一:新学年 2

   ■


 カボチャの馬車に揺られ始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。

(ふわぁ……っと駄目だ駄目だ、寝落ちするところだった)

 ガラガラパカラパカラという車輪とひづめの規則的な音色が心地よく、座席から伝わってくる上下の小さな振動が、なんとも言えず眠気を誘ってくる。

「ん、んー……っ」

 時たま体をグーッと伸ばしながら、ジワリジワリとにじみ寄る睡魔と戦っていると――馬車の速度が緩やかに低下し、やがて完全に停車した。

 どうやら目的地に到着したみたいだ。

 荷馬車の扉がキィと開き、ヒヨバアさんが顔を覗かせる。

「アレン様、パトリオット様のお屋敷に到着いたしました。こちら、足元にご注意くださいませ」

「ありがとうございます」

 カボチャの馬車から降りるとそこには、見上げるほどに大きな屋敷があった。

(お、おぉ……なんというかまた、凄い建築だなぁ)

 パトリオットさんのお屋敷は、個性溢れるというか、非常に独特な造りをしていた。

『全三部構成』とでも言えばいいのだろうか?

 お屋敷の左側は大木で組まれた木造建築、真ん中は見るからにコンクリート造、右側は味わい深い煉瓦造りとなっていた。

 しかもそれだけじゃない。

 屋敷の周囲には、色鮮やかな花々が咲き誇る庭園・力強さを感じさせる巨大な石像・独特な紋様の彫られた巨大な噴水が並び、この家の主がどれほど裕福であるのかを雄弁に物語っていた。

 ドレスティアにあるリゼさんの屋敷も凄かったけれど、それに負けるとも劣らない壮大さだ。

「ささっ、どうぞこちらへ」

 ヒヨバアさんの視線の先には、重厚感のある観音開きの扉があり、その両サイドには私兵らしき二人の剣士が立っていた。

 彼らはこちらを一瞥いちべつするなり、すぐさま機敏な動きで敬礼のポーズを取る。

「「――いらっしゃいませ、アレン=ロードル様!」」

 俺が返事を返す間もなく、二人は流れるような動きで屋敷の扉に手を掛け、見るからに重そうなそれをグッと押し開けた。

 するとその直後、

「「「――アレン様、パトリオット邸へようこそ」」」

 玄関ホールにずらりと並んだメイドさんたちが、一糸乱れぬ統率の取れた動きで頭を下げる。

「ど、どうも……っ」

 あまりにも異様な光景に気圧された俺は、ペコペコと何度もお辞儀を返す。

「アレン様、どうぞあちらの階段へお進みください。我が主は、最上階『鳳凰の間』にてお待ちです」

 ヒヨバアさんに案内され、螺旋階段を登って二階へ。

 今度は廊下を真っ直ぐ進み、地下まで続くスロープを下っていく。

 パトリオットさんのお屋敷は、まるで迷路のように複雑な造りとなっていた。

「先ほどから右へ左へ上へ下へと、ご不便をお掛けして申し訳ございません」

「いえ、もしものときの備えは必要ですからね」

 ヒヨバアさんの謝罪に対し、問題ないと軽く応じる。

 社会的身分の高い人の自宅は、外敵が入りにくいようにわざと複雑な構造にしている。

 これはいろいろな屋敷や邸宅にお邪魔したことで、最近新しく学んだことだ。

 その後もあちらこちらへ歩き続け、ようやく最上階――鳳凰の間に到着した。

「それではアレン様、私めはこの辺りで失礼させていただきます」

「はい、ありがとうございました」

 深々と頭を下げるヒヨバアさんにお礼を告げ、正面の扉に向き直る。

(この先にパトリオット=ボルナードがいるのか……)

 薄く長く息を吐き、心を落ち着かせる。

(――よし、行こう)

 コンコンコンとノックをすれば、「どうぞ」と優しげな声が返ってきた。

「失礼します」

 扉を開けるとそこには――まさに豪華絢爛ごうかけんらん、この世の贅を尽くした、特別な空間が広がっていた。

 金の装飾が随所に施された真紅の絨毯・天井から吊るされた豪奢なシャンデリア・厳めしい雰囲気を放つ塑像・独特な紋様の彫られた奇妙な壺・名画めいたオーラを醸す風景画。

 統一感や風情のようなものは一切なく、ただただ価値のあるものを詰め込んだだけの空間。

 そんな部屋の最奥――オーレストの街を一望できる大窓の前に、いかにも貴族という派手な風体ふうていの男が立っており、その両隣には執事と思われる二人の男が控えていた。

「おぉアレン殿、お初にお目に掛かります」

 こちらに気付いた貴族らしき男は、柔らかい微笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

「私はパトリオット=ボルナード、お気軽にパトリオットと呼んでください」

 パトリオット=ボルナード。

 身長は175センチほど、体付きは中肉中背。

 濃いミルク色の長髪は、両サイドでクルクルと巻かれている、確か縦ロールという髪型だ。

 だいたい五十歳ぐらいだろうか、トロンと垂れた目と立派な白い顎鬚が特徴的で、金の刺繍が施された臙脂えんじの貴族服がよく目立つ。

「初めまして、自分はアレン=ロードルと申します」

 お互いに自己紹介を済ませ、簡単に友好の握手を交わす。

「本来ならば私の方からお伺いすべきところ、わざわざこうして足を運んでいただき、感謝いたします」

「こちらこそ急な日時にもかかわらず、快くご対応いただき、ありがとうございます」

「いえいえ、最初にご無理をお願いしたのはこちらですから、そんな些事はお気になさらず……っとそれより、立ち話もなんですから、どうぞお掛けください」

「はい、ありがとうございます」

 パトリオットさんの視線の先、来客用のソファにゆっくりと腰を下ろす。

(うわっ、凄いなこのソファ。どんな素材で作られているんだ?)

 この世のものとは思えないほどにフカフカ、それでいてしっかりと体を支えてくれる。

 座り心地と安定感を兼ね備えた、至極の一品。きっとどこそこの最高級ソファなんだろう。

「よっこらしょっと」

 俺の対面――テーブルを挟んだ先にあるソファへ腰を下ろしたパトリオットさんは、背後に控える執事の男性に声を掛ける。

「すまない、飲み物を頼めるかな?」

「かしこまりました」

 執事は優雅な所作で頭を下げると、どこからともかく長方形のメニュー表を取り出した。

「アレン様、どうぞお好みのものをお選びください」

「ありがとうございます」


 ティー・ファストフラッシュ・オルタグレイム

 ルミナスティー(インザス地方産F.D.P)

 アルフレッドパティ・ディンブランゴールド

 ラコット・デルモーニュ

 ドルテアーノ・ポッソビータ(ボルナードスペシャル)


(……何語だ?)

 メニュー表にズラリと並ぶのは、まるで呪文のような謎の文字列。

 おそらく飲み物の名前だとは思うけれど、あまりにもお洒落過ぎて、どれが何を指しているのか全然わからない。

「えっと……水でお願いします」

「かしこまりました。――パトリオット様は?」

「私はいつものを頼むよ」

「承知しました」

 執事はうやうやしく頭を下げ、優雅に素早く退出した。

「ときにアレン殿、わざわざ水を注文されたというのは……やはりカロリーを 栄養制限のようなものがおありで?」

「ま、まぁ、そんな感じですね」

 さすがに「メニューが読めませんでした」とは言えなかったので、適当に誤魔化すことにした。

「日常からの徹底した栄養管理……素晴らしい! 一流の剣士ともなると、そういう細かなところにも気を遣うものなのですな!」

「いえ、自分はそんな一流の剣士などでは――」

「――はっはっはっ、謙遜けんそんはおよしください。貴殿ほどの剣士を一流と呼ばず、いったい誰を一流と呼べばよいのですか。なぁ、そうは思わんかね?」

 パトリオットさんが背後にそう問い掛ければ、

「はっ、まさしくその通りかと」

 執事は小さくお辞儀をし、目線を伏せたまま、同意の言葉を述べた。

「これはちょっとした四方山話よもやまばなしなのですが……。実はこのボルナード、かつて最強の剣士を目指していた時期があるのですよ」

「へぇ、そうなんですか」

「えぇ。ただ……お恥ずかしながら、まるで剣才に恵まれませんでしてな。今ではこのように醜い腹を抱えております」

 パトリオットさんは冗談めいた口調で、自らの脇腹を摘まんで見せた。

 そんな軽い雑談を交わしていると、部屋の扉がコンコンコンと叩かれる。

「――パトリオット様、お飲み物をお持ちしました」

「おぉ、入ってくれ」

「失礼します」

 執事は音もなく入室すると、二人の分のグラスを素早く机の上に並べた。

「水とアルフレッドパティ・ディンブランゴールドでございます」

「ありがとうございます」

「うむ、ありがとう」

 執事は無言のままお辞儀をすると、再びパトリオットさんの背後に戻る。

 そして水を用意してもらった俺は――せっかく入れてくれたにもかかわらず、手を伸ばすことができなかった。

 それというのも……。

(……これ・・、いくらぐらいするんだ……?)

 目の前のグラスは、ただのグラスではない。

 中央部にはルビーのような宝石が埋め込まれ、取っ手の部分には繊細な意匠が凝らされている。

 見るからに高そうな……否、絶対に高いであろう高級品を前にして、俺の貧乏人センサーが、けたたましい警告音を鳴らしていた。

「あの、つかぬことをお伺いするのですが……」

「なんでしょう?」

「このグラスって、おいくらぐらいするのでしょうか?」

 俺の問い掛けに対し、パトリオットさんは虚を突かれたように固まった。

「え……っと、このグラスのお値段ですか?」

「はい」

「なる、ほど……グラスの値段……うぅむ……」

 まったく予想だにしない質問だったのか、とても不思議そうな表情をしている。

 彼にとっては些末なことかもしれないけれど、俺にとっては非常に重要な問題なのだ。

「確か……五千万ゴルド? 六千万ゴルドだったか? ――いや、申し訳ない。お恥ずかしながら、生活備品の値段までは把握しておりません」

 パトリオットさんは鬚を揉みながら、とんでもない額をサラリと口にした。

「は、はは……っ。そうですか、五・六千万ゴルドですか。は、はははは……ッ」

 決めた。

 このグラスには、絶対に触らないでおこう。

「さて、と……お互いに忙しい身ですし、そろそろ本題へ移りましょうか」

 そろそろ場の空気が温まってきた判断したのか、パトリオットさんがゆっくりと話を始めた。

「アレン殿は、この国の政界が皇族派と貴族派に分かれていることをご存じですか?」

「はい」

「おぉ、さすがでございます。剣士として身を立てながら、まつりごとにもお詳しいとは、このパトリオット恐れ入りました」

 彼はペシンと額を叩き、ほがらかに笑う。

「聡明な貴殿のこと、既に知っていることかもしれませんが……。お互いの認識に齟齬そごがあってはなりません。皇族派と貴族派の定義付けをサラリと済ませてもよろしいですかな?」

「ぜひお願いします」

「はい。ではまず皇族派とは、天子様とアークストリア家を中心とした皇国中心主義。一方の我ら貴族派は、貴族と民衆を中心とした世界平和主義。この二大勢力が、リーンガード皇国を二分しております」

「なるほど、大まかな認識は同じですね」

 一点、貴族派が貴族と民衆を中心とした勢力だという話は初耳だけど……。

(パトリオットさんがこう言っているんだから、貴族派のスタンスとしては貴族+民衆の集団ということなんだろう)

 そのあたりについては、今度また自分で調べてみるとしよう。

(そう言えば……あの人・・・は、どの立ち位置なんだろうか?)

 せっかくの機会なので、前々から気になっていたことを聞いてみることにした。

「すみません、一つ気になっていることがあるんですけれど……」

「はい、なんなりとお聞きください」

五豪商ごごうしょうのリゼさんは、やはり貴族派なんでしょうか?」

 リゼ=ドーラハインは、五豪商の一角であり、貴族ドーラハイン家の当主。

 彼女もやはり、貴族派の一員なのだろうか?

「……ドーラハイン家ですか」

 パトリオットさんの表情が、初めて厳しいものに変わった。

「率直に申し上げますと、リゼ殿は貴族でありながら、貴族派閥に属しておりません」

「そうなんですか?」

「えぇ、貴族派と言っても、一枚岩ではありませんからね」

 彼はポリポリと頬を掻いた後、スッと目を細めた。

「アレン殿、ちょっとした昔話にお付き合い願えますかな」

「はい」

「ドーラハイン家は元々、片田舎の弱小貴族。農耕・牧畜・養蚕ようさん業などを営み、領主と領民の関係も良好で、ゆったりと静かに穏やかに暮らしておりました」

「へぇ、そうだったんですか」

 リゼさんとフェリスさんの姉妹は、見るからに『貴族』という感じだったので、これはけっこう意外だった。

「……そう、あの頃はよかった。我らの思うがまま、全て手中に収まるはずだった。計画にほころびはなく、順風満帆に進んでいた。それを……あの憎き『血狐ちぎつね』めが……ッ」

 パトリオットさんの口から、尖った犬歯が零れたそのとき――。

「「パトリオット様ッ!」」

 背後で控える二人の執事が、突然大きな声を張り上げた。

「恐れながら、少々踏み込み過ぎかと」

「奴の能力が不明な現状、不用意な発言はお控えください。……消されてしまいます」

 淡々とたしなめられたパトリオットさんは、ハッとした表情で口を閉ざす。

「おっと……これはすまない。つい熱くなってしまったようだ」

 彼は謝罪の言葉を述べた後、どこか薄っぺらい微笑みを張り付けた。

「アレン殿、リゼ殿の話は打ち止めにしましょう」

「えっ?」

「触らぬ神に祟りなし。我ら貴族派も、リゼ=ドーラハインとは関わりを持たないようにしております。彼女の場合は、どこに耳があるやもわかりませんから」

「なる、ほど……」

 どうやらリゼさんは、貴族派にも恐れられる存在らしい。

「さて、軌道修正を測りましょう」

 両手をパンと打ち鳴らし、ズイと体をこちらに寄せてきた。

「実際のところ、アレン殿は今どのような立場におられるのでしょうか?」

「立場と、言いますと?」

「貴殿は天子様をはじめとした皇族派勢力、特にアークストリア家の御息女シィ=アークストリア殿と懇意こんいにしておられる……ですよね?」

「まぁ、はい」

 正直、天子様とはまったく懇意にしていないけれど、わざわざそこを訂正する必要もないだろう。

「我ら貴族派の面々は、この事態を非常に憂慮しております。アレン殿が皇族派に取り入られてしまうのではないか、と」

「いえ、その心配は無用です。自分は今のところ中道なので、どちらに肩入れをしているとか、そういうものはありません」

「おぉ、それはよかった」

 パトリオットさんはホッと安堵の息を漏らし、

「あちらは間もなく沈む『泥舟どろぶね』ですから、間違っても乗ってはいけませんよ?」

 柔らかい笑顔のまま、ドギツイ言葉を口にした。

「お言葉ですが……天子様の派閥を泥舟呼ばわりするのは、皇国民としてどうなのでしょうか?」

「おっと、これは口が過ぎましたな。しかしこのボルナード、嘘はつけない性質たちでございまして、何卒ご容赦いただけますと幸いです」

 彼は苦笑を蓄えながら、そんな軽口を述べた。

 どうやら、皇族派のことを心の底から見下しているらしい。

「まぁ隠しても仕方がありませんので、この際はっきり申し上げておきましょう。残念ながら皇族派に、このリーンガード皇国に未来はありません」

「どういう意味ですか?」

「そもそもの話、皇族派の連中は――いや、有象無象の『自称大国』の馬鹿どもは、大きな勘違いをしている。主要五大国? 帝国と肩を並べる力を持つ? まったくもってナンセンス! 思い上がりもはなはだしい!」

 彼は酷く抽象的なことを言いながら、人差し指をピンと立てる。

「おそらくこの先一年以内に大きないくさが起こります。それは歴史上類を見ない、苛烈で壮絶なものになるでしょう」

「神聖ローネリア帝国との戦争ですね」

「はい。リーンガード皇国・ヴェステリア王国・ポリエスタ連邦・ロンゾ共和国の大国連合と神聖ローネリア帝国の戦争。この戦いに勝つのは、間違いなく帝国です」

 彼は微塵も躊躇ためらうことなく、そう断言した。

「随分はっきりと言うんですね」

「当然、理由があります。それも三つ」

 パトリオットさんは、今度は三本の指を立てて、語気を強めながら説明し始める。

「一つ、他の主要国を圧倒する強大な軍事力! 神聖ローネリア帝国は非合法な武装集団である黒の組織を抱えており、そこには神託の十三騎士という国家戦力級の剣士が所属している。しかも十三騎士のうちの四人は、皇帝直属の四騎士と呼ばれ、人の域を超えた絶大な力を振るいます!」

 俺が剣を交えたディール=ラインスタッドは、『元』皇帝直属の四騎士。

 帝国には、あれ以上の剣士がまだ四人も控えている。

 この事実は、確かに恐ろしい。

「一つ、魔具師ロッド=ガーフによりもたらされた圧倒的な科学力! 彼の聡明な頭脳は、人類の百年先を行っている! 先のいくさで用いられた超小型飛翔滑空機こと飛空機ひくうきや黒の組織の標準戦闘服である自律伸縮式冥黒外套めいこくがいとう! その他にも、ロッド氏はこれまでの常識をひっくり返すような、とんでもない大発明を幾度となく成し遂げております!」

 魔具師ロッド=ガーフ、この名前も度々耳にするものだ。

 帝国の強さを支えるキーパーソンの一人であることは間違いないだろう。

「そして何より、皇帝バレル=ローネリアという絶対君主の存在! 深淵すらも覗く智謀、四騎士さえも凌ぐ武力、あまねすべてを従える稀代のカリスマ! 彼こそが王! 否、神なのです!」

 パトリオットさんは鼻息を荒くしながら、次々に帝国を褒め称えた。

(バレル=ローネリアを心酔しているかのような発言も気になったけれど……)

 それよりも何よりもまず、確認しておかなければならないことがある。

「パトリオットさん……随分と敵国の内情についてお詳しいのですね」

 彼の口ぶりは、まるで帝国の戦力をその眼で見て来たかのようなものだった。

「えぇ、もちろん。……これはここだけの話にしていただきたいのですが……」

 彼はそう前置きしたうえで、とんでもない事実を暴露する。

「我ら貴族派は、神聖ローネリア帝国と通じております」

「なっ、それは!?」

「お待ちください! ただ情報を得るための窓口を、独自の外交独自ルートを持っているということです!」

「まさかとは思いますが、リーンガード皇国の情報を横流ししていませんよね?」

「無論。我らは愛国心に燃える善良な皇国民、決してそのような真似はいたしません!」

「……そうですか、それはよかったです」

 残念ながら、この人はあまり信用できなさそうだ。

 しかし、ここですぐに話を打ち切っては、あからさまに過ぎる。

 もう少しだけ続けて、ほどほどのところで帰るとしよう。

「パトリオットさんの仰る通り、科学力についてはこちらが遅れを取っているかもしれません。ただ、戦力においては、そこまで大きな開きはないように思います。なんといってもこちらには、聖騎士協会が誇る最強の剣客集団『七聖剣』がいますから」

「七聖剣……果たして彼らは、本当に味方なのでしょうか?」

「どういう意味ですか?」

「この情報はあまりおおやけになっていませんが、七聖剣の面々には非常に大きな『癖』がある。誤解を恐れずに言えば、『人格破綻者』の集まりだ。いざ開戦となった場合、彼らが正義のために動くとは思えない。実際、つい先日にもフォン=マスタングが裏切ったばかり……彼の他にも裏切り者がいるやもしれませんぞ?」

 その発言には、何か含みのようなものがあった。

「七聖剣以外にも、腕の立つ剣士はいますよ? 特に皇国には、レイアせんせ――黒拳レイア=ラスノートが」

「『黒拳』ですか。確かにアレは恐ろしく強い。『単体戦力』として見た場合、至上のものがあるでしょう。しかし、彼女の強さは今が最盛期ピーク。この先は緩やかに下降し、やがては見る影もなくなるでしょう」

 パトリオットさんはそう言って、小さく首を横へ振った。

「さらに付け加えるならば、彼女は単細胞に過ぎるうえ、人間らしい良識を持ち合わせてしまっている。詰まるところ、次の行動が簡単に読めてしまうんですよ。ちょっとここを使えば、封殺することも容易い」

 レイア先生が単細胞という指摘。

 それはわかる。とてもよくわかる。

 彼女の行き当たりばったりな行動のせいで、俺はこれまで何度も迷惑を掛けられてきたからだ。

 しかし、先生に良識があるというのは、いったいどういう了見だ?

 パトリオットさんが話しているのは、本当にあのレイア=ラスノートのことか?

 同姓同名の誰か別の人のことを言っているのではないか?

 俺が頭を悩ませている間にも、話は先に進んでいく。 

「黒拳はぎょしやすく、大きな問題にならない。しかしその一方でアレン殿、貴殿はそれとまるで違う」

 パトリオットさんは、グラスで喉を軽く潤し、スッと目を細めた。

「失礼ながら、アレン=ロードルという名前は、ほんの一・二年ほど前まで露と聞きませんでした」

「まぁ……そうでしょうね」

 その頃はちょうど、グラン剣術学院でいじめられていたときだ。

「初めてアレン殿の名を耳にしたのはそう――昨年の大五聖祭。氷王学院との戦いにおける、あの・・『大暴走』です」

「あれは、その、なんというか……お恥ずかしい限りです」

「いえいえ、誰にでも若気の至りというのはありましょう」

 彼は柔らかく微笑み、話を前に進める。

「貴殿はあそこから、恐ろしい速度で強くなった――否、今なお強くなっている。最盛期ピークがどこになるのか、限界値はどこにあるのか、皆目見当がつきません」

「ど、どうも」

「アレン殿の行動は、本当に先が読めない。謹慎処分を受けて魔剣士ボランティア活動に従事しているかと思えば――いつの間にか血狐と繋がりを持ち、闇の世界を闊歩かっぽしていた。聖騎士見習いとして訓練を積んでいるかと思えば――何故か紛争地帯のダグリオに赴き、救国の英雄となっていた。普通の学生生活を送っているかと思えば――帝国の中枢にまで侵入し、シィ=アークストリアを救出していた。常人ならば普通躊躇ためらうような場面でも、貴殿はなんの迷いもなく突き進んで行く、ブレーキが壊れているとしか思えない」

 さすがは貴族派の筆頭というべきか。

 俺の経歴かこをよくもまぁここまで調べ上げたものだ。

「天井知らずの実力・タガの外れた行動力、言うならばアレン殿は『未知数』であり『劇薬』。貴殿の立ち位置によって、あらゆる力関係がひっくり返るやもしれない。――皇族派からも、このように評価されているのでは?」

「まぁ……はい」

 確かに同じようなことを言われた気がする。

「遥か昔より、戦争において最も怖いのはイレギュラーだと言われております。だからこそアレン殿には、次の戦争において『傍観者』でいてほしい。その強大な闇の力を行使せず、ことの行く末を静かに見守っていてほしいのです」

 パトリオットさんはここへ来て、一気に饒舌になっていった。

 おそらく、ここが彼の本懐なのだろう。

「愚かで過激な皇族派は、戦争街道をひた走っている! しかしこのまま帝国と戦えば、我が国は壊滅的な被害を受け、支配されてしまうことは火を見るよりも明らか! それゆえ貴族派は、帝国との友和を、共同政権の樹立を目指している! つまり、敗北後の復興に焦点を当てているのです!」

 彼は大きく身を乗り出し、熱の籠った視線を向けてくる。

「聡明な貴殿のこと、既におわかりいただけているはずだ! 私が皇族派をして泥舟と称する理由が! 貴族派こそ真に皇国の明日をうれうものだということが! 今は一時の『愛国心』に流されず、長期的な視点から『実利』を追うべきなのです! ――さぁアレン殿、共に手を取り合い、皇国の輝かしい未来を作りましょう!」

「……」

 俺が沈黙を貫いていると、パトリオットさんが態度を軟化させた。

「も、もちろん、なんの見返りもなく、このようなお願いをするわけではありません!」

「……どんな見返りがあるのでしょう?」

「それはもう、アレン殿が望むものを、望むだけご用意いたします! 家も土地も金も地位も女も! 貴殿の欲する、ありとあらゆるものを取り揃えましょう! 今、すぐにでも!」

 彼は大きく両手を広げながら、とんでもないことを言い放った。

「なる、ほど……。確かに実利という面では、こちらに大きなメリットがありそうですね」

「おぉ、さすがはアレン殿! おわかりいただけましたか!」

 パトリオット=ボルナードの言い分、すなわち貴族派の主義主張はよくわかった。

 俺は静かに眼を閉じ、これまで聞いた話、その全てを反芻はんすうし――自分なりの結論を下す。

「――パトリオットさん」

「はい!」

「論外です」

「……論外、と申しますと?」

 彼の顔から、微笑みが消えた。

「残念ながら、自分の思い描く理想の未来は、貴族派のものと違うようです」

「そんな馬鹿な! 『実利』よりも『愛国心』が勝ると!?」

「愛国心とまでは言いません。ただ……この国には、自分の大切な人がたくさんいます。みんなを守るためにも、俺は持てる全ての力を使って戦うつもりです」

 俺の剣術は、大切な人達を守るためにある。

 どんな話をされても、この思いは変わらない。

「……そうですか、わかりました」

 パトリオットさんは小さくため息をついた後、いつものようにニコリと微笑んだ。

「もしアレン殿の気が変わられた際には、いつでもご連絡ください。我ら貴族派は、貴殿を歓迎いたします」

 彼はそう言って、背後の執事に目を向ける。

「さぁアレン殿がお帰りだ」

「はっ。――アレン様、どうぞこちらへ」

 執事の男に案内されて、パトリオットさんのお屋敷を後にする。

 外で待機中のヒヨバアさんが、「馬車でお送りいたします」と言ってくれたけれど、丁重にお断りしておいた。

 なんだかちょっと、外の空気を吸いたい気分だったのだ。

「ふぅー……いろいろとやりにくかったな」

 パトリオットさんは、ずっと本心で喋っていなかった。

 柔らかい笑顔も驚愕の表情も残念そうな顔も、全て計算づくの演技だ。

 彼は常にこちらとの距離を探りながら、将棋やチェスのようなターン制のゲームみたく、発言という手番を回していた。

 ああいうタイプの人間は、正直ちょっと苦手だ。

「さて、と……。あまり遅くなると、リアを心配させちゃうし、さっさと帰るかな」

 俺はグーッと伸びをした後、自分の寮へ向けて走り出すのだった。

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