第97話「お風呂回Part3」☆

 アリアの大祭は三日三晩続いた。

 天上の神々と、地上の人々が直接混じり合い浴びるほどに酒を飲み、美味しい料理を食べる。


 年に一度の聖王国の祭典でもこんな大騒ぎにはならない、まさに夢のような日々であった。

 はしゃぎまわってくたくたになって眠った聖姫アナスタシアは、海エルフの元女王イセリナに声をかけられて目を覚ました。


「アナスタシアさん。一緒に湯浴みにいきませんか」

「あ、はい……」


 ムックリと起き上がると一緒にお風呂に向かう。

 もうこの王城での生活にも慣れたものだ。


 脱衣所で、さっと服を脱いで裸になるイセリナを聖姫アナスタシアはぼんやりと眺める。


「イセリナさんと私は似てるって言われるけど……」


 大きい……。


「どうしました」

「いえ、すぐ行きます」


 聖姫アナスタシアがお風呂場に入ると、たくさんの女官たちが輪になってキャーキャーワーワー大騒ぎしている。


「お前ら、水着をつけろって言ってるだろうがぁああああ!」

「え、タダシ様?」


 女官の輪の中から、タダシの声が聞こえて慌ててタオルで身を隠す。


「隠さなくても大丈夫ですよ。タダシ様は、こちらを見てる暇はないでしょうから」


 くすくすとイセリナは笑う。


「えっと……ここって、混浴だったんですか」

「ああ、ここはもともとタダシ様のお風呂なので」


「そ、そうですか。うわ!」


「うわーエリンやめろ!」と言うタダシの悲鳴とともに、タダシの穿いていた海水パンツが飛んできた。


 それを、さっとキャッチするイセリナ。


「魔族の神ディアベル様に発破をかけられたらしく、吸血鬼族の女官たちがタダシ様の寵愛を受けようと必死になっているようなんですよ」


 今やっているのは、誰がタダシの身体を洗うか競争らしい。


「それを一緒にやってるエリン様は、なんなんですか」


 恥ずかしがってるくせに、意外にジロジロと凝視ぎょうししている聖姫アナスタシアは、タダシの穿いている海水パンツを脱がしたのが獣人の勇者エリンだったと言う。


「ああ、エリンはそれを面白がってるみたいで煽りまくってます。二人のパンツレスリングは、いつものことですよ」

「は、はぁ……」


 聖姫アナスタシアは、もう笑うしかない。

 これが、この国のレクリエーションのようなものなのだろうか。


 ついこの間までであれば、聖姫アナスタシアは自国の作法にのっとって湯着を身に着けていたであろうし、タダシと風呂に入るのはもちろん拒否したであろう。

 しかし、今はおおらかでユニークなこの国の風習を面白く感じている自分がいた。


 これがこの国の作法というのであれば、なんでも体感して学んでみよう。

 それに、なにやら謎のモヤモヤとした白い湯気が辺りを覆っていて、万が一にもタダシに肌を見られる心配はなさそうだ。


 湯気を見ればサウナかと思えば、ちゃんと湯船もある。


「この不思議な湯気はなんなのでしょう」

「ああ、この湯気はタダシ様が作られた装置によるものです。何でこんな物を作られたのかはよくわかりません」


 異世界より来られたタダシ様は、たまに意味がわからない物も作るとイセリナは言う。


「心地よい湯気ですけど、湯船があるのを見ると少し過剰な気がしますね」


 しかし、サウナとお風呂の両方を楽しめる工夫というのも、悪くないかもしれない。

 湯船の周りには、近頃タダシが育て始めたという熱帯にしかない裸子植物やトロピカルフルーツの木が配置されていて目にも面白い。


 すぐに身体が火照ってしまいそうなものだが、長く楽しめる工夫もされている。

 贅沢なことに、王城のお風呂場には身体を冷やすための水風呂もあり、冷たい飲み物まで提供されている。


「湯船に入る前に、先に身体を洗ってしまいましょうか」

「あ、イセリナ様。お背中お流しします」


 ここでは、身体を洗い合う風習があると知って聖姫アナスタシアは驚いたものだ。

 王族貴族ともなれば、聖王国では身体の洗浄はお付きのメイドがするものだ。


 その堅苦しいやり方がどうも好きになれなかったので、聖姫アナスタシアはこの国のおおらかな風習を楽しんでいる。


「では、お願いします」


 イセリナが背中を預けてくれるので、柑橘系のいい香りのする石鹸をスポンジで丹念に泡立てて背中を洗った。

 エルフという種族は、本当に美しい肌をしている。


 イセリナと顔が似ている聖姫アナスタシアでも、美しい銀髪や白い首筋を見て惚れ惚れする。

 女ですら色気でくらくらしてしまう。


「アナスタシア様は、もうこの国には慣れましたか」

「はい、おかげさまで」


「一緒に旅されたそうですね。タダシ様はどうでしたか」

「ともに村々を回ってこの国を見ましたが、どこにおいてもタダシ様は、とても立派な行いをしてます。本当に素晴らしい王だと思います」


 堰を切ったようにタダシのことを話す聖姫アナスタシアに、イセリナは言う。


「いっそのこと、アナスタシア様も私達の仲間になってはいかがですか」

「えっ、私がですか」


 それは、タダシの妻になれという意味だろうか。

 思ってもみない申し出だった。


「ええ、私も小なりとはいえ島の女王でした。今のアナスタシア様の憂いていることはわかります。だから言うのです」


 自国の民をどうすべきか。

 タダシと一緒になって協力してもらえば、その悩みが解決するのではないかというのだろう。


「そうですね。考えてもいませんでした。ふふ、とても魅力的なご提案ですね」

「でしょう!」


「でも、私には無理です……」

「なぜですか」


「すでに、タダシには魅力的な妻がたくさんおられるのですから、私など相手になされないでしょう」


 美姫達に追いかけられて、賑やかに大立ち回りをやっているタダシを横目で見て、聖姫アナスタシアは少し寂しそうに言う。

 イセリナと瓜二つのように似ているからこそ、自分との違いを意識してしまう。


「アナスタシア様、今度は私が洗って差し上げますわね」


 うつむき加減の聖姫アナスタシアの後ろに回って、泡立てたスポンジで美しい肢体をワシャワシャと泡まみれにする。


「え、そんなところまで……イセリナ様それは、ひゃう!」

「あらあら、いいじゃないですか」


 こうして見ると美しい銀髪の二人はまるで双子の姉妹のようだが、イセリナはすでに子を産んで腰も据わった母親であり聖姫アナスタシアは何も知らぬ生娘だ。

 イセリナのターンになれば、聖姫アナスタシアはもう良いようにもてあそばれてしまう。


「あ、あのぉ、イセリナ様……ひゃん!」


 いかに女性同士といえど、そこまで身体を余すところなく洗われては……。

 羞恥に肩までピンク色に染まる聖姫アナスタシアに、イセリナは惚れ惚れとした口調で言う。


「この美しく均整の取れたプロポーション。とても羨ましいです。私よりタダシ様に好まれるかもしれませんよ」

「そうでしょうか。でも……」


 そう言われても、タダシの妻でも一位の戦闘力バストを誇るイセリナだ。

 女の盛りを迎えて全身から母性が溢れまくっているイセリナと比べて、あまりにも未熟な自分に負い目を感じていることを見透かされて、聖姫アナスタシアは恥ずかしそうに身を縮こまらせる。


 そのこわばりを解きほぐすように、イセリナは玉のように白く輝く聖姫アナスタシアの肌を、銀糸のような艷やかな髪を、優しく丁寧に磨き上げていく。


「何も悩むことなどありませんよ。アナスタシア様は、こんなにもお綺麗ですから」

「イセリナ様……」


 イセリナには、悩んでいる聖姫アナスタシアをどうにかしてあげたいという気持ちもあり、自分たちの仲間に取り込めばタダシの役に立つという打算もあるから、それでもなおも言う。


「タダシ様は、求めれば応えてくださる方ですよ!」

「そうでなくとも私は、北の帝国の皇太子との婚約が決められているのですよ」


 聖姫アナスタシアには、両国の結びつきを強めるために大宰相のリシューが決めた許嫁いいなずけがいる。

 帝国の皇太子は粗暴な男で、アナスタシアだってあまり乗り気な話ではない。


 しかし、外交のために北の帝国との血をつなげるというのは理解できない話ではない。

 そもそも、王族とは言えなんの政治的権限もないアナスタシアには、大宰相の決めたことを曲げることはできない。


「あらそんなことですか。タダシ様はおっしゃりましたよ。結婚は本人の望み次第だと」

「え、でも貴族や王族は……」


 家のために結婚するものだと言いかけて、この国では違うのだと気がつく。


「ねえ、マチルダさん。あなたも、そう思いますよね」


 イセリナが、隣で美しい金髪を洗っていたマチルダに話を振る。

 フロントライン公国の姫であり、今はタダシの妻の一人であるマチルダは、その言葉にうなずいて言う。


「アナスタシア殿下を見ていると、昔の自分を思い出します。私もタダシ様の妻となるまでは、そんな風に一人で思い悩んでいました」


 マチルダは、まるでかつての自分を見るようだと口元に微笑みを浮かべて言う。


「マチルダ様は、今は違うのですか」

「タダシ様は、かつて敵となった愚かな私を教え諭し、優しく導いてくださった。それに比べれば、アナスタシア殿下は簡単でしょう」


 形の良い胸に手を当てて、万感をこめて言う。

 それは、聖姫アナスタシアにとっては羨ましい話だ。


「でも、私にはそんなことは許されませんから……」

「神々に直接頼むと言われたのです。すでに、私達は同志ではないですか。アナスタシア殿下がそう望むなら、私達は協力を惜しみません」


 そう言うと、マチルダは聖姫アナスタシアの両肩に手を置く。


「しかし、私は聖王国の王位継承者としての立場もあります」

「そんなことは関係ありません。アナスタシア殿下が何をお望みになるかですよ。どうか今は、そんなにお悩みにならずこの国で見識を広めながら、時をお待ち下さい」


「待てば何か変わるのでしょうか?」

「情勢は常に変化しています。大陸中央の自由都市同盟がきな臭い感じなので、我が公国も近々動こうと思っているところです」


「自由都市同盟がですか?」

「はい、きっと聖王国の大宰相や北の帝国の思い通りにはいかないでしょう」


 そう言うと、マチルダは意味ありげな笑みを浮かべるのだった。

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