第13話 襲撃

 霊能師北条百依の家はO公園のあるH市にほど近いK市にある。

 猿山のマンションはS区にあった。距離だけ考えれば紅倉たちのいるVメディアの方が近いが、時間的に道路の混雑を考えると等々力の方が早く着いたかもしれない。ちなみにアートリングは多くの番組制作会社がテレビ局のある港区にある中、都心から外れたM市にある。


 等々力はチーフADの高谷、一番下っ端の柄田、紅一点の好き者万條の三人と共に行動していた。

「緊急事態だ、飛ばせ飛ばせー!」

 助手席でうるさい等々力を迷惑に思いながら高谷は比較的空いている都心方向をお巡りさんに捕まらない程度に精一杯急いだ。


 マンション駐車場に着いたのは8時10分だった。

 マンションは真新しい15階建てで、猿山家は14階だった。上の2階だけペントハウス仕様で間取りが広く、4部屋ずつしかない。

 エントランスもセキュリティーがしっかりしていて、自動ドアが2重になっていて、外のドアは普通に入れるが、入ったところにナンバー入力と指紋認証のパネルがあって、住人でないと内側のドアは開けないようになっている。

 等々力はパネルのインターホンで猿山家の1405号室(04の部屋番号はない)を呼び出し、奥さんに部屋のパネルで開けてもらい、中に入った。

 入ると窓口があって、セキュリティー会社から派遣された管理人が24時間常駐している。今つめているのは青い制服の若い男性だ。等々力は

「ご苦労さんです」

 と挨拶してバタバタとエレベーターに向かった。


 部屋へ入るのも指紋認証で、奥さんに開けてもらって、

「どうも。アートリングの等々力と申します」

 と挨拶すると、一度エントランスのモニターで見ている奥さんは

「ご苦労様です」

 とほっとしたように微笑んで等々力たちを招き入れた。奥さんは現在妊娠6ヶ月。マタニティーのワンピースのお腹がまんまるに張り出している。

 居間で落ち着くと等々力が自分の知っている範囲で状況を説明した。怨霊に祟られているなど普通はまず疑うところだろうが、奥さんはこれまでの経緯から素直に受け取り、ただ問題にしなければならないのは、やってきた彼らが頼るに足る一団であるかだ。

「紅倉先生は本物です」

 等々力は我がヒーローを胸を張って自慢した。

「相手がどんなに強力な悪霊であろうと、お化け相手なら、紅倉先生は無敵ですよ!」

 高谷も万條も、

「そうそう、紅倉先生ならね」

 と、うんうん頷いた。

 奥さんはお化けの専門家なんてやたらと陰気で気味の悪い人物の集団を想像していたのが、等々力一味は明るく軽いノリで、頼りになるかはともかく、信用は出来そうだと思った。


 ピンポーン、とインターホンの呼び鈴が鳴った。


「こんな時間に誰かしら? 宅配便かしら?」

 このマンションでは宅配便の場合、基本的に住民が1階の管理室に取りに行かなければならない。重い荷物の場合、管理人が部屋まで運んできてくれるが、その間は管理室が空になって外部の人間は入れなくなってしまうので、出来るだけ自分で取りに来てほしいということになっていた。

 奥さんがよいしょと立ち上がって壁のインターホンに向かおうとすると、

「あ、ちょっとお待ちを」

 と等々力が止め、自分が見に行った。

 ボタンを押してモニターをつけると、20代半ばのカジュアルなジャケットの男が映った。

「配達員には見えませんなあ。玄関の管理人君とも違うなあ」

 等々力は考え、

「万條君。君、出なさい。奥さんのふりをしてな」

「アイアイサー」

 万條はお気楽に敬礼してインターホンに向かった。

 等々力と位置を代わり、コホンと咳払いし、通話ボタンを押した。

「どちらさまでしょう?」

 万條は丸い童顔をしているが、この顔は年齢詐称で、奥さんと同年齢だ。知り合いが吹き出すような奥様声を出したが、上手いものだ。

『あ、奥さんですか?』

 向こうにはモニターがなく、こちらの姿は見えない。

『俺、旦那さん、一郎さんの友だちです。ちょっとお話ししたいことがあるんで、部屋に通してもらっていいですか?』

 となりで聞いている等々力が首を振った。

「お話ってなんでしょう? 主人は今不在なのでお通しするわけにはいかないんですが」

『そんなこと言わないでさあ、通してよ、奥さあん』

 男はへらへら笑って言い、万條は、何このキモい奴、と顔をしかめた。

「お話ってなんですか? あの、あなた、どちらさまです?」

『俺? 第一テレビの神林って言います。実は旦那さんに奥さんの相手をしてやってくれって頼まれたんですよお』

「はあ? どういうことです?」

『最近、旦那、しょぼくれちゃって駄目でしょ? 俺、妊婦さん相手でも全然オーケーだから。見たいなあ、大きいお腹。ね?見せてよ?』

 何言ってんだこの変態野郎、と万條は思わずモニターから顔を逸らして横目で睨んだ。

 男の顔がぐっとモニターに迫った。

『奥さあん。しっかり、俺の顔、見てよ? 旦那を救ってやりたいだろう? なあー?』

 広角レンズで男の目が気味悪く広がって見える。黄色く濁って血走った目から、なんだかもやもやと得体の知れないエネルギーがモニターを突き抜けて迫ってくるように感じられた。

 等々力の手が伸びてモニターをブチッと切った。後ろで青ざめている奥さんを振り向き。

「こりゃあ典型的な悪霊に取り憑かれた顔ですなあ。悪霊の話なんてまともに受け取るこたあありませんよ」

 ここにいる者は知る由もないが、『第一テレビの神林』を名乗った男は、VTRの中で、三脚を振り上げてさんざんに猿山を殴った、Vメディアのスタッフだった。

 等々力が管理室への直通ボタンを押し、すぐに管理人が映った。

『どうされました?』

「エントランスに変質者がいるぞ。セキュリティー会社に通報してくれ」

『分かりました。ただちに通報します』

 マニュアルが徹底しているようで、管理人はその場でセンターに連絡を入れた。

『すぐにパトロールが来ます。この男ですね? 録画されていますので、必要があれば警察に通報します。1405室、猿山さんのお宅ですね? 状況を確認後、ご連絡と、それから事情をお尋ねすることになると思いますが』

「了解です。よろしくお願いします」

 モニターはいったん切れた。

「どうしましょう? 俺、様子を見てきましょうか?」

 高谷が訊いて、等々力はどうしようか考えたが。

「いや、ここは安全第一だ。俺たちの任務は奥さんをお守りすることだ。なあに、ここのセキュリティーは万全だ、相手が生身の人間である以上、中に入ってこられやしないさ」

 じっと待っていると、ブー、と管理室から呼び出しが来た。モニターをつけると管理人が映った。

『パトロールが到着しましたが、不審者は出て行きました。侵入はしていませんのでご安心ください。パトロールが周囲を調べますので、またしばらくお待ちください』

「はい、よろしく」

 ほらね、と等々力は余裕の表情を奥さんに見せた。

「悪霊ったって、そうそう大したことが出来るわけじゃあありません。じきに紅倉先生が本体の方をやっつけてくれて、そうすりゃあこっちの騒ぎも収まりますよ」

「しかし社長、相手が消えたっていうのがかえって不安ですねえ」

 柄田がこわごわと肩を縮め、等々力は、余計なこと言うなよ、と渋い顔をした。

 管理室から連絡が来た。

『パトロールが周囲を調べましたが、不審者は見当たりませんでした。どうしましょう?警察へは通報しますか?』

「いや、逃げたんならけっこうです。ただ、録画したビデオは保管しておくようお願いします」

『分かりました。そのようにいたします。それでは、入り口のセキュリティーはお任せください。お休みなさいませ』

「はい、お休み。ご苦労様です」

 等々力は礼を言ってモニターを切った。

「さて、紅倉先生にはどうするかなあ? 向こうも活動中だろうからなあ」

 その頃Vメディアでは紅倉がVTRの隠れていた映像を暴き出してたいへんな緊張状態になっているまっただ中だった。

「三津木君にメールだけ打っとこう」

 と、等々力は三津木の携帯にメールを打った。

「これで向こうが落ち着いたら連絡が来ますよ」


 等々力は、

「どうぞ、奥さんは安心して休んでいてください」

 と言ったが、この状況で休んでいられるほど真弓夫人は太い神経を持ち合わせてはいなかった。

 いとこに1歳の男の子がいるという万條が話し相手になって、

「いやあ、赤ん坊の泣くパワーって驚異的ですよお」

 なんて、いとこの子育ての苦労を自分の手柄みたいに得意になって話し、奥さんを笑わせた。


 突然、


 天井のLEDの照明がふうっと暗くなり、古ぼけた蛍光灯のようにまたたいた。

 すると、

「うっ」

 と奥さんがお腹を押さえて苦しみ出した。

「どうしました? 大丈夫ですか?」

 万條が背中に手を当てて訊ねると、奥さんは万條の腕を掴み、ぎゅうっと絞るみたいに強く握った。万條は皮膚が切れそうになるのを我慢して、背中をさすってやった。

「しっかりしてください。救急車、呼びましょうか?」

 奥さんは真っ青になった顔に玉の汗を浮かべ、うんうん、と頷いた。

 万條のシリアスな顔を受けて、

「ちくしょうめ」

 等々力は119番へ電話した。急患が妊娠6ヶ月の妊婦であることを伝えると、通院先を訊かれたが、当人はもう答えられる状態ではなく、それを伝えると救急車を向かわせると答えた。

 妊娠中にはままこういうことがあるのだろうか? 等々力にも一人娘がいるが、既に高校生で、奥さんが妊娠中もろくでもない仕事で忙しくしていて、記憶にない。さっきはいとこの育児自慢をしていた万條も不安と必死に戦うだけで、若い男二人は言うまでもない。

 奥さんの苦しみ様は素人にも異常に思えた。

「社長、これは……」

 万條の訴えに、

「うむ」

 と頷き、等々力は携帯を見た。まだ連絡は来ない。紅倉ならこの異変に気づきそうなものだが……

「よし! 我々が奥さんとお腹の子を守るんだ!」

 等々力は力強く宣言し、

「おい!」

 と、男三人、手をつないで、外側を向いて奥さんと万條を取り囲んだ。

「悪霊退散!……と、気合いの壁を作るんだ!」

「ええ? 俺、そんな能力ないっすよ?」

 情けなく言う柄田に、

「ええい、わしもだ! とにかく、気合いだ! ファイヤアー!」

 と、無理矢理頑張らせて、それでも男たち三人は利くか利かないか定かではない気合いを精一杯大真面目に発し続けた。

 心なしか、奥さんの苦しむ様子が和らいだように感じられた。

 幸い近くに基地があったのか、じきに救急車のサイレンが近づいてきて、表で止まった。

 早く、早く、と念じていると、チーン、とエレベーターの到着音が聞こえ、廊下をバタバタ足音がやってきた。ピンポーン、と呼び鈴が鳴り、

「S消防署です。患者さんはこちらですか?」

 と呼びかけられた。


「はあーい!」

 等々力がでかい地声で応え、手を放してドアに向かおうとすると、携帯が鳴った。

「俺が」

 高谷がドアに向かい、

「もしもし」

 等々力は電話に出た。

 ドアが開かれ、

「患者は?」

「こっちです」

 救急隊員たちがなだれ込んできて、

『携帯を奥さんに向けて。早く!』

 紅倉の声が急かし、

 救急隊に混じって入ってきたジャンパーの男が、

「真弓! 大丈夫か!」

 と叫んで飛び出てきて、誰だ?と等々力組の面々が顔を向け、疲れ切った青い顔の奥さんも目を開いて、

 男は、残虐な笑顔を見せると、足を振り上げ、奥さんのお腹めがけて振り下ろそうとした。奥さんの目が恐怖に見開かれた。


『ハアッ!』


 等々力が向けた携帯から紅倉の気合いを発する声が響き、正体不明の男は真横に吹っ飛び、テーブルに脚を引っかけ派手な音を立ててひっくり返った。

『もう一人!』

 紅倉の声に等々力が反射的に携帯を掲げて振り返ると、今度はモニターで見た神林が物凄い顔で躍りかかってきた。


『ハアッ!』


 再び紅倉の気合いが発せられ、神林は、ドン! と、見えない力にぶつかられて後ろに吹っ飛び、玄関に頭から落ちて、ゴン! と、後頭部を打ち付けて気絶した。

『携帯を奥さんのお腹に!』

「はい、失礼」

 等々力があっけにとられた救急隊員を押しのけて奥さんの丸いお腹に携帯を当てた。

「あ、」

 奥さんは驚いた顔をして、すぐに、

「はあ……………」

 と、安堵した息をつき、そのまま眠ってしまった。

「ちょっと」

 救急隊員が等々力を押しのけて奥さんの容態を診た。

 奥さんの容態は急速に安定したようだが、ひどい貧血は間違いなく、病院へ搬送されることになった。

 ところで救急隊にまぎれてちん入してきた男二人は。

「先生。こいつらは何者ですか?」

『お待ちを』

 と応えたのは芙蓉で、紅倉に代わった。

『それは編集センターに出張していたVメディアのスタッフでしょう。悪霊に命じられて襲ってきたんでしょうが……こうなっては警察を呼ばないわけにはいかないでしょうね。そっちで通報してください。こっちで上手く収まるよう手配しますから』

「はあ……」

 ということで、高谷に今度は110番通報させた。


 病院に向かう奥さんには万條が付いていき、

 警察が到着する前に事態に気づいたセキュリティー会社のパトロールが慌てて飛んできた。

 警察が到着し、気絶している二人が警備員から引き渡された。管理人から事件前に不審者の通報があったことが報告され、この男に間違いありません、と神林を指して証言した。二人はやはり救急隊が到着した時に、『身内です』と偽り、一緒に中に入ったのだった。

 二人は港区のビデオ編集センターにいたVメデイアの社員に間違いなかったが、何故猿山夫人を襲ったのかについては、

 ……込み入った話しになりそうなところ、署から連絡が入り、事情聴取は後日ということで等々力たちは解放された。

 紅倉がどこかに工作をしたようだったが…………

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