一:一億年ボタンと時の世界 3

 ふと気付けば、俺は見知らぬ場所に立っていた。

「……ここは、どこだ?」

 グルリと周囲を見回すと、どこまでも広がる茶色い土と大きな白いいつけんが目に付いた。

 それからもう一つ──空中に浮かぶきよだいな数字のれつ

 000000000年1月1日00時01分31秒。

 一秒一秒と時を刻むそれは、おそらく時計のようなものだろう。

 ひとまず身の危険がないことをかくにんした俺は、次にこんなところに立っているのかを考えた。

「確か時の仙人からみような話を聞かされて……そうだ、一億年ボタンを押したんだ」

 そうすると……この不思議な場所は、彼の言っていた『異界』か?

「は、はは……っ。じょ、じようだんだろ……?」

 乾いた笑いがこぼれ、頭が真っ白になった。つうに冷静に常識的に考えれば──あり得ない。一億年ボタンなんて噓っぱちだ。そんなものはおとぎ話の中の出来事だ。この現実世界に存在するわけがない。

 だけど──このを見せられたら、一億年ボタンの存在を認めるしかなかった。

「絶対おかしい……よな?」

 上を見上げ、どこまでも続く青い空を見やった。

「……ない」

 そこにはあるべきはずのものが──『太陽』がなかった。それにもかかわらず、世界はまぶしい。暖かな光で満ちている。光のないところに光が差し、その反面どこにも『かげ』がない。言うならば、。こんなものを見せられれば、ここが現実世界とはちがう『異界』だと認めざるを得ない。

 一瞬「夢か?」と思って、ほおをつねってみたが……すぐににぶい痛みが返ってきた。

 俺の意識は、感覚は、肉体は──確かにこの場所に存在している。

「間違いない、一億年ボタンは実在したんだ……!」

 そう結論付けた俺は、時の仙人の言葉をゆっくりと思い出した。

「『一億年ボタンを押した者は異界へ移動し、そこで文字通り一億年の時を過ごす』、だったよな……?」

 顔を上げて、空中に浮かぶ巨大な時計をジッと見つめた。

 時の仙人の話が事実ならば──あの時計がちょうど一億年を示すその瞬間まで、俺はずっとこの異界で修業をすることができる。

「──よし……よしよし、よしっ!」

 うれしさのあまり、思わずさけんでしまった。

(勝てる……勝てるぞ……っ!)

 これだけ時間があれば、あの天才剣士──ドドリエルにだってきっと勝てる!

「まさかあの話が本当だったなんて……っ」

 ここから出たら、ちゃんと時の仙人にお礼を言わないとな。

「……っと、こうしちゃいられないぞ!」

 俺はすぐさま剣を引きき、りを始めた。時間というのは、長いようで短い。一億年なんて、きっとあっという間に過ぎてしまうだろう。

(せっかく手に入れた大チャンス。一秒たりともにしてたまるか!)

 それから俺は一心不乱に剣を振り続け──次に時間を確認したのは、グゥーッとおなかが鳴ったころだった。

「あれ、もうこんな時間か……」

 空中の時計を見れば、すでに二十時を回っていた。

 ここには太陽がないため、少し時間がわかりづらい。

「よし、そろそろ飯にしようかな」

 俺は素振りを中断し、目の前にある大きな白い家へ入った。

「──おぉ、外見よりだいぶ広いな!」

 母さんの住む実家よりも、今住んでいるりようよりもずっと広い。それにとてつもなくれいだ。まるで毎日そうされているかのように、わずかなほこりさえ見当たらない。

「えーっと、食材はどこにあるんだっけ……?」

 時のせんにんの話によれば、無限に食料が湧き続ける魔法の食糧庫があるはずだ。

 その後、軽く家の中を散策すると台所に巨大な冷蔵庫を見つけた。

「もしかして、これかな……?」

 観音開きの大きなとびらを開けるとそこには、

「おぉ!?」

 肉に野菜、魚に牛乳──ありとあらゆる食材がぎっしりとめ込まれていた。ちょうど目の前にあった大ぶりのトマトを手に取り、服で軽くいてからひと思いにかぶりつく。

「……っ! う、うまい……っ!」

 まるで今朝けさしゆうかくしたばかりのような、しんせんで青々しい甘みが口の中をけ抜ける。

 それから俺は調理のいらない干し肉と野菜を食べて、すぐに浴室へ向かった。

「で、でかいなぁ……!」

 想像していた十倍ぐらい大きいおだった。それに──。

「あぁー、いいお湯だ……」

 どういう仕組みになっているのか、調整も何もしていないのに湯加減はばっちりだった。

 熱過ぎず、ぬる過ぎず──ほどよい温かさのお湯が、ゆっくり全身の筋肉をほぐしていく。

 その後、お風呂から上がった俺は、すぐにたくを整えてしんしつへ向かう。ちゆうで書庫のようなものを見かけたが、そこはサッと素通りした。修業以外のことに時間をかけるつもりはない。そんなことをしていたら、一億年なんてあっという間に過ぎてしまう。

「ふっかふかだぁ……」

 寝室にあった大きなベッドは、この世のものとは思えないくらいやわらかかった。しかも、ただ柔らかいだけではない。体をしっかり受け止めてくれる強さもあった。

 軽くて温かいとんに包まれながら、ポツリとつぶやく。

「……最高だ」

 おいしいご飯、気持ちのいいお風呂、柔らかいベッド。そして何より──一億年という長い時間。これ以上はない。まさしく最高の環境だ。

「へへっ、こんなところで一億年も修業してみろ……。きっと凄いけんになれるぞ……っ」

 明るい希望と強い野望を胸にいだき、俺はゆっくりとねむりについたのだった。

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