第6話 傷口

 自然な人間らしい振る舞いって、なんだろうな。

 一般常識に沿った行動をして、目立ったへまをするでもなく、それでいて情けや抜けたところもあって……みたいな感じか。

 吸血鬼は人の血を吸う怪物だから、冷酷で反社会的なイメージがあって、それに怯えて必要以上に「人間」であることを求め……余計に呪いを強めてしまう。

「人間にならなければならない」……そんな呪いを。


 淡々とした語りはまだ終わらない。ただ、聞き手として理解できたことがある。

 レイモンドは感情を失ったわけじゃない。分からなくなっただけだ。そして……


「過去の自分を取り戻す」ことが、彼にとって幸福とは限らない。




 ***




 次子は男であればローランド、女であればアンドレアと名付けられる予定だった。名付け親は兄のロジャーと同じく、レックスが引き受けた。「お揃いの方がいい」とこだわっていたから、やたらと似たような名前が多いのだろう。

 ナタリーの方はというと、顔色が日に日に青ざめていき、爪を噛んだり頭を掻き毟るようなことが増えていった。


「あなた、ねぇ、どう思うの」

「どう、とは」

「どうしてそんなに平然としているの!? 頭でもおかしいんじゃない!?」


 ナタリーの動揺を思うに、その時の私はしくじっていたらしい。

 難しいものだ。どうにも、「常に安定している」ことは、人として自然な振る舞いではないらしい。


障碍しょうがいはあるが吸血鬼としては産まれなかった。そのことに何か問題があるのか?」

「……ッ、私がどんな目で見られているか、知らない訳じゃないでしょうに……!!」

「遺伝的に素因があったとして、その責任を負うべきはお前ではないだろう」

「でもお義父とうさまはそう思ってない! 私がジンクスを軽く扱ったからだと吹聴ふいちょうしているの、知っているくせに!!」



 女優としての芸名のことを言っているのだろう。

 知己ちきの監督が面白がって名付けた「スカーレット」が呪いを助長した……と、父も本気でそう言ったとは考えづらい。大方、八つ当たりだ。

 そもそも「スカーレットの呪い」は呪いなどではない。遺伝子に「吸血鬼のような体質」が生まれる素因が組み込まれている以上、親戚同士で婚姻を結ぶことで吸血鬼が産まれる可能性は上がる。あまりに当然のことだが、その「素因」を恐れて婚姻を結びたがらない他家が多かったのも事実だ。

 何がそこまで恐ろしいのか。……少なくとも、ミシェルはおぞましい怪物などではなかったというのに。


「何か問題があるのか。我々の子だ」

「……あなたは分かっていない……!」


 ナタリーがなぜ追い詰められているのか、私には理解できなかった。


「……なぁ、奥方にもう少し寄り添ってやれ。僕に相談してくるなんてよっぽどだぞ」


 レックスにもそう言われたが、寄り添う、とはなんだ。……何をすれば、寄り添ったことになる?


「仕事である程度仕方がないのは僕も同じだ。気持ちは分かるが、そばにいることだけが愛じゃない。……もっと支えてやれ」

「そうだな。忠告ありがとう、お前は良い友人だ」


 とはいえ、レックスが何を言いたいのか私にはよく分からなかった。何が「同じ」で何が「分かる」のだろうか。つくづく、不思議な男だ。


 社交界では次子の肉体について「軽い障碍がある」と説明し、使用人、特に世話係のサマンサには兄弟分け隔てなく接するよう言いつけ、仕事でも失敗をすることはほとんどなかった。……だが、当主として、父として、軍人としての責務を果たすだけでは足りないのが「人である」ということらしい。

 ナタリーは、それによく気付く人間だった。


「あなたはおかしい」


 やがて、それが彼女の口癖になった。


「彼女は精神的なサポートが欲しいのよ、きっと」


 隣人一家の妻、ドーラと話をした際、こうアドバイスを受けた。


「簡単なことよ。共感してあげればいいの。人間はねぇ、それだけで安心できるようになっているんだから……」


 ……学習した私は……早速……


 ……なぜ、なぜ従ってしまったのだろうな。

 他人の真似事をすることが共感ではない。

 他人と同じように振る舞うことが自然なわけではない。

 そんな当然のことを私は理解していなかった。


 人間らしさとはなんだ?

 そんな答えを探す時点で人間らしさとはかけ離れているではないか!


 私が……私が、自分を、感情を、取り戻していれば……


 ロジャーは死なずに済んだだろうに。




 ***




 ポタリ、ポタリと床に涙が落ちる。

 蓋の開いた感情が嗚咽となって溢れ出る。


 この人には感情がある。

 だが、問題はそこじゃない。


「……? ああ、済まない。少しぼんやりしていたようだ」

「……泣いてますよ」

「何を言っている。私に涙が存在するはずがない」


 感情があったからこそおかしくなったのだ……と、レイモンドは気付いていない。……いや、んだろう。


 頬を流れる雫を拭うこともなく、相手は再び感情のない声で話し出す。


「お前が産まれたのは、ローランド……アンドレアの誕生から4年後だったな」


 涙はまだ乾かない。……それでも、レイモンドの表情からは一切の感情が消え失せている。


 苦痛と葛藤に耐えきれず感情を抑圧し、人との軋轢あつれきに悩み、それでも考える。

 それが「人間らしさ」でなく、なんだって言うんだよ。


 拳を握り、静かに耳を傾ける。……今は、その傷に触れるべきじゃない。

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