第12話 再生

「大きい画面の方がいいでしょう」

 ということでとなりの、半分機材置き場、半分モニター室兼休憩所、の部屋へ移った。

 移動しながら紅倉は三津木に何やらこそこそ言った。三津木は頷いて、

「こっちにも等々力さんが欲しかったですねえ」

 と苦笑した。

 高い台に載った40型の液晶テレビに向かって、左右2人ずつ奥1人座れるようにパイプ椅子が置かれたテーブルが設置されている。

 紅倉は奥に座り、後ろに芙蓉が立ち、向かって左に猿山と蟹沢、後ろに三津木が立ち、右に峰守ディレクターと安達カメラマンが座り、後ろに社長と菊池が立ち、紅倉の肩越しの位置に三脚を拝借して高性能3CCDカメラが据えられテレビを狙い、周囲の要所にハンディーカメラを構えたスタッフたちが立って、それぞれ紅倉やタレント二人、スタッフ二人を狙った。

 ライトはつけず、天井の蛍光灯も消された。

 MiniDVカセットをセットされたハンディーカメラがテレビにつながれ、三津木のスタッフが操作して、テレビに映された。


 ザーッ、と雑音が流れて、嵐のように粒子がうごめくだけの黒い映像が続いた。


「ほらね、何も写ってない」

 峰守がひねた笑いを浮かべて言った。画面が黒いので照り返しもわずかで、肉眼では人影も見分けづらい。

「三津木さん。ご覧になってどうです? 本当に何も写っていませんか?」

「うーん……、どうでしょうねえ……」

 三津木は腕を組んでじっと画面を見つめた。雑音の中に具体的な音声は聴き取れないが、時おり大きくなる。うごめく粒子も、灰色が広くなったり、分かれたり、むらが現れる。

「いや、何かが写っていたような形跡はありますね。どうしたらこうなるのかな? 強い磁気でも当てたのかな?」

 気のせいか、灰色のむらが何か形を現すように見え、音声も雑音が大きくなった際に、小さすぎて聴き取れないが、何か物音や人の声らしき物が聞こえる……ような気がした。

 暗闇に目が慣れてきて、スタッフ二人の憮然とした顔が浮かび上がった。

 猿山も固唾をのんで食い入るように画面に見入っている。

 三津木は画面に注目しながらちらりと紅倉を見た。

 瞳を赤く光らせて悪魔的な顔になっている。

 紅倉は元々視力がひどく悪く、テレビなんて見えやしない。

 だが、今は誰よりもよく見えているのだろう。

 空気がひどく悪くなり、わずか数人を除いて室内にいる者は皆吐きそうな胸の悪さを感じ、それがどんどんひどくなっていった。

「す、すみません」

 社長がギブアップして口を抑えて出て行った。となりも給湯室を除いて灯りが消され、社長はその奥のトイレに駆け込んでいった。

 釣られて身動きする気配に

「耐えろ」

 と、三津木が低く命令した。

 これは死臭だ。

 紅倉が強く霊能力を発揮すると、自身が死に近づくのか、あちらの世界を招き寄せるのか、こうして死臭が立ちこめるのだ。

 三津木は慣れている。

 観察していて不思議なのが、芙蓉は顔をこわばらせながらも耐え、紅倉が平気なのは当たり前、不思議なのは、峰守ディレクターと安達カメラマン、それに猿山が、臭いには反応していないように見える。ただし、この三人は画面を凝視して、そっちの方で三人とも尋常でない汗を額にびっしり浮かべている。


『…………やめてくれえ…………』


 テレビから声が聞こえて、皆ギョッとした。

 急速に、ノイズが晴れてまともな映像が流れ出した。

 地面に横に倒れた猿山の恐怖と苦痛に歪んだ顔が映し出され、菊池が思わず、

「階段から転げ落ちたところかな?」

 と声に出したが、違った。

 スタッフの男性が三脚を凶器にして猿山の腹や脚を殴りつけた。

「なんだこりゃ……」

 これが猿山の全身打撲の真相だと言うのか?

 男性スタッフの手が猿山の髪の毛を掴んで頭を持ち上げ、地面に叩き付けた。猿山は白目を向いてまぶたをひくひくさせ、気絶したようだ。

 映像が切り替わった。猿山は手を後ろに回されてロープで縛られ、足首も縛られて、地蔵の前に転がされて、それをスタッフたちが半円になって見下ろしている。その中には峰守ディレクターと北条百依の姿もある。安達カメラマンがいないのは、撮影しているのが本人だからだろう。

 猿山は気がついたようだが、猿ぐつわをかまされて、ううう、とくぐもった声を上げた。

『猿山。みんなおまえのせいだ』

 画面の中の峰守ディレクターが言って、皆、思わず現実の峰守を見た。

 額にびっしょり脂汗をかいていた峰守が、骨に貼り付くような邪悪な笑いを浮かべていた。

 画面の中、スタッフたちが首からギプスを取り、すると真っ青な首の真ん中にぐるりと黒い入れ墨のような線がついていた。

『おまえのせいでみんな呪われちまったんだよ、さわり地蔵の祟りに遭っちまってるんだよ』

 全員の視線が猿山の上を向いて、猿山がハッと背後へ体をひねって視線を上げると、何に驚いたのか、ひゃあっという感じで前にゴロゴロ転がった。

『うわああっ!』

『ぎゃああっ!』

 スタッフたちも自分の首を押さえて狂ったようにわめき出し、カメラマンも苦しがっているのか画面がめちゃくちゃに揺れた。

『静かに!』

 北条が叱りつけ、数珠をまさぐって経を唱え始め、画面が安定した。

 画面は地面の猿山を中心に全体を捉えている。

 スタッフたちは北条の読む経に落ち着きを取り戻しているが、猿山は一人、何かに怯えて必死に首を振り、スタッフたちに助けを求め、助けは得られず、猿ぐつわの下で精一杯悲鳴を上げた。


 椅子を鳴らして猿山が立ち上がった。

「座れよ」

 向かいの峰守が残虐な目で見上げて言った。

「しっかり見とけよ?」

 おい、と横から蟹沢にも声をかけられ、猿山は腰を下ろし、後ろに下がった椅子を直した。

 ごくりと脂汗のながれるのど仏を鳴らして画面を凝視したが、あごが震えて歯がカチカチ鳴った。

 画面の中の猿山は縛られた手足でエビのように全身を曲げ伸ばしし、体をくねらせてミミズのように地面をのたくった。狂ったようにうめき声を上げ続けている。

 現実の猿山が何かひどく気持ち悪いように両肩をグネグネ動かし、耐えられずに再び立ち上がった。

「逃げるな!」

 今度は紅倉が叱りつけた。

「あなたは、戦わなくてはならない」

 猿山は再び椅子に座り、画面を見たが、全身にひどい鳥肌が立ち、汗をだらだら流して、寒くてしょうがないようにブルブル震えたが、それは何かもっとひどい感覚に苛まれているようだった。

 画面の中でのたうち回る猿山も。

 その様子は部外者にも見るに耐えないものだった。

 場を眺めて三津木が言った。

「先生。これは、霊障ですか?」


「そうです。

 今、画面の猿山さんはたくさんの霊に体の中に侵入され、感覚を直接かき回されています。残酷な動物実験で、脳を直接刺激して、怒らせたり怯えさせたりっていうのがあるでしょう? そんな感じです。神経をなぶられて、自分ではどうすることも出来ず、ありとあらゆる不快感が全部一緒に全身を襲っているんです。拷問です。これは耐えられっこありません。これが続けば、じきに廃人になってしまいます」


 画面の中の猿山は、絶えず動き続け、真っ赤な顔で目を剥き、わめき続けて猿ぐつわからよだれをはみ出させ、顔色はどす黒くなってきた。人間の知性が消えて、獣じみてきた。


 拷問が終わった。猿山は地面に溶け込むようにぐったりし、胸を痙攣するように上下させた。

 びくりと怯えた。何かから逃げて、必死に体を起こして、足首を縛られた足で地面を蹴って後ろに下がり、地蔵に寄りかかり、びっくりして横に倒れ、もう勘弁してくれと泣きじゃくった。

 峰守ディレクターが近づき、怯える猿山から猿ぐつわを取ってやった。


 現実の猿山がまた立ち上がった。

「やめろ……」

 物凄い顔で画面を睨んだ。峰守ディレクターは残酷にニヤニヤしてその様子を眺めた。


 画面の峰守が猿山の上にかがみ込んでつばを吐きかけるように声を荒げて言った。

『何を差し出す? ああん? 何を差し出す!?』

 猿山は口をわななかせてなかなか言えない。峰守が怒って怒鳴りつける。

『何を差し出す? 言わねえか!? また××××××されてえか!?』

 テープがねじれたように音声が乱れたが、いずれにしろひどい言葉を言っているのだろう、猿山は顔を大きく歪めて幼児のようにぼろぼろ涙をこぼし、怯え切って、イヤイヤ、と首を振った。

『だったら言え!』


「やめろ……」

 猿山が手を伸ばしてよろよろテレビに近づこうとし、三津木が腕を掴んで止めた。


『さ、差し上げます……』


「やめろ」


『妻と、息子の……命…………』


「やめろおおっ!!」

 猿山は暴れてテレビを蹴り倒そうとし、三津木が後ろから羽交い締めにして引き離した。

「嘘だあっ、でたらめだあっ、おまえが、おまえが、念写で映し出してるんだろうっ!?」

「嘘なもんですか」

 紅倉は冷たく言った。

「あなたは認めたくないだけで、もう思い出してるんでしょう?自分が、拷問に耐え切れず、助けてもらう代わりに奥さんと生まれてくる息子さんの命を連中に差し出すと。あなたは自分の霊体の一部を連中に提供して、奥さんと息子さんを連中と結びつけてしまったのよ。これは、ちょっとやそっとで解ける呪いではないわ」

「嘘だ、嘘だ、嘘だああっ!………………」

 猿山はわめいて、暴れて、三津木の腕にぶら下がって泣き崩れた。


 テレビでは手足の縄を解かれた猿山がとぼとぼと階段向かって歩いていく後ろ姿が映され、階段を下りようとしたところで、スタッフの誰かに背中を蹴られて、人形のようにゴロゴロと階段を転げ落ちていった。

 ははははは、という男たちの笑い声が下で動かない猿山の姿に被って、


 VTRは終了した。


 その途端、それまで大人しくしていた安達カメラマンが椅子から立ち上がり振り向き様、シャツの袖に隠し持っていたスパナを振りかぶり、紅倉の頭めがけて振り下ろした。

 紅倉も隠し持っていたコンパクトカメラを取り出し、カシャッとシャッターを切ると、大型の閃光電球並みの真っ白な光が炸裂し、安達と、峰守も、堪らず「ぎゃっ」と叫んで両手で目を覆った。フラッシュの一瞬、真っ白に浮かび上がった二人の顔は、黒目のない悪鬼のように見えた。

「おりゃあっ!」

 激高した芙蓉が安達の胸にリーチの長い破壊力抜群のキックを叩き込み、安達は峰守を巻き込んでテレビの後ろの壁まで吹っ飛び、「ぐえっ」とうめいて気絶した。

 天井の蛍光灯が瞬きながらついた。

「ふん」

 芙蓉が鬼も逃げ出す怖い顔で壁で折り重なってつぶれている二人を睨んでいた。

「あーらら。美貴ちゃん、ひどいなあー」

 紅倉はまるで心なく言い、二人を調べた菊池は、

「生きてはいますね」

 と、怖そうに芙蓉を見た。芙蓉は

「先生、すみません」

 と紅倉に謝った。

「油断して反応が遅れてしまいました」

 もしあのまま重いスパナが振り下ろされていたらとぞっとした。

「でも、先生はああなると予想していたんですか?」

「まあ、やりそうだなあ……とはね。どうもそういう発想をする連中のようだから」

 はい、と三津木にカメラを返し、

「なかなかよく撮れているんじゃないかと自信作よ」

 と紅倉は得意げに笑ったが、三津木が調べてみると残念ながら画像は真っ白だった。

 三津木は苦笑すると、床にへたり込んでいる猿山を哀れに見下ろし、腹立たしそうに紅倉に訊いた。

「先生。これは、ただの怨霊の仕業にしてはあまりにたちが悪すぎませんか?」

「そうね」

 紅倉は頷き、言った。

「まさに、そういうたちの悪い連中なのよ、あなたが目を付けられたのは」

 猿山がすっかり心の折れてしまった顔を上げた。

「真弓…… 真一…………」

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