第11話 制作会社
Vメディアは下請けの更に下請けという小さな会社で、住所はテレビ局のある港区だが、表通りからはだいぶ奥まった、小さなビルが路地に密集する古い地域にある、黒ずんだ2階建て雑居ビルの1階にあった。スタジオというより事務所の体裁で、編集作業は別の編集スタジオを借りて行っている。
問題のVTRだが、昨今デジタルメディアの進歩でビデオカメラの記録媒体もディスクやカードへの移行が進んでいるが、放送業界ではカメラや編集器機との兼ね合いでカセットを使っているところも多い。ロケでは2台のカメラを準備していたが、実際使用したのは1台で、片手で扱えるハンディータイプでMiniDVカセットテープを使っている。
そのカセットは、現場で警察に押収され、中身を調べられた後、Vメディアに返却された。上の番組制作会社はこの撮影の企画を中止し、事故にはノータッチの姿勢をとり、カセットの提供も求めず、従ってカセットはVメディアにあるはずだ……破棄されていなければ。
午後7時、パーキングに車2台駐車し、少し歩いて雑居ビルに到着すると、入り口で1人の男性が待っていた。
「こんにちは。初めまして。第一テレビの菊池です」
寒々とした白い灯りの下、不釣り合いに明るい声で挨拶して三津木と名刺を交換した。大きなメガネと赤いラインのワイシャツが妙に目を引く、ハリウッドのコメディアンみたいな男性だ。肩書きは「番組総合室マネージャー」となっている。
要するに、番組の問題処理係だ。
取材を申し込む三津木に、取材へ協力する代わりに局としてNG部分はチェックさせてくれということで送られてきた男だ。
菊池はまつげの濃い目をぱっちりさせて紅倉にも挨拶し、猿山と蟹沢にも
「たいへんなことになっちゃったねえ」
と妙に優しげに声をかけた。二人は菊池を知らず、
「お世話かけます」
と当たり障りのないように頭を下げた。
「じゃ、まいりましょう」
と、菊池は建物裏の外廊下へ一行を案内した。
インターホンを押し、
「毎度お世話になってます。第一テレビの菊池です」
と名乗ると緑色のドアが開き、男性がちょっと驚いたように菊池を見て、後に続く三津木たちを見て、
「どうぞ」
と、なんだかご近所の目をはばかるような感じでそそくさと招き入れた。
「お邪魔しますう」
明るい声の菊池を先頭に一行10人はぞろぞろと中に入った。
アパートと変わりないようなビルで、部屋もそれ相応で、入ってすぐに応接セットと、壁にパソコンの載った机が2つ並び、資料の入ったスチール書庫が並び、奥に給湯室とトイレがあって、それでいっぱいだった。
こちらはオフィス。となりにもう1部屋、入り口すぐの壁にドアのない出入り口があって、ごちゃごちゃと機材の覗いているそこから、ぬっと、血色の悪い顔が覗いて、「どうも」と挨拶した。
「彼がロケを担当したディレクターの峰守。それから、カメラマンの安達です」
後ろからもう1つやはり血色の悪い顔が覗いて、面倒くさそうに挨拶した。
猿山が二人に負けない青い顔で身震いし、二人はじろりとガラの悪い目つきで睨んだ。
「他はロケに出ていて、帰りは深夜になるでしょう。それと編集センターに2人行っていて、こっちは泊りになるでしょうなあ。今残っているのはこの二人だけで。あ、申し遅れました、わたし、取締役の徳永です。どうぞよろしくお願いします」
と三津木と名刺交換した「取締役社長」の徳永氏は、50代初めの、趣味はゴルフとムード歌謡、といった感じの人だった。菊池とは特に挨拶を交わさなかったから、顔見知りなのだろう。
「先生」
三津木が紅倉に訊いた。
「まずは、どうしましょう?」
紅倉は、
「その前に、北条さんは?」
と、言った途端に三津木の携帯が鳴った。見ると、お化け仲間、映像制作会社アートリングの等々力社長からだった。
「等々力さんです。北条先生のお宅へ調べに向かってもらいました」
と一同に説明し、失礼、と電話に出た。
「ご苦労様です。どうでした?」
携帯から等々力の大きな声が漏れ聞こえ、「ちょっと待ってください」と待たせて、紅倉に向かい報告した。
「家にもいないようです。ご近所に聞き込みしたところ、昼から出かけたようで、それ以降戻ってきてないようです」
どうしましょう?と紅倉の指示を待つ。
「捜しても見つからないでしょうねえ……」
考え、視線を猿山に向けた。猿山はギョッとした。紅倉の目は真っ赤に濡れ光っていた。
上から撮影用のライトが照らされ、三津木のスタッフが撮影を開始した。紅倉は、
「等々力さんには、猿山さんのお宅に行ってもらいましょう。等々力さんなら……二人を守ってくれるでしょう」
「お、おい、なんだよそれ?」
猿山がうろたえた声を出してふらふらと紅倉に迫った。前に出た芙蓉に肩を掴まれて止まり、震える声を張り上げた。
「二人を守るってなんだ? うちには嫁しかいないぞ?」
「もう一人いるでしょう?お腹の中に」
猿山は顔を引きつらせた。
「ふざけるな! 嫁と子どもが、なんだって言うんだ!?」
ふうんと鼻と喉を鳴らし、紅倉も面白くないように言った。
「わたしが邪魔に入っちゃったから、敵もどうするか分かんないってことよ。念のため。まあ、大丈夫だと思うけど……」
「ふざけんな! 嫁が危ないって言うんなら、俺は帰る! こんなところでのんきにしてられるか!」
「この馬鹿っ!」
紅倉は思い切り不愉快そうに叱りつけた。
「そうやって逃げるんじゃない! 原因はあんたなのよ? あんたがこの状態をなんとかしなければ、問題は解決しないわ。ここでやめるって言うんなら、わたしもいっさい手出ししない。どんな嫌な結果になろうともね、あんたのせいよ!」
紅倉に赤い目で睨まれ、猿山は苦しそうに顔を歪ませた。
「その人に任せて……大丈夫なのか?」
「あんたよりはるかに頼りになるわよ」
紅倉の視線に頷き、三津木は待たせていた等々力に猿山の家へ向かうよう頼んだ。携帯を猿山に差し出し、
「住所を」
猿山は受け取り、等々力にマンションの住所を告げると、
「妻と……子どもを、お願いします」
と頭を下げた。
『おいさ、任せてください!』
等々力は元気な声で答え、電話を切った。三津木は携帯を受け取ると、
「奥さんに髭もじゃの熊みたいなのが行くって連絡してください」
と促し、猿山は自分の携帯で家にかけた。
「さて」
猿山が奥さんに無事連絡したのを待って紅倉が仕切り直した。応接セットの社長の椅子にどっかと座っている。
「で? VTRは?」
社長に促されて峰守ディレクターがMiniDVカセットとハンディーカメラを両手に持って言った。
「テープはそのまま残ってるよ。机のパソコンでもあっちのテレビでも見られるよ。でも、なんにも写ってないよ?」
「おかしいわねえ」
紅倉があごに指を当て小首をかしげた。
「あなたたち、プロでしょう? 撮影失敗?」
ディレクターとカメラマンはむっとして紅倉を睨み、カメラマンが言った。
「カメラは間違いなく回っていたよ。でも、写ってないものは写ってないんだ」
はいはい、と紅倉は手を振り、ますます二人の怒りに油を注いだ。
「ビデオを見る前に、事実確認しましょうか。
事故は、階段を上って、公園に着いたところで、猿山さんがふざけたことをして、階段を転げ落ちたのね?」
猿山もスタッフ二人も頷いた。紅倉は、
「本当~?」
と疑わしく目を細め、
「そうだよ。全員、北条先生も含めて、ちゃんと警察の取り調べを受けたよ」
と、ディレクター……パーマの解けかかったロン毛の中年ロッカーみたいな峰守がうんざりしたように言った。
「本当お?」
紅倉に尚疑われて猿山も、
「本当です」
と請け負った。
「あっそう」
紅倉は白けたように腰を前に滑らせて脱力し、
「えーと、社長さん、それから、えーと、菊池さん? そのロケって、どうしてやることになったの?」
と、二人の方へ顔を向けた。社長が、
「それは『早く寝まショーね』のプロデューサーさんから話が来て……」
と顔を向けると、菊池が後を引き取って続けた。
「おたくさんもご承知でしょうが」
と三津木にほろ苦い笑いを向けて、
「テレビには3つ、頭の上がらない相手がいます。1つは、クレームをつけてくる視聴者様。1つは、大口のスポンサー様。そして1つが、大手タレント事務所です。
実はですね、ここは是非オフレコにしてもらわなくちゃ困るんですが、番組MCの所属する大手事務所さんから番組にリクエストがありまして。MCのアイドル二人が、変な物音や、変な空耳や、変な黒い影に悩まされていて、あちらさんで顧問のようにお世話になっている霊能師の先生に視てもらったところ、原因は番組で流したあのVTRであると。霊たちはあのVTRの関係者に用があるようだから、自分たちで解決させるように、とアドバイスされたそうで。そんなところにぴったりのタイミングでこちら、Vメディアさんからあの場所のロケをもう一度やりたいと打診があって、ああこれは大先生のおっしゃる通りだな、と思い、ロケを許可したそうです」
えっ? と社長は驚いた顔をした。
「そちらの発案じゃないんですか?」
「違いますよ。おたくからプロデューサーに話が来たんです」
「いや、でも、わたしはそんなこと……」
と、社長は不審そうにディレクターを見た。
「峰守。おまえか?」
峰守ディレクターは頷き、悪びれることもなく言った。
「北条先生からお話があったんです。このままでは自分たちみんなひどいことになるから、ってことでね」
「勝手なことをしやがって。……しかし、それじゃあもしかして」
社長は菊池にも不審の目を向けて言った。
「最初からうちを犠牲にするつもりで……」
菊池は顔は笑顔で目は冷たく社長を見て、
「すみませんねえ。でも、元々余計な種をまいたのはこちらさんですからねえー」
と、視線を猿山に向けた。社長もいっしょに迷惑そうに猿山を見た。ディレクターとカメラマンも睨んでいて、猿山はいたたまれないように視線を下に向けた。
三津木は、
なるほどなあ、大手事務所ともなるとやっぱりそういうお抱えの先生っていうのがいるんだなあ、
と感心した。道理で、心霊オカルトなんかに腰の重い第一テレビが積極的に動いたと思ったら、やっぱり最初から番組にするつもりはなかったようだ。
「で、その尻拭いがわたしに回ってきた、と」
紅倉はぶすっとした顔をして宙を睨んだ。
「いつかその稼ぎのよさそうな同業者さんに会ってみたいものね。ま、いいわ。
じゃあ見てみましょうか、役立たずのVTRを」
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