第10話

 近づくと、話し声が微かに聞こえた。


「……国に……でただと?」

「……そう………帰って…………くれ」


(よく、聞こえない)


 そっと足を止めて、聞き耳を立てようとしたのだけど。いきなり魔法屋さんが子犬ちゃんを、ガシッと掴み撫で回し始めた。


「おーよしよし、そうか。お前は僕が好きなのか、よーし、よーし」

「キュー、キュー」


 レジカウンターの上で魔法屋さんと子犬ちゃんは戯れ始めた。

 しばらく、子犬ちゃんを撫でた後。


「お客様、店の中の見物は終わりましたか?」


 近くにいたのがバレていたらしく、わたしに声をかけてきた。


「は、はい。終わりました」


 慌てて出ていくとレジカウンターの上で、子犬ちゃんはちょこんと座り、首を傾げて可愛いお目々で見てくる。


 やはり、何かの聞き間違いね。子犬ちゃんが喋るわけないか。


「外が暗くなる前に帰ろう、子犬ちゃん」

「キュンキュン」


 子犬ちゃんはレジカウンターから飛び降り、わたしの足元に寄って来ってきた。その子犬ちゃんを抱っこしようと屈んだときに、チラリとブレスレットが見えた。


(え、ピンク色⁉︎)


 警戒音がしなかったから気付かなかった、焦り、ドクンと鼓動が鳴る。


 また、あの人が港街に来ている。


 わたしは動揺して子犬ちゃんを抱えたまま、魔法屋さんの中をうろうろ、どうする、どうすると歩き回っていた。

「お客様、どうかなされましたか?」

「あ、いや、その……」


 何も買わないのに、いつまでもお店にいては迷惑だわ。

 

(でも、外に出たくない!)


 こうなったら、ダメかもしれないけど……いちかばちか魔法屋さんに頼んで、石の色が落ち着くまでレジカウンターの後ろに隠れさせてもらおう!


 今はそれしかない、へたに動いて会ってしまうのは嫌だ。


「あの、無理を承知でお願いします。この石の色が落ち着くまで、そこのレジカウンターに隠れさせてください!」


 魔法屋さんに頼み込み、ブレスレットを見せた。彼はブレスレットに付いた石に手をかざす。


「おお、これは希少な石ですね。そして誰かの魔力に反応をみせている」


「わかるのですか? そうなんです」


「ふむ、お客様は何か事情がありお困りのようですね。……わかりました。今からあなたに起こることを他言無用でお願いします。それと、子犬は連れて行けませんので僕がお預かりしましょう。僕の後について来てください」 


 そう言い残して、魔法屋さんはレジカウンター後ろの暖簾をくぐり、奥の部屋に入って行った。


「ごめんね、子犬ちゃん」

「キューン」


 子犬ちゃんをレジカウンターに残して、わたしは魔法屋さんの後を追い暖簾をくぐった。

 その暖簾をくぐった先は小さな物置部屋で、その部屋の奥、白い扉の前で魔法屋さんは待っていた。

 わたしが近づくと、その扉をコンコンコンと叩き扉に話しかけた。


「今から人が通ります。あなた達は邪魔をしないようにしてくださいね」


 そして、また魔法屋さんは「はいはい、くるみパンですね。明日にでも買ってきます」と扉に話しかけた。


「みなさん、お行儀よくしてくださいね」


 と言い、わたしの方に振り向いた。


「いまからお客様にはこの扉の中を通ってもらいます」

「店の裏口に出るのですか?」


 わたしの問いに魔法屋さんは首を振る。


「いいえ、この扉は実は魔法の扉なんです」


「魔法の扉?」


「えぇ、簡単に説明しますと、目を瞑って行きたいところを思い浮かべながら中を十歩、歩くだけで目的地に着くのです」


「目を瞑って、十歩……歩く」


「簡単でしょう? あ、これだけは守ってください。途中で声が聞こえても決して目を開けないように、迷子になりますから」


(迷子?)


「……はい、わかりました」


「さぁ、お客様。目を瞑り扉の中へどうぞ」と背中を押された。


「子犬のことは心配いりません。氷を届けるときにお連れいたしましょう」


「ありがとうございます」


 怖いけど魔法屋さんを信じる。

 わたしは目を瞑り扉を開けて中に入った。


「お客様、お気を付けてお帰りください」


 背後で魔法屋さんの声が聞こえて、扉の閉まる音がした。


(こうなったら、進むしかない!)


 わたしは一歩足を踏み出した。カサッと枯れ葉を踏んだ音が聞こる。ときおり風が頬をくすぐり、木の葉のざわめく音、甘い花の匂いを感じた。


 まるで、森の中にいるよ。


 一歩、一歩。数えながら進むと……耳元で楽しそうな声が聞こえてきた。


「うわぁ、人間だぁ」

「本当だ、人間さんだぁ」


「ねぇねぇこの人間から、いい匂いがするぞ」


「本当だぁ、いい匂い」


「ついて行きたいね」

「うんうん、ついて行っちゃう?」


「ついて行こう!」

 

 可愛い笑い声に楽しそうに話す声。

 気になる、すごく気になるけど……魔法屋さんの言葉を守り目を瞑って、帰りたい場所を思い浮かべて歩いた。


「八歩……九歩、十歩」


 十歩数え終わると、耳元の声は遠ざかり小さくなっていく。


「ああー残念、着いちゃった」


「またね」

「人間さん、また来てね」


「バイバーイ」


 声が聞こえなくなりそっと目を開ける、今まで感じていた森の中ではなく、思い浮かべたカリダ食堂の近くにわたしはいた。


「ははっ……ほんとうに帰ってこれた」


 港街の魔法屋さんから、カリダ食堂まで帰ってこれた……石の色も元に戻ってる。


 わたし、魔法を体験しちゃった。


(くぅーーーっ! やっぱり魔法はすごいわぁ!)



 ♢


 

 一方、ルーチェが帰った後の魔法屋では?


「おい、ラエル」


 ルーチェの聞き間違えではなく子犬は喋っていた。

 ラエルと呼ばれた魔法屋はふっと口元を緩ます。


「なんですか? 子犬のベルーガ王子」


 目隠しを取りフードを取った魔法屋の店主ラエルに、レジカウンター上の子犬のベルーガ。


「うるさい、誰が好き好んで子犬の格好なんてするか! それで、あの子はちゃんと帰ったのか?」


 小さい体で走りラエルに近寄る。


「えぇ、あの子ならちゃんとカリダ食堂の近くに帰りましたよ。少し心配だったので、ガットについて行ってもらいましたよ」


「お、ガットなら安心か……でも、近くってなんだよ、店まで送ればいいのに」


「それはダメですよ。森の精霊達があの子の魔力に惹かれて住み着いちゃいますから、そうなると兄貴に僕が怒られます」


「……シエルか、あいつは怒ると怖いものなぁ」


 そうですよと頷き、ラエルは子犬の頭を撫でた。


「それはそうと、聞いてくださいよベルーガ。昨日の夜遅くにウルラを寄越して明日ここに来るあの子に『魔力がある』とか絶対に言うなよ! ってそれはもう、うるさかった」


「うわぁ、それは大変だったな……あの子はシエルのお気に入りの子か。だから、いつも近くにウルラがいるんだな」


 そうだと、ラエルは頷く。


「しかたありません。兄貴が初めて守りたいと思った女性ですからね。そんな兄貴は今カロール殿下に捕まって、あの子を探す為に国中を連れまわされているみたいですけど」

「ははっ、シエルも大変だな……」


「かなりストレスを溜めていますね。ところでベルーガは……あー、話は後でにしましょう。今からここにその殿下が来ますね」


 二人が店の入り口を見たと同時に乱暴に魔法屋の扉が開かれた。その反動で、ドアベルがガラゴロと壊れそうな勢いで鳴る。

 ラエルはすぐに目隠しとフードを被り、魔法屋の店主として、いま乱暴に入って来た男を注意した。


「すみません、扉は優しく開けてください。扉とドアベルが壊れてしまいますよ」


 そのラエルの忠告も、乱暴に入って来た男は無視をして、店の中を足音を見て回る。


「おい、シエル! ここにもおらんではないか? 貴様、俺に嘘をついたのか?」

「ここにルーチェ様がいると私は断言しておりませんよ。カロール殿下」


 魔法屋の店主ラエルと瓜二つ、黒いローブの男が遅れて店の中へと入って来た。


 ラエルはその男を見るなり声を掛けた。


「これは兄貴じゃないですか? 何かありましたか?」


「おお、久しぶりだな弟よ。ちと探し人をしているんだ」


「探し人ですか?」

「そうだ、カロール殿下のなぁ……んっ?」


 シエルはレジカウンターの上にいる子犬に気が付く。


「いつからお前は……こんな可愛い子犬を囲うようになったんだ?」

「この子犬は私のではありません。預かりものですよ」


 そうか、そうかと近付き、子犬をじっくり見た瞬間、シエルは何かに気が付いた。


「くっ、くく、ラエル。この子犬は……まさかあいつなのか……」


「そうです、兄貴」


「お前はなんと言う姿になって…ふふっ、元気にしてたのか? それで……」


 シエルがラエルとレジカウンターで子犬の話をすると、煩い男カロールは声を上げて叫ぶ。


「シエル、そんな小汚い子犬なんてどうでもいいだろう‼︎」

 

 小汚いと言われた子犬。唸り、吠えようとするのをシエルは止めた。


「しかし……カロール殿下。今日はどこも空振りのようです。私はここに残り弟とで今後の策を練りますので、殿下は城にお帰りください」


 深く被ったフードから見える、切れ長の赤い瞳を細めたシエルを、カロールはしばらく見据える。


「わかった、俺は城に戻る。行くぞ!」

「はっ、かしこまりました」


 店を包囲していた騎士に命令を下し、店を出て行こうとした足を止め振り返る。


「しっかり、策を練れよシエル。そして、必ずルーチェ嬢を見付け出せ」

「はい、私にお任せください」


 シエルが深々と頭を下げると、カロールは魔法屋から出て行った。

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