第82話「聖王国の聖姫」

 聖都アリアナ。

 その巨大なる都の中央にある白亜の神殿、その最奥。


 大きな黄金の玉座に物憂げな表情で頬杖をついて座るのは、聖王ヒエロス・アヴェスター。

 聖王は、始まりの女神アリアが生み出した最初の人族の末裔と言われる聖人である。


 綺羅びやかな金糸の聖衣に身を包んだ恰幅かっぷくがいいおっさん。

 良く言えば温和そうで悪く言えばどこかおっとりと頼りなげな聖王は、その見かけからはとてもそうは思えないがこの世界で唯一、創造神の加護☆☆☆☆☆ファイブスターを持つ神の代行者である。


 聖王のおわす聖都アリアナは人族の発祥の地であり、創造神アリアを祀る唯一の大神殿のある聖地。

 そして、聖王国は魔界から最も遠い平和な土地であり、世界最大の農業国である。


 人族国家の全てを統べる宗主国であり、宗教的にも政治的にも人族最大にして最高の国。

 聖王国に匹敵する国といえば、強大な軍事力で数多の領邦国家を従える北の帝国くらいしか存在しない。


 その押しも押されもせぬ世界最高の大国が、いま揺れていた。


「リシュー猊下のおなり!」


 謁見の間を守る衛視が慌てて叫ぶ。

 ザッザッと苛立たしげな足音を響かせて、多数の廷臣を連れた聖職者がやってきた。


 豪奢な赤いローブを翻した、非情かつ傲慢そうな印象のその壮年の男性。

 聖王国の第三位。聖王の外戚でもあり、大司祭にして大宰相であるリシュー・エーグノ公爵。


 形だけは跪いて見せるが、実質この国の独裁者はリシューであった。

 聖王ヒエロスは、機嫌を取るように言う。


「リシュー、どうした血相を変えて」

「どうしたもこうしたもございません! なぜタダシ王国への禁輸措置を緩めたのですか!」


 そう言われて聖王ヒエロスはバツが悪そうに、目をそらす。


「うーむ、それが猫耳商会とタダシ王国は別だと言われてのう」

「別なわけ無いでしょう。その辺りは、すでに調査済みです。猫耳商会の商会主、あの商人賢者シンクーはタダシ王国の王と結婚していると言うのですよ!」


「そ、そうか。しかし……」


 そこに美しいドレスに身を包んだ姫が入ってくる。

 セミロングの銀髪プラチナブロンド。ほっそりとした体躯に、淡雪のような肌。


 碧い瞳にどこか優しげな光をたたえる一方、引き結ばれた口元が芯の強さを感じさせる。

 聖王ヒエロスの一人娘であり、いずれ継承者となる聖王国第二位、聖姫アナスタシアである。


「リシュー! お父様には私が頼んだのです!」

「これは……アナスタシア様」


「市中に出た際に、私もよく調べたのですよ」

「また難民どものキャンプに行かれたのですか。勝手に街を出歩いてはならないと言っておるではないですか。お優しいのは結構ですが、お付きの女官達が困りますよ」


 豊かな聖王国を頼って、様々な国から集まってくる多種多様な種族の難民。

 聖都を守る壁の外にある難民キャンプでは近頃、難民達が一夜にして忽然こつぜんと消えるという不可解な事件が起こっていた。


 口さがない聖王宮の聖職者達の中には厄介払いが出来たなどと酷いことを言う者もあったが、真剣に難民を救おうとしている聖姫は何度も通って調べていたのだ。


「混ぜっ返さないでください! 呪われし辺獄の土地にできたタダシ王国とやらは、たいそう安く食料や治療薬を売るそうですね」


 リシューの軽口に、白い頬を紅に染めて言う聖姫アナスタシアに、リシューは立派な顎髭をさすりながら言う。


「……魔族にくみする国が送ってきた汚らわしい食料です。毒が入っているという噂もあります」

「その件も含めて、私がきちんと調べました。良質の小麦や米でした。毒などどこにも入っていませんでした」


 余計なことをと、リシューは苦々しげに頬を歪める。

 タダシ王国の悪い噂を流したのは、他ならぬリシューであったからだ。


「毒が入ってないと……ですが、それがどうしたというのです」

「どうしたって! それで飢餓や疫病から救われている民がいるのですよ。大事な食料の供給を止めるなんて、やりすぎでしょう!」


「だから、それがどうしたかと聞いているのです」

「なんですって?」


「タダシ王国は汚らわしい亜人種どものみならず、邪悪なる魔族とともに生きようなどという世迷い言を言ってる国ですぞ。わかりますか! 人間の生き血や精気をすすり、餌としか思っていない邪悪な魔族とですぞ!」

「それは、重々承知しております。しかし、提供される食料や治療薬に罪があるわけではないではないですか」


「いいや。重罪ですね。邪悪な者達によって作られた食料で飢えを凌ぐくらいなら、潔く餓死すべきです」


 傲慢そうな顔でそう言ってのけるリシューに、アナスタシアは顔を真っ赤にして反論した。


「それは言いすぎでしょう! 命は何よりも尊きもの。この大地に生まれし誰しもが生きる権利を持ち、貧しき者には進んで施しをせよというのが女神アリアの教えです!」

「お題目は結構。失礼ながら、聖姫様は事の深刻さを何も理解しておられない」


 鼻で笑うリシューに、アナスタシアはさらに怒って言う。


「宗主国たる我が国が、困窮した全ての人々に食料や治療薬を供給できないのが問題なのではないですか!」

「聖姫様は敵の宣伝工作に騙されていて話になりません。聖王陛下」


 おどおどして二人の言い争いを聞いていた聖王は急に尋ねられて目を泳がす。


「な、なんだろうか」

「アナスタシア様の世迷い言を本当に信じられるおつもりか」


「しかしなあリシュー。魔族と融和することで大陸の南側では人魔戦争が終わったというではないか。余は、争いが嫌いだ。猫耳商会より送られてきた弁明をつまびらかにしたが、頷ける部分もあるようには思った」

「聖姫様のみならず、聖王様ともあろうものが! 魔族にくみするものの世迷い言に騙されてどうしますか!」


 声を荒らげるリシューに、聖王ヒエロスは驚いた亀のように身を縮めて黙り込む。

 しかし、聖姫アナスタシアは黙っていない。


「リシューの申す、人族の全ての国々にタダシ王国と断交を命じるのは厳しすぎる処置ではありませんか。緩和すべきです!」

「いいえ、足らないくらいですね。本当は、今すぐ武力を持って潰したいくらいなのですよ」


 それには、聖王ヒエロスが血相を変えて言う。


「戦争はいかん。戦争だけはいかんぞ!」

「わかっております。我が国は、平和国家ですからね。しかし、聖王陛下のご命令によりタダシ王国と各国と断交させて孤立させるのは必須です」


 聖姫はなおも反論する。


「何故そこまでしなければならないのですか」

「食料に治療薬! これは我が国の主な輸出品です。タダシ王国とやらは、それを我が国よりも安く提供し続けているのですよ」


「いいことではないですか」

「ハッ、どこが? どこの国も食料や治療薬を自給できず、我が国が唯一の輸出国だからこそ世界各国は我が国を宗主国とあがめているのです!」


 それが、このアヴェスター大陸唯一の大農業国である聖王国の強さの源であった。

 いや、タダシ王国などという新興の大農業国ができてしまった後では、だったと言うべきか。


「しかし、そのために各国で難民が発生して、貧しき民が飢餓や疫病に苦しむのはあまりに酷いではありませんか!」

「お優しいことだ。聖王国の象徴であり、やがて聖王位を継がれる慈悲深き聖姫アナスタシア様にはそう在ってもらわなければ困りますが、それによって我が国が滅びるといえばどう思いますか?」


「滅びる? 豊かな我が国がどうして滅びるのですか?」

「その豊かさは、貿易で優位に立っているから成立しているのです。聖王様、これをご覧ください!」


 大宰相リシューが指を鳴らすと、タダシ王国の商品が運び込まれてくる。

 それは、豊かな食料品の数々だった。聖王は尋ねる。


「これは?」

「見てわかりませんか。これは我が国のものではありません。味噌! 醤油! ソース! 神聖なる清酒まで! タダシ王国のやつばらは全部全部、聖王国の高額商品を模倣して見せたのです! 完全に我が国を舐めてます!」


「なんと……」


 聖王ヒエロスも、それには絶句する。

 聖王は、聖姫ほど経済がわからないわけではない。


 聖王国の自慢の商品を、より安価で売られたら国の経済がどうなるかくらい理解できている。


「聖王様は、そこのぼんくら姫にそそのかされて禁輸措置を緩めましたね。これを見れば、その判断がいかに誤りであったか、一目瞭然でしょう」

「う、うむ……」


 更に畳み掛けようと、リシューは新しい商品を廷臣に運ばせる。


「市中の調査なら、私もいたしました。猫耳商会の連中は、こんな物まで売っていたのです」


 聖王の前に並べられたのはガラス器に陶器だ。

 聖王国の産物よりは無骨に見えるが、値段が十分の一もしない価格で売られていたと説明する。


「聖王国の物よりは、かなり見劣りするようだが……」

「確かにまだ美しさには劣りますが、彼の国の商品はあまりにも値段が安すぎるのです。次は我が国のどんな商品をコピーして安価で売ってくるやら、こんなことを許していては、我が国はいずれ滅びます」


 違いのわかる貴族はともかく、庶民ならばこれでも十分に使える器なので喜んで買うだろう。

 そうなれば、聖王国の商品はどんどん売れなくなっていく。


 聖姫アナスタシアは、なおも抗弁する。


「しかし、リシュー。貧しい民たちは!」

「アナスタシア様。宗主国として、人族の国々をまとめている聖王国の経済力や政治力が衰えてどうなると思います?」


「……どうなるのですか」

「不遜なことに、タダシ王国のタダシ王は神々を直接下ろすと言われています」


「ただの噂でしょう?」

「そんな噂がこの神聖なる聖都にまで伝わっていることが問題なのです! 安い値段で食料や治療薬をばら撒いているタダシ王は、ちまたでは救世主扱いだ。このまま手をこまねいて見ていれば、衰えた我が国に変わり、タダシ王国が新たな覇権国になる日も遠くない」


「そんな!」

「そうなれば、北の帝国だって大人しくはしておらんでしょう。人族の紐帯は寸断され、国家間の秩序は崩壊し新たな戦乱の時代になりかねない。聖王、そうなれば行き着く先は新たな大陸戦争ですぞ! いや魔族の味方をしている彼の国は、それこそが狙いに違いない!」


 見事なリシューの弁舌に、戦争はいかんと聖王は頷いてみせる。


「リシュー、そうと決まったわけでは……」

「これしきのことを聖姫たるアナスタシア様が理解していないのがおかしいのですよ。ともかく、人族の各国にはタダシ王国との貿易停止を命じます。経済封鎖に従わない国は、魔族に味方するものとして敵とみなします。よろしいか聖王陛下!」


「……わかった」

「お父様! それはあまりにも早計すぎるかと!」


 酷薄そうな笑みを浮かべた大宰相リシューは、懇願する聖姫アナスタシアを遮って言う。


「判断が遅いくらいなんですよ! これだけでは生ぬるい、さらなる措置を検討します。大神殿の奥で祭事だけやっていればいいあなた方とは違い、大宰相でもある私にはこの神聖なる聖王国を守る使命がある。それでよろしいですね」

「リシュー待ちなさい、まだ話は終わっておりませんよ」


「聖王様は理解していただけたようだ。失礼ながらこれ以上の議論は時間の無駄なので、失礼します」


 リシューは押し止めようとする聖姫を眺めてフッとあざ笑うと、真紅のローブを翻して白亜の回廊を去っていった。

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