一:一億年ボタンと時の世界 4

 この異界に来てから早十年。俺は毎日毎日ずっと素振りを続けた。十年も剣を振り続けていれば、『けんじゆつ』というものがわかるようになった。

(最適化されたとでも言えばいいのだろうか……)

 剣を縦に振り下ろすとき、どのタイミングで力を入れるのか、逆にどのタイミングで力を抜くのか。あいまいな感覚ではなく、はっきりとした実感をもってわかるようになった。

 百年後。

 この頃には、様々なわざを身に付けていた。例えばこんな風に、

「一の太刀──えいッ!」

 飛ぶざんげきまでてるようになった。

 自分で編み出した様々な技に、名前を付けてみたりもした。まるで流派の開祖になったような気がして、とても楽しかった。

 千年後。

 ……少し、つかれてきた。肉体的な疲れではない。多分、精神的なものだ。

 毎日毎日同じことのり返し。剣を振って、ご飯を食べて、寝る。千年もの間、ただずーっとそれだけをして過ごしてきた。新たなげきのない、無味かんそうで単調な毎日。来る日も来る日も同じことの繰り返し。その生活に心が疲れてしまった。

 ある日、俺はちょっとした気晴らしにと思って散歩してみた。

 するとおどろいたことに、この異界は思っていたよりもずっと

 結論から言えば、ここは小さな球体だ。家を出てしばらくぐ歩けば、すぐ家の裏口につく。ここはグラン剣術学院の校庭よりもはるかに狭い、とても小さな世界だった。何というか、このとき初めて『さびしい』と思った。

「母さん、元気にしてるかなぁ……」

 そうして俺は、今日も一人剣を振り続ける。

 一万年後。

 人間というのは不思議なもので、このかんきようにもすっかり適応することができた。

(思い返してみれば、五千年あたりが一番きつかったな……)

 あのときは肉も魚も野菜も──どれを食べても全く同じ、味のないゴムをんでいるようだった。ドアノブにあいさつをするのが日課になったあたりで、これはさすがにまずいと心底思いつめた。

 しかし、そんな危機的じようきようは、案外簡単に乗りえることができた。

 人がいないどくな環境を『当たり前』だと認識したその瞬間、心がスッと軽くなった。空を飛べないことに対し、だれも不思議がったりはしない。鳥みたくつばさがないんだから、それは『当たり前』のことだ。つまり──この誰もいない孤独な環境を『当たり前』と認識できれば、それはもうただの日常であり常識と化す。

 まぁ早い話が『心の殺し方』を覚えたというわけだ。

「──ふっ! はっ! せいっ!」

 そうして俺は剣を振り続ける。誰もいない孤独で、それが『当たり前』な世界で。

 十万年後。

 最近、剣術以外のことにも目を向けるようになった。特に熱を入れているのは──料理だ。これが中々どうして奥が深い。の入れ方一つで、食材は様々な顔を見せてくれる。

 俺はまな板の前に立ち、静かに意識を集中する。

「八の──がらすッ!」

 せつ、八つの斬撃が宙をい──まな板の魚を八枚におろす。

 さばき立てでせんばつぐんのおさしに軽くしようをつけ、そのまま口へ運び込む。

「──うん、おいしい!」

 その後、書庫にあった料理本を参考にして様々な技を覚えた。半月切り、乱切り、短冊切り。そこには俺の知らない様々な斬撃がっていた。

(これをしようさせれば、きっととんでもない技になるぞ……!)

 そんな期待と興奮に胸をふくらませながら、俺は厳しいしゆぎようのぞんだ。

 百万年後。

 結論から言えば、期待ハズレだった。

 料理は料理、剣術は剣術──こんな簡単なこと、冷静に考えれば誰にだってわかる。

 いくら千切りが早くなったところで、それはどこまでいっても千切りの域を出ない。

 俺がたおすべきは、天才剣士ドドリエルであって、肉厚のキャベツではない。

(ぐっ、なんて時間の無駄をしてしまったんだ……っ)

 どうやら俺の頭は、少しばかりおかしくなっていたようだ。

 しかし、それも無理のない話だろう。なにせこの誰もいない何もない世界で、心を殺しながらずっと一人で剣を振っているのだから。

「ふー……っ」

 大きく深呼吸をして、心と体を落ち着けた。

(……だいじよう、まだあわてるような時間じゃない)

 なんと言っても、俺にはまだ九千九百万年もの時間が残されている。

(よし……とりあえず、今できる最善をやり続けよう!)

 そうしてしっかり気持ちを切りえた俺は、再び『剣術の道』をまいしんし始めたのだった。

 一千万年後。

 俺は新たな修業法として、『自分自身と戦う』すべを身に付けた。

 意識を集中させ、ゆっくりと目を閉じれば──まぶたの裏に自分の姿がかび上がる。

 もう一人の俺とも呼べるその存在は、すさまじい殺気を放ちながらせいがんの構えを取った。

 どこまでも基本に忠実なそれは、全くと言っていいほどにすきがない。

 それに対して俺は、鏡合わせのように正眼の構えを取る。

 そうしてたがいの視線がこうさくしたしゆんかん──まるで取り決めがあったかのように、俺たちは同時に駆け出した。

「「ハァ……ッ!」」

 剣と剣が激しくぶつかり合い、かんだかい音と共に火花が舞い散る。

 両者の技量は、当然ながら完全にかくだ。互いが互いの剣術を熟知し、その弱点をも知りくす。いつまでも終わらない、果てのないけんげき

 俺の剣術は、今まさに『しやくねつの時』をむかえていた。

 五千万年後。

 ちょうど『一億年の半分』が過ぎたあたりで、フツフツとしようそう感がき上がってきた。

 五千万年というほうもない時間、ただひたすら剣を振り続けた結果──才能のない俺も少しは強くなれた……と思う。

(だけど、今のままで本当に天才剣士に勝てるのか……?)

 ドドリエル=バートンは、百年に一度の天才だ。あいつは都でも有名な時雨しぐれりゆうもんていであり、その中でも一、二を争うほどの実力だと聞く。

 あの細身からは想像もできないあつとう的な身体能力。様々な剣をまるで手足のようにあつかう器用さ。一目見ただけで、ありとあらゆる技をほうする剣術の才能。ここら一帯でドドリエルの名を知らない者はない。まさしくグラン剣術学院『最強の剣士』だ。

(……このままじゃだ)

 俺の剣には『ナニカ』が足りていない。

 気持ち・経験・すごみ──それがいったいなんなのか、今はまだよくわからない。

(だけど、ドドリエルを倒すような『特別なナニカ』が欠けている……っ)

 残り時間は『まだ』五千万年……いや『もう』五千万年しかない。

 ふと思い返してみれば、本当にあっという間の出来事だった。

 一億年ボタンを押したことが、つい昨日のことのように思い出される。

(とにかく、急がないと……っ)

 そんなあせりに心を焼かれながら、

「──ふっ、はっ、せい!」

 俺は一心不乱に今日も今日とてりを続けた。せまる勢いで修業にはげみ、朝昼夜の区別なくすべての時間を剣術へ注ぎ込んだ。

(くそ、な……っ)

 時間というのは不思議なもので、集中すれば集中するほどにその『速度』を増していく。

 楽しいことをしているときの時間は、一瞬で過ぎてしまうというあの現象だ。

しい』『短い』『もう少し』──そう思った瞬間、時間は加速してしまう。

 そうしてひたすら剣を振り続けていると、気付けばもう『終わり』がきてしまった。

 空中に浮かぶ時計はついに099999999年12月31日23時59分59秒となり──その一秒後、この世界はゆっくりとほうかいし始めた。

「終わっ、た……」

 大きな白い家と役目を終えた時計は、白いりゆうとなってゆっくり消えていく。

 俺という存在が、現実世界へ引きもどされていく。

(後もう一度だけ、もう一周だけ──『一億年』がしい……っ)

 ドドリエルに勝つための『特別なナニカ』は、きっともうすぐそこだ。手をばせば、指がかりそうなところまできているはずだ。

(くそ、後ほんの少しなのに……っ)

 俺はそんな歯がゆい思いを嚙みめながら、世界の崩壊にまれていった。

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