第9話 新たな依頼

 蟹沢が猿山宅を訪れた。猿山は5月にセキュリティーのしっかりした高級マンションに引っ越していたが、それ以前から数えて蟹沢が猿山の家を訪れたのは実に3年ぶりくらいのことだった。

 お茶を出した真弓が気を利かせて席を外すと、蟹沢は言った。

「おまえ、顔、変わったな」

「そうかよ」

 猿山は不愉快そうに、さっさと帰ってくれよ、という気持ちを隠そうともしなかった。蟹沢も面白くはないが、深刻に心配して言った。

「どうしてこうなったか、分かってるよな?」

「うるせえよ。おまえの説教なんか聞きたくねえよ」

「逃げんなよ」

「ああん?」

「おまえの癖は分かってるよ。自分で悪いと思ってることを言われるとそうやってむくれて目をそらすんだよな」

「うるせえ。相棒面するんじゃねえよ。おまえも俺の落ちぶれ様をいい気味だと思ってんだろう?」

「思ってねえよ。まあ、おまえがブレイクしたのはちょっと悔しかったけどな。でも、おまえに才能があるのは俺も分かってたから。だからコンビ組んだんじゃねえか」

「とっくに解散してんだろう?」

「そうだけどさ」

 取りつく島もなく蟹沢はいったん視線を巡らし、居間と続きのキッチンの奥からこっそり覗いている真弓と目が合い、ちょこんとお辞儀した。

「あのな、……どうせまた余計なことすんじゃねえって言うんだろうけどさ、俺、おまえがけがしたロケの前に、中央テレビのディレクターさんにO公園の取材を頼んだんだよ」

「中央テレビ?」

「『本当にあった恐怖心霊事件ファイル』って番組、知ってるだろう? ちゃんとした専門家に検証してもらった方がいいって思ってさ」

「専門家ねえ」

 せせら笑う猿山にムッとしながら蟹沢は続けた。

「それはおまえの行ったロケが先に決まってて、流れちゃったんだけど。

 おまえさあ、祟りはもう終わったって、思ってるのか?」

 猿山はギクリとして蟹沢を睨んだが、その額にはびっしり大きな汗の粒が浮かんでいた。蟹沢は哀れに眺めて、言った。

「奥さんもいて、あんまり脅かしたくないけどさ、祟りが起こるまで1年あっただろう? 確かにその間におまえはブレイクして結婚して、絶頂期のところを奈落に突き落とされるみたいにしてさ、もう十分これ以上ない祟りに思えるけどさ、……おまえ、生きてるじゃん?」

 猿山は汗の入った目を手で拭い、強がって言った。

「へっ、見ろよ、この無様ななりを? こうやって惨めに苦しみ続けろってことなんだろうぜ」

「確かにな。でもさ、相手がもっとひどいことを考えていたら、どうする?」

「どうする、って、なんだよ?」

「相手がもっと徹底的におまえを苦しめるつもりで、次の手を考えているとしたら?」

「何をするって言うんだよ?」

 蟹沢は黙って猿山を見つめた。猿山は落ち着かず、

「帰れよ! やっぱりおまえ、俺に仕返ししに来たんだろう!?」

 と立ち上がり、玄関を指差した。蟹沢は立たず、

「座れよ」

 とじっと目を見つめ続け、猿山は座った。

「おまえ、もう第一テレビさんに義理立てする必要もないだろう? おまえも一緒に、中央テレビさんに事件を取材してもらうよう、頼まないか?」

 猿山は横を向いて握りこぶしの上にあごを載せ、ふてくされた。

「な? そうしようぜ?」

 蟹沢は切実に勧めたが、猿山はジロリと横目で睨むと、

「で? おまえはそれをチャンスにして注目を集めると?」

 とあざ笑った。さすがに蟹沢もカッとしたが、

「一郎君!」

 真弓が大声を上げ、キッチンで仁王立ちして睨みつけた。猿山と一緒に蟹沢までギクリとした。真弓は怒りの顔で夫を叱りつけた。

「どうしてお友達が心配して言ってくれていることにそういうひねくれたことを言うのよ!? 今の一郎君に取り入って、蟹沢さんに得があると思ってんの!?」

 蟹沢は、そこまでのことは……、と奥さんを抑えようとしたが、怖くて黙った。

「そんなんだからテレビも駄目になったのよ! ……以前の一郎君だったら、そこまで人を悪く思わなかったでしょう?」

 猿山は視線を泳がせ、その血走った目は涙に潤んでいた。真弓は部屋にやってくると、床に正座して、手をついて頭を下げた。

「蟹沢さん。この人、今さらこんなこと言えた義理じゃないけど、どうかこの人を連れてちゃんと信用できる人に視てもらってください。お願いします」

「ああ、奥さん、体起こしてください。僕はぜんぜんかまわないんで」

 蟹沢は奥さんの大きなお腹を心配して言い、おい、と猿山を睨んだ。真弓も顔を上げ、

「あなた。いいわね?」

 と怖い顔で睨み、猿山は、

「分かった。分かりました! ……蟹沢、頼む」

 と頭を下げた。

「ああ。いいよ」

 蟹沢はほっとしたように笑い、真弓はもう一度頭を下げた。



 蟹沢は三津木ディレクターに電話をかけ、猿山と二人で中央テレビを訪れた。

「やあどうも。初めまして」

 と、最初こそにこやかに挨拶した三津木ディレクターだったが。

「実を言うと、ちょっと難しい状況なんだ。上の方が今回の君の事件に関わるのを嫌っていてね。君子危うきに近寄らずってわけだ。第一さんみたいに変なバッシングを受けたくない、ってね」

 第一テレビは報道番組などで社会貢献に力を入れていて、バラエティー番組などもファミリー向けを基本にしている。そんな良心的な優等生のイメージを傷つける心霊なんていうものに関わるクレームには特に神経を尖らせている。

 能天気な中央テレビではあるが、猿山に関しては危険な地雷と見なして敬遠しているのだ。

 上がそういう見方をしているのは、実は三津木がチクったのだ。紅倉美姫が「あれはもう駄目だ」と言っていると。お化け大好きの三津木だが、生きている人間のクレームは嫌だ。三津木は紅倉の言い様から、

『死ぬんだろうな』

 と思っていた。番組制作の途中で死なれたんでは第一テレビのように責任を問われる。どうせなら死んでから検証番組を作った方が無難だ。

 猿山は、やっぱりな、とふてくされ、蟹沢はその様子に苛立ちながら三津木に頭を下げるように言った。

「そこをなんとか。こちらは専門家でしょう?」

「まあねえ」

 三津木はおだてられていい気になったふりをして、

「じゃあ、まずね、紅倉先生に視てもらいましょう。その上で番組として取り上げていいかどうか、判断しましょう」

 三津木は、

『生前の様子もVTRに残しておいた方がいいだろう』

 というろくでもない計算でいるのだが、

「紅倉先生に? ありがとうございます!」

 蟹沢は喜び、猿山の頭を掴んでいっしょにお辞儀させた。

 こいつはいい奴だよなあ、と、三津木は心の中で黒い笑いを浮かべて蟹沢を眺めた。

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