第35話 恋愛感情?

 ワームホールを抜けてから、あたし達は男女交替で操縦室と仮眠室を使っていた。

 異変があったのは、ワームホールを抜けて三日目。あたしとサーシャが操縦室で当直に着いていたときの事……


「美陽。起きて」


 Gシートで仮眠を取っていたら、サーシャに揺り起こされた。


「マーフィの奴、動き出したわ」


 あたしはFMDを装着して仮想操縦室に入った。

 宇宙戦艦の艦橋を思わせる部屋の正面にある巨大なメインパネルをサーシャは指差している。

 ロシア側のワームホールの付近に巨大な熱源が現れた事が表示されていた。

 ファイヤーバードが加速を開始したようね。


「サーシャ。これが現れたのはいつ?」

「五分前」

「じゃあ、まだたいした事は分からないわね」


 それから、あたしとサーシャは情報の分析を始めた。

 熱源の強さ、加速度、軌道要素などなどを分析した結果……


「あいつ、気が付いたみたいね。あたし達の目的地に」


 ファイヤーバードの軌道は、明らかに第五惑星を目指していた。


「ですけど、到着は私の方が半日早いですわ」


 しかし、マーフィにもそれは分かっているはず。


「サーシャ。マーフィがこれで諦めると思う?」

「まさか。諦めるぐらいなら、追いかけてなんか来ませんわ。きっと、良からぬ手を考えているでしょう。でも、今私たちにできる事はないですわ」

「そうね」

「だから、その時に備えて今はリラックスしましょう」

「そうね」

「ねえ、美陽。あなた、慧君の事をどう思っているの?」

「え?」


 いきなり、何を言い出すのだ? この女は?


「どうって……慧とあたしは幼馴染……」

「幼馴染は知っているわ。私が聞きたいのは、男として意識しているのかという事?」

「な……なんの事?」

「だからあ……恋愛感情はあるかって事」

「な……ないわよ! そんなの」

「本当にないの?」

「ないわよ! そもそも、あったとしても、なんでそんなプライベートを……」

「私は美陽とは友達のつもりだけどな」

「いや……そりゃ、あたしもそう思っているけど……」

「だから、友達の彼氏を取るような事はしたくないの」

「は? 今なんと?」

「だから、慧君が美陽の彼氏だったら諦めるつもりだったけど、違うというなら私が付き合ってもいいでしょ」

「あのさ……という事は……好きなの? 慧の事」

「好きよ」

「どうして?」

「だって。可愛いじゃない。慧君」


 まあ……慧は可愛い顔しているけど……


「だけど、慧はサーシャと会った時から、憎まれ口叩いているじゃない」

「そうね。最初はムッときたけど、後になって分かったのよ」

「なにが?」

「あれがツンデレという奴ね」

「ちがーう!」

「違うの?」

「あいつがサーシャを嫌うのは、嫌露感情からよ」

「つまり、慧君に嫌われているのはロシアという国であって、私個人ではないという事ね」

「まあ……そうなるのかな?」


 しかし……自分の祖国を嫌う奴と、付き合えるのか? この人は……


「じゃあ、私と慧君と付き合う事に何も問題はないわね」

「待ったあ!」

「なに? やはり美陽も慧君の事が好きなの?」

「そうじゃなくて……慧の気持ちよ。サーシャが良くても、慧がサーシャに対して良い感情を持っていないわ」

「どうして?」

「嫌露感情以外にも、最初あいつと会った時にもサーシャは『坊や』と言ったでしょう」

「ええ。可愛いから言ったけど……いけなかった?」


 ううむ……どうやら悪気はなかったようね・


「いけない。『坊や』というのは小さな子供に対していう事であって、慧ぐらいの年齢の男性にそれを言うと侮辱になるのよ」

「ええ!? 早く教えてよ! 私、慧君を侮辱するつもりは、全くなかったのだから。褒め言葉だと思って使ったのよ」

「そうだと思ったけど……もう一つ注意しておくわ。あいつに「可愛い」なんて言ってはダメよ」

「どうして?」

「サーシャは誉めているつもりだろうけど、あいつはバカにされたと思うから」

「そうなの? 男心って複雑ね」


 コンコン


 ノックの音がしてFMDを外して振り向くと、教授が操縦室に入っていた。


「ガールズトークの途中で悪いが、そろそろ交代時間じゃ」


 時計に目をやった。


「まだ、三十分ありますけど……」

「伝達事項があったら、聞いておこうと思ってな」

「そうでした。実はマーフィが……」


 あたしとサーシャは、代わる代わるさっきの観測結果を伝えた。


「分かった。観測はワシらで引き継ごう」

「教授。慧はまだ寝ているのですか?」

「幾島君なら、筋トレをやってる。最近始めた朝の日課だそうだ」


 筋トレ? どうせ三日坊主になるだろうな。


 その時、サーシャがGシートから立ち上がった。


「じゃあ、私は先に仮眠室で休ませてもらいます」

「サーシャ君。幾島君に襲われんように気を付けるんだぞ」

「大丈夫です。教授。私の方から襲いますから」

「うむ。それならよいな」


 いや、よくないだろ。


 船内の風紀を乱すなんて、船長として許せん。


 いや……慧を取られるのが嫌だなんてわけじゃない。


 風紀を守るため、あたしはサーシャを追って仮眠室へ向かった。


「きゃ!」


 ん? 仮眠室から、サーシャの悲鳴? まさか? 慧が女を襲った? いやいや! 慧に限って、そんな事あり得ない……


「うわ!」


 今度は、慧の悲鳴!


 ドタン! バタン!


 何が起きているんだ?


 仮眠室の扉を開くと……


「何を……してるの? あんた達」


 あたしの目に映った光景は、今にもサーシャに襲い掛かろうとしている慧の姿……ではなくて、今にも慧に襲い掛かろうとしているサーシャの姿だった。


 上半身裸の慧が床に仰向けに倒れていて、その上にサーシャが四つん這いになって伸し掛かっているのだ。


 慧が、あたしに気が付く。


「ち……違うんだ! 美陽! これは……」


 サーシャも、あたしに気が付いて振り向く。


「ち……違うのよ! これは……慧君の汗を拭いてあげようとして……躓いて……」


 確かに、サーシャの手にはタオルが握られていた。


「転びそうになったサーシャさんを、支えようとして……」


 はいはい……みなまで言うな。恋愛ドラマのお約束パターンでしょ。


 男女が偶然倒れて縺れ合ってところへ、どっちかの恋人が入ってきてトラブルになるという……


 それで、誤解した恋人がギャーギャー騒ぐ……ん? という事は、この場合は恋人ってあたしの事?


 いやいや! 慧は幼馴染であって……恋人じゃないし……そもそも冷静に考えれば、こういう状況は事故だって分かりそうなものなのに、なんで恋愛ドラマのキャラは誤解して騒ぐのだろうね。


「はいはい、分かった、分かった。分かったから、サーシャも慧の上からどいてあげて。慧も早く服を着て」


 二人は、そそくさと離れた。


「慧君、タオル使って」

「ありがとう」


 サーシャの差し出したタオルを慧は受け取った。


 拭いてあげるのじゃなかったのか? いや……あたしが見ている前でやるのが恥ずかしくなったか?


 慧が出て行った後、サーシャはあたしに詰め寄ってきた。


「美陽! 言っておくとけど、さっき操縦室で言ったことは冗談ですからね」

「慧が好きだってことが?」

「そっちは本当よ。私の方から襲うというのは冗談」

「まあ、本当に襲ってもいいけど、船の中ではやらないでね。それとも、慧の方から襲ってほしい?」

「え? いや……できればその方が……」

「あいつ、草食系だから、あまり期待しない方がいいわよ。いずれにしても、次の港に入るまでは自重してね」

「次の港って、いつになったら着くのよ?」

「そのうち着くわよ。その前に、マーフィの問題を片付けないと永遠につけないわよ。じゃあお休み」

「マーフィの問題なんて、ほとんど片付いたような物でしょう。あいつの船は、どうせ追いつけないし」

「そうね」


 だが、その考えが甘かったことを、あたしは次に起きた時に知る事となった。

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