……時間の無駄をした」
パトリオット=ボルナードは、どっかりとソファに座りながら、大きなため息をついた。
「お疲れさまでした」
執事からの労いの言葉に対し、「うむ」と尊大な態度で返した彼は、ガシガシと乱暴に頭を掻く。
先ほどの
「しっかし、あれは本当に使えん男だな。前情報にあった通りの大馬鹿者、大人の判断ができん青臭いガキだ」
「仰る通りかと」
「『我欲のない純朴な青年』と言えば聞こえはいいが、それは裏を返せば、確固たる自己が確立されておらんとも言える。文字通りの未熟、世間の荒波に揉まれておらぬ、井の中のオタマジャクシだ」
「まさにその通りかと」
執事からの全面同意を得たパトリオットは、満足気に「ふんっ」と鼻を鳴らし、古びたシガレットケースを開けた。
ズラリと並んだ大量の葉巻の中から、お気に入りの一本を取り出し、慣れた手つきでヘッドをカット。フット全体をマッチでほどよく
「ふぅー……。昔から『馬鹿とハサミは使いよう』と言うが、それは大きな間違いだ。馬鹿はどこまで行っても馬鹿のまま、持ち手がどれだけ工夫を凝らそうとも、決してハサミになることはない」
「つまり……?」
「当初の計画通りだ。あの馬鹿を速やかに処分する。――『シン』を使え」
そう命じられた執事は、恐る恐る自身の意見を述べる。
「……本当に、勝てるのでしょうか?」
「なに?」
「確かにシンは、
「はぁ……お前も
貴族派の一部からは『シンであろうとアレン=ロードルには敵わないのではないか?』、という声が噴出しており、パトリオットはこの意見に対して心の底から呆れていた。
「何も案ずる必要はない。シンは『強さ』という概念の上にあるのだ。一対一の戦いならば、まさしく最強、負けることなど絶対にあり得ん」
「承知しました。出来過ぎた発言をお許しください」
執事の認識を正したパトリオットは、満足そうに「うむ」と頷いた。
「では、次の祭りを楽しみにしておるぞ?」
「委細、承知しました。ただ今より、計画を実行に移します」
執事は深々と頭を下げ、鳳凰の間を後にした。
「ふははっ、これで長きに渡る皇族派との政争も終わる。これで私は、『真の貴族』になれるのだ!」
瞳の奥に底なしの欲望と壮大な野望を
■
四月一日。
波乱万丈に満ちた春休みもようやく終わり、今日からいよいよ新学年が始まる。
「さて、と……忘れ物はないか?」
「うん、ばっちり」
朝の準備を済ませ、制服に着替えた俺とリアは、いつものように寮を出た。
「いい風だな」
「なんだか気持ちがいいわね」
暖かいお日様の陽気と心地よい春風を感じながら、二人で一緒に千刃学院へ向かう。
一か月ぶりの登校なのに、なんだか随分と久しぶりな気がした。
「おっ、クラス分けが出ているぞ」
本校舎に入ってすぐの掲示板、そこには各学年のクラス表が張り出されていた。
「俺は……うん、今年もA組だな」
「私もA組。よかった、ローズとクロードも一緒ね」
千刃学院のクラス分けは、成績の上位順にA組からF組へと振り分けられ、その後は基本的に大きく変動しない。
「休み明けの初登校って、なんか緊張するよな」
「そう? 私はむしろ、みんなに合うのが楽しみで、ワクワクしちゃうわ」
長い廊下を真っ直ぐ進み、二年A組の扉をガラガラッと開けると――。
「おーっす、アレン。元気してたか?」
「リアさん、お久ーっ!」
「二人とも、おはおはー」
クラスメイトのみんなが、元気よく朝の挨拶をしてくれた。
「おはよう」
「みんな、おはよう」
俺とリアは手をあげながら挨拶に応じ、自分たちの席に着く。
それと同時、一つ前の席にドッカリとテッサが座り込んだ。
「よー、アレン。俺はついに
彼はそう言って、野性的な笑みを浮かべた。
よくよく見れば、体付きが一回り大きくなり、拳が武骨に仕上がっていた。
どうやら彼は、中々充実した春休みを過ごしたらしい。
「それは楽しみだな。後で軽く摸擬戦でも――」
俺がそんな提案を口にしようとした瞬間、横合いから二人のクラスメイトが割って入ってきた。
「いやいや、テッサとアレンじゃモノが違うだろ?」
「やめとけやめとけー。怪我するだけだぞー?」
「んだとこらっ、もっぺん言ってみやがれ!」
そうやってテッサたちが追いかけっこを始めた頃――教室の後ろ扉がカラカラカラっと控えめに開かれた。
そこから姿を見せたのは、寝ぼけまなこのローズだ。
「ローズ、おはよう」
「おはよう、ローズ。相変わらず、朝は駄目なのね」
「……ぅむ……おはよぅ」
彼女は目元をごしごしとこすりながら、自分の席へ移動する。
ローズが入室した後、続けざまに入ってきたのは――クロードさんだ。
「おはようございます、リア様!」
「あっ、クロード! 帰って来てたのね!」
「はい、お会いできて光栄でございます!」
クロードさんは一月の初旬にヴェステリア王国へ帰っていたため、およそ三か月ぶりの再会となる。
彼女が一時帰国したのは確か……親衛隊隊長として、王国の大切な会議に出席しなければならない、という理由だったはずだ。
「もぅ、こっちに戻っていたのなら、連絡ぐらいちょうだいよ」
「申し訳ございません。リーンガード皇国に到着したのは、昨夜の最終便だったものでして……」
「そっか、それなら仕方ないわね」
事情を理解したリアは大人しく引き下がった後、嬉しそうにパンと両手を打つ。
「でも、こっちに戻って来られたってことは、もう会議は終わったんでしょ? これからはまた、昔みたいに一緒にいられるわね!」
「重ね重ね、申し訳ございません……。情勢が情勢だけに、今後もしばらくは本国との往復生活が続きそうです」
「むぅ……クロードもいろいろと大変なのね。お疲れ様、いつもありがとう」
「あぁ、なんともったいなきお言葉……っ。五臓六腑に沁みわたります……!」
クロードさんは瞳を潤ませ、歓喜の涙を流した。
彼女の忠誠心の高さは、相も変わらずといった具合だ。
その後、ホームルームが始まるまでの間、クラスメイトたちと雑談に興じる。
春休みの間どこそこへ行っただの、彼氏彼女ができただの、新しい修業法を編み出しただの……他愛もない話が延々と無限に湧いて出てくる。
どこにでもある日常の一コマ、なんだかそれがとても楽しく感じた。
そうこうしているうちに、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り、ガラガラガラッと勢いよく教室の扉が開かれる。
「おはよう、諸君! ふむ、ふむふむふむ……欠席・遅刻ともになし! 素晴らしい! 新学期に向けて、完璧なスタートだな!」
教室全体をグルリと見回した先生は、満足そうに「うんうん」と頷き、ホームルームを開始する。
「さて、それでは連絡事項に移ろう。今日は珍しく、二つもあるぞ」
彼女は手に持っていた黒いバインダーを開き、コホンと咳払いをする。
「一つ、今年度はかなり『変則的なスケジュール』が組まれそうだ。詳しいことはまた後ほど学年集会で発表されると思うが、ひとまず頭の片隅にでも入れておいてくれ」
変則的なスケジュール……なんだろう、授業日程が変わったりするのだろうか?
「それからもう一つ、諸君らの学友クロード=ストロガノフについてだ。既に知っている者も多いと思うが、クロードはヴェステリア王国に籍を置く剣士で、親衛隊の隊長という重責を務めている。かつてないほどに国際情勢が不安定な今、リーンガード皇国とヴェステリア王国を頻繁に行き来するため、今後しばらくの間は欠席が頻繁にみられる……と、本人から申し出があった。別に体調不良で休んでいるというわけではないので、あまり心配はし過ぎないように――以上だ」
クロードさんは千刃学院の学生であると同時に、ヴェステリア王国の剣士でもある。
こればかりは仕方がないだろう。
「さて、それではこれより、新年度一本目の授業を行う! 今年もビシバシしごくつもりなので、気合いを入れてついてくるように!」
「「「はい!」」」
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