第15話 対決

「一人で境内に上がって、まずはお地蔵様にお詫びして、それから、お堂のあったところが二人の寝所になっているから、その前に行って、誠心誠意お詫びして、奥さんとお子さんを助けてくれるようお願いするのね。奥さんとお子さんを殺すのは二人の考えではないから、助けてくれるかもしれないけれど、基本的に怒りで我を忘れている状態だから、あなたのお詫びの言葉を聞いてくれるかどうかも、半々ってところね」


 猿山は決心し、両拳を握りしめ、40段の階段を闇に向かって上り出した。

「先生、カメラは駄目ですかねえ?」

 等々力がいかにも撮りたそうに訊いたが、

「駄目」

 と紅倉に睨まれてしまった。

「猿山……」

 蟹沢は自分も心の中でこの地の霊たちに謝り、どうかこの男を許してやってください、と猿山の背中を見送りながら祈った。




 公園の入り口に立つと、空気が妙に濃く、まるで閉め切った室内のように大気の動きが感じられなかった。

 なんだか生臭さを感じる。今の猿山はその臭いを知っていた。赤い目の紅倉が醸し出した、死臭だ。あれほど強烈ではないが、闇のそこかしこに淀んで、それが活性化するのが感じられた。

 重い空気がうごめく。

 いくつもの生臭い空気の塊が、猿山がやってくるのを待ち構えている。

 キインと耳鳴りがして、頭に受けた激しい痛みがフラッシュバックする。

 闇が笑っているのを感じる。

 馬鹿が、またのこのこやってきて、またいたぶってやろう、と残酷に喜んでいる。

 行かなくちゃ駄目なんだ、真弓の為、生まれてくる真一の為に……

 猿山は震える足を踏み出した。

 左手に大きな石灯籠が立っている。

 右手に、さわり地蔵……

 地蔵の周りにも杭が立てられロープが張られていた。

 また首が無くなっている。

 地蔵に向かって歩き出した猿山は、ギクリと心臓を躍り上がらせた。

 地蔵の奥の地面に、白い首が置かれていた。

 まるで生首が生えているようで、きっとまた誰かがイタズラでここに置いたのだろう。

 猿山はその小さな白い首を両手ですくい上げて、そうっと、胴体に据えた。

 一歩下がり、手を両脇にぴったり付け、

『申し訳ありませんでした…………』

 と、深々腰を折って謝った。

 たっぷり1分以上目を閉じてお詫びし、目を開けると、闇に慣れて地蔵の姿が浮かび上がるように見えた。

 その目を奥のお堂のあった場所に向ける。

 地面に石畳が延び、その先に柱の載っていた丸い石が4掛ける3だろうか並んでいる。

 背後がざわつく。この馬鹿が、ボスのお怒りを買えばまたリンチにかけられる、と期待しているのだ。ろくでもない連中だ。猿山は怒りを感じたが、紅倉の解説によればこの連中をここに集めたのは自分のような人間たちで、怒る資格など自分にはないのだと思って気分が沈んだ。

 だが。

 猿山は石畳の上を歩いて行き、前をしっかり向くと、手を合わせ、命を懸けるつもりで強く念じた。


『俺が馬鹿でした。人の墓をおもちゃにしてふざけるような真似をして、本当に申し訳ありませんでした。その罰は、いかようにも俺に与えてください。

 でも、あなた方の墓を穢しているのは後ろの連中も同じだ。俺と同じろくでもないクズ野郎どもだ。どうかこんな連中の口車に乗って、自分の魂まで穢すようなことはしないでください。

 俺の、妻と、生まれてくる息子を、どうか、助けてください!

 罰は俺が受けます。よこせと言うなら命も差し上げます。でも、どうか、家族には手を出さないでください。お願いします。お願いします。お願いします…………』


 猿山は必死に祈り、背後が苛立たしく騒ぐのを感じた。真っ当な正論をボスに訴えられて、怒りの矛先が自分たちに向けられるのを恐れているのだ。

 お願いします、お願いします、お願いします…………

 猿山は必死に祈り続け、背後のざわめきはますます大きく、苛立たしげになってきた。猿山はますます祈りに心を込めた。

 ドン、と何者かに背中を激しく押され、前につんのめった。

 連中が我慢し切れずに直接攻撃してきたのだ。

 猿山は手を合わせ、しっかり目を閉じ、祈り続けた。

 ドン、ドン、と背中や肩、頭をぶたれたが、よろめきながらも猿山は祈りをやめなかった。どんなに怒りに駆られていようと、まともな人間ならきっと聞き届けてくれるはずだ、と信じて祈り続けた。あなた方はこいつらとは違う、どうか、どうか、馬鹿な俺の命懸けの願いを聞いてくれ!…………………




  如来観知 一切諸法之所帰趣 亦知一切衆生深心所行 通達無礙 又於

  諸法究尽明了 示諸衆生一切智慧 ・・・・・・・




 読経の声が聞こえ、背後がしんと静かになり、猿山はそっと目を開けた。

 女の背中が正座して経を読んでいる。

 大きな女で、この寺を管理していたという老婆の幽霊には見えない。

「あなたは、北条先生ですか?」

 白い着物に黒い袴をはいて、裾をきれいに切りそろえた黒髪に、女性にしてはたくましい四角い背中。等々力が行方を捜して分からなかった北条百依霊能師だ。

 北条は猿山の問いかけに答えず読経を続けた。

 10分ほども読み続け、ようやく終えても、そのままの姿勢で、こちらを向かなかった。

 読経が終わったことで、背後がまたざわつき出した。距離をとってまだ遠慮がちで、連中も迷っているのを猿山は感じた。

 北条の肩が揺れ、腰をひねってゆっくり振り向いた。

 ひ……、と猿山は息をのんだ。

 北条の顔は肌が陶器のようにやたらつるつるして真っ白く、瞳の色が失せて、ほとんど消えかかっていた。

 口が開いて、息が漏れ出し、猿山は思わずうっと顔をしかめた。腐ったどぶの臭いがした。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、」

 北条が膝を立てて立ち上がり、両手をすがるように猿山に伸ばした。左手にかかった数珠が、ひもが切れて珠が落ち、バチバチと石畳に跳ねた。

「あ、あ、あ、あ、あ、」

 北条に迫られて猿山は思わず後退した。北条の状態がよく分からない。これは、生きた人間なのか? いきなり読経と共に現れて、いったいどこからわいて出た?

 背後のざわつきにハッとした。ここで逃げては駄目だ。連中が戸惑っているのなら、北条は、ボスの側に近いはずだ。二人の霊魂が乗り移っているのかもしれない。それなら、彼女のやることが二人の意思で、それによって、妻と子の生死が決まるのかもしれない。

 猿山は逃げるのをやめ、すると北条の白いロウのような手が、猿山の首に掛けられた。まずその冷たくぬめった感触におぞけが走った。しかし耐えると、二つの手が、撫でるようにして、やがて、ググウ……っと、締め付けてきた。

 苦しさに手が上がって、北条の腕を掴んだが、そのまま耐えた。

 殺すなら殺せ。だが、どうかこれで許してくれ…………………

 グウウ……っと、喉を潰すように締め上げた手が、止まった。

 猿山は細い気道で苦しみながら呼吸し、体をブルブル痙攣させながら、頼む、さっさと殺してくれ、と願った。



「こちらにおいででしたか。修行されたお寺と、どちらだろうなと思っていたのですが」

 声をかけながら紅倉が入り口から歩いて来た。後ろに芙蓉と、カメラを構えた等々力と三津木、高谷、蟹沢、菊池と、ぞろぞろ続いて、芙蓉以外は入り口のところで横に広がって、奥には来なかった。

 紅倉は2メートルくらいのところで止まり、猿山を挟んで北条と向かい合った。

「わたしの話、分かります?」

 どうも分かってないようだなあ、と困って、紅倉は呼びかけた。

「北条さん。あなた、その人をどうするつもりです? そのまま絞め殺せば、もちろんあなたは殺人犯です。それをこうして大した邪魔立てもせず眺めているわたしたちも……とっても困るんですが?」

 北条は一応紅倉に目は向けているのだが、表情に知性が感じられず、考える手がかりがつかめていないように思えた。

「おーい、死んじゃいますよー?」

 紅倉が、手を放して、とジェスチャーをして、北条はのろのろと手を緩めて、猿山を解放した。

 猿山はガタガタ震えていた脚に力が入らず、地面に尻を着くと、ゲホゲホと咳き込んだ。

 紅倉はほっとして、ほうけたように自分を見ている北条に話しかけた。

「お寺には行かなかったんですか? あなたと、藤原先生が修行したお寺です」

「て……ら…………」

 北条はぼうっとした顔で考えた。二人が修行した寺は長野県の山中にある。紅倉は表情を曇らせ、

「行けなかったんですね」

 と気の毒そうに言った。

「そう思い立った時には手遅れでしたか。あなたはお師匠さんが殺されて、その復讐を考えてしまったんですね。それが自分を救う道を閉ざしてしまいました。こんなに霊体を汚染されてしまって、なまじ霊感が強かったのが仇となりましたね。でも……」

 紅倉は一生懸命北条の心を読もうとして、言った。

「ここにいるということは、何か思うところがあったのでしょう? あなたは、どうしようと思ったんです? お師匠さんを死なせる原因を作った馬鹿なお笑いタレントに復讐しようと思ったんですか? それとも、怒れる怨霊を鎮めようと思ったんですか?」

 北条は、思考が止まってしまったようにぽかあんと口を開けたが、ふつふつと薄い灰色の瞳に暗い水色が浮いてきて、突如、表情が変わった。

「うわああああ、わああああああああ」

 大声でわめき出し、むき出された生の感情に一同は思わず耳を塞ぎたくなった。

 紅倉も険しい表情で見つめた。

 北条はわめきながら、自分でもその感情を理解できず、ぼろぼろ涙をこぼし、どうしたいのか、猿山に抱きつき、わあわあと、耳元で大泣きし、抱え込んだ頭をかきむしった。猿山は不快感にひたすら耐え、自分を頼る北条の背中を撫でてやった。

「わたしにも北条さんの気持ちは分かりません」

 紅倉はひどく残念そうに言い、

「けれど、恐らくは、霊能師としての使命感で、この地の怨霊を鎮めようとしたのではないでしょうか? そこに至るまでに葛藤があったでしょう。一時は他のスタッフたち同様、完全に悪霊の支配に隷従していました。けれど、必死に戦って、その支配からは脱したのでしょう。けれど、それは自分の霊体を引き裂くほどの苦しい戦いで、自分を救うことは出来なかった。自分という人間の精神は破壊され、思考は元より、まともな感情も持てず、訳の分からない世界に怯え、なす術もなく恐怖するだけの、壊れた魂になってしまった」

 紅倉は軽く振り返って言った。


「幽霊ってね、こういう悲しいものなのよ」


 きっ、と前を向き、芯の強い言葉で言った。

「彼女の悲しみが、あなた方には分かるでしょう? 彼女に免じて、この愚かな男性を許してやってください。あなた方自身も、周りにいる低俗な連中とは手をお切りなさい。あいつらは、ここを汚す人間たちと、何一つ変わりないわ」

 紅倉はじいっとそこにいるらしい霊魂と睨み合い、話がまとまったのか、少し表情を和らげた。

 振り返ると、右手を斜め下に構え、

「おりゃあっ!」

 気合いを入れて大きく上へなぎ払った。

 ごおおおっ、と赤い風が周りの木々の間を吹き抜け、風の音に混じって、多くの人間の悲鳴のようなものが聞こえたような気がした。

 風が収まると、辺りはしんとして、気のせいか、空気がきれいになったように感じられた。

 紅倉は、ハッ、と息を吐き、事件の終わりを宣言するように言った。

「後はまた馬鹿な人間が馬鹿なことをしないのを祈るだけね。でないと、また同じことの繰り返しになっちゃうわ」

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