第5話 呪縛

 帰宅の際、ナタリーが真っ青になって出迎えたのを覚えている。


「頭に怪我をしたなんて……大変じゃないですか」


 普段は高慢こうまんな態度の彼女だが、この時ばかりは元気がなく、心の底から私を気にかけていたらしい。……と、いうのも、サマンサから聞いたことではあるが。

 私と彼女には愛し合った記憶も記録も残されていないが、彼女は私を愛そうとしただろうし、私も夫婦らしく振舞おうとしていた。……そういえば傷を負う前、彼女に土産みやげを選んだこともあったか。

 ただ、彼女は当時も今も本心をあまり表に出さない。ゆえに、正確なことは何一つ言えない。


「大した傷ではない。だが、ありがとう。私はいい妻を持った」

「……やっぱり酷い傷だったんじゃない? あなた、わざわざそんなおべっかを言う人だった?」


 疑われるほど長い付き合いだったわけでもないが、少なくとも、その時の振る舞いは不自然に見えていたらしい。

 以前より最低限の礼儀は欠かさないように生きていたはずだったが、ナタリーは注意深く、繊細な性格だ。何か思うところがあったのだろう。


「そうか。今の発言は、おかしかったか」

「……。そういうわけじゃ、ないけど……。ああ、いえ、なんでもありません」


 それから時をかけ、少しずつ「自然」な振る舞いへと調整していったが……ナタリーは察しが良く、すぐに疑ったり、不気味がるようになっていった。その上で「深く気にしない」ことを選んだのは、彼女なりに私を気にかけていたからだろうか。


 長男のロジャーが産まれたのは、それから一年ほど経ってのことだった。父も母も息子が吸血鬼でなかったことを安堵し、母はそれから程なくしてこの世を去った。


「レイモンド、貴方は人間よ。人間なのよ。……どうか、忘れないで」


 母は最期まで幾度も「人間らしさ」を私に求めた。それほどまでに、吸血鬼であったミシェルとその息子のことを忘れられずにいたのだろう。

 ミシェルは、それほどまでに恐ろしい存在だったのだろうか。……私には、理解できない。

 確かにその言葉も、その声音も、不安定かつ狂乱したものに見えたかもしれない。しかし、彼女の語ることはすべて合理的かつ人として自然な主張をしていたに過ぎない。


 私が失った情を、ミシェルはずっと持ち続けていただろうか。彼女は、私のようにならずに済んだだろうか……。




 ***




「彼女は、私のようにならずに済んだだろうか……」


 レイモンドは気付いていないだろうが、特定の箇所で彼は「感情」を表していた。もちろん、彼が言うように「人間らしく、自然な感情」だ。

 とはいえ、ハッキリとしたものじゃない。淡々とした語りの中、フッと浮かび上がり、そしてまた泡のように消えていくような儚いものだった。


 レイモンドが心を閉ざした理由が外傷であれ心的外傷(トラウマ)であれ、蓋をした隙間から溢れ出すくらいには強い感情が彼の内側では渦巻いているのかもしれない。


「……話が脱線したな」


 俺は膝の上で拳を握り、身構える。

 話の流れからして、次は……「あの人」についてだ。

 俺の誰より大切で、誰より愛する人についての話だ。


「長男が生まれて3年半は、特に何事もない日常が続いた」


 3年半。……それはハリス家の……レイモンドの子供らの、長子と次子の年齢差だ。




 ***




 ……話が脱線したな。

 長男が生まれて3年半。特に何事もない日常が続いた。

 ああ、ロジャーが生まれてすぐ、隣にレックスと新妻が引っ越してきた時は少しばかり忙しくなったか。

 ロジャーという名は、レックスが付けた。向こうの妻が臨月だったからな。生まれた子と生まれてくる子と共に「両家の末永い友好を願って」名付け親を申し出たらしい。

2年後、アンダーソン家には長女も産まれた。ローザという名を付けられた少女とロジャーは幼い頃から仲が良く、向こうの長男ロナルドと我が家のロジャーも自然と親しくなっていった。


 そして、ハリス家の血脈に連なる吸血鬼たちへの恐怖も薄らぎ、父どころか親戚連中も油断していた頃だった。


 ナタリーの妊娠期間が長引いた。

 出産の予定日が短くなったり長くなったりすることはよくあることだろうが、この場合は話が違う。

 これまで「吸血鬼」は、ひと月以上長く腹の中にいることが大半だったからだ。


 ハリス家に連なる者はみな焦りだし、父は私にこう言いつけた。


「いいか。もし吸血鬼であったのなら殺すか隠すか遠くへやれ。ミシェルにその弟、更にはその息子たち……! これ以上この家から吸血鬼が出るのは一大事だ。遠戚のナタリーがお前の婚約者になったのは、他に相手がいなかったからだと察しているだろう。汚名をすすぐ前に汚名を重ねては断じてならない。わかっているな……!」


 半狂乱で頭を掻き毟る父を見ながら、ナタリーが彼のことを古臭い人間だとぼやいていたのを思い出していた。

 そもそも婚約者を決める時代でもなかったろうに、何にこだわって何に恐怖していたのか、私には未だにわからない。


 吸血鬼が産まれたからなんだと言うのだろう。

 息子、または娘として育てることに、私はなんら異存はなかった。……いや、ナタリーの方は親戚連中の言葉にひどく憔悴しょうすいしていたから、実際にどうなったかはわからない。


 予定を半月ほど過ぎて産まれた子は、結論から言えば吸血鬼ではなかった。

 ……だが……遅い出産になったのにも関わらず、彼……いや、結局彼女で良かったのか。彼女は未熟児だった。

 外性器の発達具合がかんばしくなく、出生後の性別の判断が難しくなり、遺伝子の検査を行った際……医師は首を傾げた。


 遺伝子異常の類で、どこか構造が根本からズレている。……が、どうにかヒトの遺伝子らしき範囲を保ってはいる。それが次子の肉体だった。

 次子は吸血鬼ではなかったが、完全にヒトとしての肉体を手に入れたわけでもなかったのだ。


 当時は障碍しょうがいに関する研究もそれなりに進んでいたため、ナタリーは無理やりにでも自分を納得させた。

 後々まで頑なに「本当は男の子だけど女の子のような身体で産まれた」と主張していたのは、「吸血鬼」、および「スカーレットの呪い」の呪縛から逃れたかったからだろうか。


「……次子って……。……次子って、その、……つまり……」


 ……ああ、そうだ。ロデリック。

 

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