一:一億年ボタンと時の世界 5

「あ、れ……?」

 気付けば俺は、ずいぶんなつかしい場所に立っていた。ここはそう、一億年前によく修業していた森の中だ。空を見上げれば、そこには当たり前のようにまぶしい太陽がある。どうやら、現実世界へ戻ってきたようだ。

「ひょほほ、どうじゃ? 一億年もの間、ただひたすらに剣を振り続けた感想は?」

 時のせんにんはパンパンと手をたたきながら、楽しげに問い掛けてきた。

「なんだか、不思議な感じだ……」

 特段体に異変はない。ただ少しだけ、頭がボーッとする。

「俺は……本当に一億年も修業をしたのか……?」

 心が体に追い付いてこない。まるで長い間、ずっと夢を見ていたかのような気分だ。

 一億年ボタンもあの不思議な異界も、全て夢だったんじゃないかと思えてしまう。

「ふぅむ、どうやらちょっとした『時間い』を起こしているようじゃな……。まぁ、安心するがよい。お主が必死にけんを振り続けた一億年は、ひたすら努力を続けたあの時間は、ちゃんと現実ものになっておるからの」

「そう、なのか……? そんな実感は全くないけど……」

「ひょっほっほっ! 大き過ぎる変化ゆえ、気付いておらんようじゃな! 『百聞は一見にかず』──どれ、一つ剣を振ってみてはどうじゃ?」

「……そうだな」

 あの一億年が夢かげんじつか。それは剣を振ってみれば、一発でわかることだ。

 そうしてこしに差した剣に手を伸ばしたそのとき、

(ん……?)

 さやが手に吸い付いてくるような、みような感じがした。力を入れて持たずとも、意識してにぎらずとも、鞘の方から手にくっついてくる。そんな不思議な感覚だ。

(まさか、な……)

 ほんのわずかな期待を持ちつつ、軽く剣を振ってみた。

「せいっ!」

 その瞬間──凄まじい風がれ、木々が大きくざわめく。

「……っ!?」

 俺の目がおかしくなければ、今のざんげきは三つに枝分かれした。

 空間が捻じ曲がった──そんなさつかくを起こすほどのとてつもない一撃だった。

「ひょっほっほっ、凄いではないか! ちがえたぞ、若き剣士よ!」

 時の仙人は手を叩いて笑っていたが、俺はそれどころではなかった。

(ゆ、夢じゃない……っ!?)

 あの異界で身に付けた斬撃をそっくりそのままこの現実世界でも再現できた。

(い、今の感覚を忘れないうちに……もう一度だ……っ!)

 はやる気持ちを剣に乗せ、今度は横切りをためしてみる。

「はっ!」

 その数秒後──『ザンッ!』という風を切る音がおくれて聞こえてきた。

 俺の斬撃は、いともやすく『音』を置き去りにしたのだ。

「す、凄い……っ!」

 体が剣にむどころの話ではない。

 体と剣が一つになったような、とんでもない全能感に包まれた。

「ひょほほ! どうじゃ、まるで生まれ変わったような気分じゃろう?」

「あぁ、本当にその通りだよ……っ!」

 一億年の修業にいた俺の手には、剣術の理が握られていたのだ。

(でも、まだだ……まだ……っ)

 これじゃ駄目だ。このぐらいじゃ、きっとドドリエルには勝てない。

 確かに俺は、今までとは比べ物にならないほど強くなった。

 もしもあいつとのけつとうり・斬り上げ・はらいのような『単純な斬撃』のみならば、少なくとも互角以上の戦いができるだろう。

(だけど、ドドリエルには時雨流の『わざ』がある……)

 流派の技とは、すなわち時間のけつしよう。先人が長い年月を掛けて生み出した必殺の斬撃だ。

 どこの流派にも入れてもらえなかった俺は、それを何一つとして持っていない。これはとてつもなく大きな『差』を生む。

(その大きな差をめて、あの天才剣士に打ち勝つためには──やっぱり『特別なナニカ』が必要だ……っ)

 そしてそれを身に付けるためには、まとまった時間がいる。

「なぁ、もう一度……。もう一度だけ、一億年ボタンを押させてくれないか……?」

 俺がもとで聞いてみると、時の仙人はニィッと口角をり上げた。

「あぁ、いいともいいとも……。!」

 そうして彼は、快く一億年ボタンをわたしてくれた。

「ほ、本当か!? ありがとう、ありがとう……っ!」

 俺はちゃんと感謝の言葉を述べ、再びそのボタンを押したのだった。


    ■


 気付けば俺は、またあの『時の世界』に立っていた。空中に浮かぶ大きな時計は、000000000年1月1日00時00分01秒を指している。

(今、になるんだろうな……)

 十をえたあたりからは、さすがにもう数えていない。多分、十四か十五あたりだろう。

 なんとなくだけど、二十には届いていない気がする。

 ──あれから俺は、現実世界と時の世界をいくとなく往復した。特別なナニカをつかむため、ただもくもくと修業に励んだ。しかし……その結果はかんばしくない。

(これが『才能のかべ』なのかな……)

 後もうちょっとのはずなのに……。その『もうちょっと』がとてつもなく遠い。目の前にはとうめいな分厚い壁が──絶対的な才能の壁がそびえ立っていた。

 これまで幾度となく感じてきたぼんじんと天才の差……いや、落ちこぼれと天才の差。それを今、かつてないほどはっきりと認識することができた。

 それでも俺は、あきらめなかった。『努力は必ず実を結ぶ』──母さんの言葉を信じて、来る日も来る日も無心で剣を振り続けた。

 するとそんなある日──とつぜん、異変が起きた。

「こ、これは……っ!?」

 いつものように剣を振り下ろしたそのしゆんかん、剣先の通った空間がわずかに

 決して見間違いなんかじゃない。ほんの少しだけど……空間を、世界をち斬ったのだ。

「は、はは……。これだよ、これ……っ! 俺が求めていた特別なナニカは、この斬撃だ!」

 才能の壁に小さな穴が開いた。十数億年もの努力が、ようやく芽を見せてくれた。

 俺はその後、十万年、百万年とひたすら剣を振り続けた。剣先の通った後にできる『揺れ』は、日を追うごとに大きくなっていく。成長を実感できること、それがたまらなくうれしかった。

 そうして一心不乱に素振りをり返していると──気付けば、空中の時計は099999999年12月31日23時59分30秒を指していた。

 もう後三十秒もすれば、また現実世界へ引き戻される時間だ。

「ふー……っ」

 ──

 次の一振りで『特別なナニカ』……いや、『世界を断ち斬る斬撃』が手に入る。

 かわからないけど、俺にはその確信があった。

「この時の世界とは、もうさよならだな……」

 世界を断ち切る斬撃が完成したら、俺はいよいよドドリエルとの決闘にのぞむ。

 十数億年もの間、ずっとお世話になってきたこの世界とは今日でお別れだ。

 そう思えば、何とも言えない不思議な気持ちが込み上げてくる。

 嬉しさ、悲しさ、こいしさ……それらがないまぜになった複雑な感情だ。

「──よし、やるか」

 気持ちの整理をつけた俺は、大上段に構えた剣を一気に振り下ろす。

「ハァッ!」

 その瞬間、空間にきよだいれつが走り──時の世界は音を立ててくずれていったのだった。

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