第93話「理想の王、理想の国」

 聖姫アナスタシアがタダシとともにタダシ王国の村々を回って、わかったことが一つある。

 大野タダシは理想的な王だ。


 視察もあらかた終わった夜、ふらりと来訪したタダシ王を囲んで、村の広場でお祭り騒ぎが繰り広げられていた。


「かんぱーい!」

「王様、うちの村でようやくできた黒ビールです! 冷蔵室を作っていただいたんで、ばっちり冷えてますよ!」


「おお、ありがとう!」

「王様、うちの娘も年頃なんで嫁にもらってやってくださいよ!」


「それはありがたいけど、遠慮しておくかな!」


 民に慕われる王。

 その様子を遠くの席から眺めながら、聖王国の農村とはまるで違うと聖姫アナスタシアは人知れずため息を吐いていた。


 タダシ王国の民は、人族も魔族もみんな豊かに幸せそうに暮らしている。

 なにせ、この国では税がないのだ。


 無税はさすがにまずいという反対があったので、村ごとにある特産品の畑から半分の収穫を王城に納めるように形式的には決められてはいる。

 それも王城から督促が来るわけでもないのに、村民が自主的に納めてくれている。


 それ以外の納税はまったくなし。村で採れる米や麦は、村人の自由にできた。

 もちろん、労役みたいな強制も一切ない。


 一方で、聖王国の農民たちは収穫の半分を税として奪われる五公五民という重い税金を課せられている。

 江戸時代の農民のように米生産ならば五公五民でも耐えられたが、麦の生産性は米の十分の一だった。


 麦しか採れない村もその重税に耐えているのに、「公国や帝国のように戦争協力による厳しい労役がないだけ感謝しろ」と司祭に説教されているのだ。

 その彼らが、タダシ王国の現状を聞いたらどう思うだろう。


 タダシ王国に困窮した民が集まるのも、無理のないことだった。


「聖王国だって農業生産が豊かな大国、本来なら重い税を取る必要はないのに……」


 聖姫アナスタシアは、去年の国務会議のことを思い出す。

 農村の貧しさに気がついた聖姫アナスタシアは、民を守る決意を固めた。


 聖王国の農業生産額について地方の農村を駆けずり回って調べて、四公六民。

 いや、教会の無駄遣いを改めて経費を削減すれば三公七民だってできると、国務会議で居並ぶ枢機卿や官僚たちに勇気を奮い立たせて意見した。


 年若い聖姫アナスタシアの言うことに、教会貴族である彼らはキョトンとして言った。


「聖姫殿下。農民どもを甘やかす意味はなんです」

「甘やかす? 今年も麦や稲は豊かに実っているというのに、彼らは自分の作った物を満足に食べられずに雑穀や野草を混ぜて粥にして食べているのですよ」


 枢機卿はやれやれと、呆れたように手を広げて言う。


「失礼ながら、殿下は基本的なことがわかってないようだ。国務長官、教えてあげなさい」

「どういうことですか!」


 憤る聖姫アナスタシアをなだめるようにして、国務長官は説明する。


「聖姫様。優秀な我々とは違い、庶民とは愚かな生き物なのですよ。租税率を下げれば、民は怠けます」

「怠けるって、農民は自分が食べる分も切り詰めて国に税を納めているんです。仕事で休む暇などなく、聖王国の民だというのに神に祈る余裕すらありません!」


「だから良いのですよ。租税率を下げて余裕ができればどうなります」

「ちゃんとご飯を食べられるようになります」


 それに満座から失笑が漏れる。

 国務長官も、子供をなだめるように苦笑しながら言う。


「それだけならまだ良いですがね。やがて、彼らもそんなに頑張らなくても食べていけるとわかり、日々の仕事を怠るようになるでしょう。そうなれば国力は低下します」


 枢機卿の一人は、聖姫アナスタシアの持ってきた資料を見て失笑した。


「農民どもが楽をするために教会の運営資金を削減せよなどは、冗談にしても悪趣味ですな。聖姫様は、神の代行者たる我々に古着を着ろとおっしゃるのか」

「儀式のために、毎年新しい衣装をあつらえるような贅沢は必要はないと言ってるのです!」


 枢機卿を弁護するように、国務長官は言う。


「教会が使う歳費は、この街の豊かさを支えております。金は上から下へと流れる水のようなもので、国の重鎮たる我々が倹約すればいいというものではありません。聖姫様は、残念ながら経済というものを理解されていないようだ」


 みんなに反対されても、なおも聖姫アナスタシアは言った。


「皆様のおっしゃることはわかります。未熟な私には、まだ学ばねばならないこともあるでしょう。しかし、この聖都アリアナに比べて、郊外の農村の貧しさを放ってはおけません!」


 国務長官は、肩をすくめて言う。


「それは、お優しいことです。ぜひ貧しい人々への施しをなさってください。民の納税に支えられた、教会の歳費の限りでね」


 皮肉めいたその口調に、聖姫アナスタシアは「税を下げればそんな必要はなくなります!」と反論した。


「国の歳費に関しては、我々の責任で決定しております。どうぞ小官たちの職分を侵さないでいただきたい」


 国務長官に続いて、枢機卿もうるさがって言う。


「聖姫様、ここは国政を論ずる場ですぞ。どうぞ聖姫様は、聖堂でご自分の仕事をなさってください」


 そのようにして、けんもほろろに議場から追い出されてしまったのだ。

 自分は決して間違っていないと思いつつ、それでも経験豊富な国の指導者たちがそう言うのだからと口惜しくても反論しきれなかった。


 でも、税の負担がないタダシ王国の民は怠けてなどいないではないか。

 なにが、庶民とは愚かな生き物だ!


 この光景を見てしまったら、あいつらに「嘘を付くな!」と、叫んでやりたい気持ちでいっぱいだった。

 教会貴族が馬鹿にした庶民には、これほどの活力があるのだと見せてやりたい。


 この新しい国がここまで発展できたのは、タダシ王の神技だけの力ではない。

 タダシ王国の民は、生活の余暇を商工業の発展に当てている。


 最初にタダシが、各村に特産品となる作物を与えたのが良かったのだろう。

 猫耳商会の指導もあり、村々でそれを交換する素朴な行商から商業の発達が始まった。


 今では国中の村々が、陸路や河川などの商業ネットワークでつながる様になっている。

 交易で豊かになる者がでてくると、今度は各村で特産品の開発が始まった。


 この村だと黒ビールの製造を手掛けているようだが、酒や味噌や醤油の醸造、織物、染料、陶器、ガラス器、製紙など村々が創意工夫を凝らして特産品の開発を続けている。

 王国から労役や兵役の募集があれば、みんな我先に志願する。


 この新しい国では、生まれや地位などに関係なく働けば働いただけ豊かになれる。

 もう誰からも奪われることがない。


 この痛々しい程の歓喜と高揚は、実際に体感した者にしかわからないだろう。

 飲み会の席で、この前の戦争で一番手柄を立てた若者が王様から褒美と勲章をもらい兵長にしてもらって、村に大浴場まで建ててもらったと興奮気味に話していた。


 お金があれば大きな家も持てる。高価な輸入品だって買い揃えることができる。

 国のために活躍して一攫千金いっかくせんきんを掴んだ男たちの話を、子供たちは羨ましそうに聞いている。


 頑張れば頑張るだけ報われる。みんなによくやったと認められる。

 チャンスを掴んで手柄を立てれば、この新しい国では庶民が騎士にも官僚にもなれる。


 まるで富豪や貴族のように、夢のように幸せな暮らしだってできるのだ。


「……」


 浮かない顔で端っこに座っている聖姫アナスタシアに気がついて、タダシが声をかける。


「いやあ、遅くまで飲み会にまで付き合わせちゃってごめんね。食事の方はどうかな、お口に合うといいんだけど」

「大変美味しくいただいてます。このカツ丼というのは、とても美味ですね」


 聖王国でも米は食べるので、カツ丼は聖姫アナスタシアの舌にもあった。

 王様が来たのでごちそうを作ろうと、村人たちは村で作った豚肉を油で揚げてカツ丼を作ったのだ。


 これも、タダシ王が広めた料理として有名な一品だ。

 カツ丼を食べ終えて、お酒は控えている聖職者の聖姫アナスタシアは、この村で出来たお茶を飲む。


 これも、農業神の加護で作られた大変美味しいお茶だった。

 料理が美味しければ美味しいほど、聖姫アナスタシアは自分の国の民のことを考えて、ため息が出る。


「この民たちは、どうしてこんなに生き生きしているのでしょう。どうして私の国ではこうできないのかと、ずっと考えていました」

「そうか、アナスタシアさんもやがて王様になる予定だったよね」


「どうしたら民は幸せに暮らしていけるのでしょう。タダシ陛下、どうか私に道をお示しください」

「うーん難しいことはよくわからないけど、みんな自分が望んでやってることじゃないかな」


「自分が望むですか?」

「ああ、人が一番辛いことって他人に無理やり強いられることじゃないかな」


 タダシはそれにずっと苦しんできた。

 過去の苦い思い出とともに、ほろ苦い黒ビールの残りをぐいっと飲み干してタダシは言う。


「それで、タダシ陛下は税や労役を課さないのですか?」

「国が税や労役を課さないなんて、みんなにおかしいって言われたんだけど、俺はそれだけはしたくなかった」


 タダシはとてもシンプルだ。

 自分がされて嫌だったことはしない。


 自分がして欲しいと思うことをする。

 王としてタダシがやってきたことは、ただそれだけのこと。


 その飾り気のなさが、虚飾にまみれた世界で生きてきた聖姫アナスタシアにはあまりにも眩しすぎた。

 だから、思わず弱音を吐いてしまう。


「でも、お飾りに過ぎない私には力がないのです。誰も私の言うことなど真剣に聞いてくれない、そんな私にもタダシ陛下のようにできるでしょうか」

「出来るよ。俺でも出来たんだから、アナスタシアさんみたいに民を思う人ならきっといい国を作れる」


 黒ビールで酔っ払った勢いも手伝ったのだろう。

 弱々しく震えるように差し出された聖姫アナスタシアの手を、タダシはギュッと握りしめた。


「タダシ陛下……」

「お互い良い国を作れるように頑張っていきましょう。俺も出来る限り協力しますから」


 タダシにそう言われた聖姫アナスタシアは、ハッとして握りしめられた手にもう片方の手を添えて言う。


「はい! よろしくおねがいします!」


 辺獄に理想の国を作ったタダシが手伝ってくれるなら、自分にもできるかもしれない。

 このために創造神アリア様は、タダシ王国に赴けと言われたのではないか。


 タダシ王国が聖王国にとって脅威になるなんて、とんでもない。

 むしろ自分にとっても、聖王国にとっても、これは大きなチャンスかもしれないとそう思った。


「あ、すみません」


 酔った勢いでいつまでも女性の手を握っていたことに気がついて、タダシはパッと手を離す。


「いえ、やっぱり私も黒ビールいただきますね!」


 聖姫アナスタシアは酒を控えているのだが、この時ばかりは景気づけだとコップに注がれていた黒ビールをグッと飲み干した。


「大丈夫ですか。顔が真っ赤ですが」


 タダシは自分も酔っているくせに、一気飲みした聖姫アナスタシアに気遣って尋ねる。


「はい、大変美味しいお酒です。アハハハ」


 これまでずっと悩んでたことに光明が見いだせた気がした聖姫アナスタシアは、ようやく朗らかに笑えたのだった。

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