第43話「終戦」
四百隻を超える軍船の各所から悲鳴が上がる。
マチルダたちが船室から飛び出した時には、船の上は地獄と化していた。
「何事か!」
「それが、船底が次々と喰い殺られて、ぎゃぁあああ!」
マチルダに報告していた兵士が、水面を跳ねて船に飛び込んで来たデビルサーモンに噛みつかれて、そのまま川の中へと引きずり込まれた。
「オージン、これは一体どうしたことか。なんだこの奇怪な化け物魚は」
再び水面から飛び込んできたデビルサーモンを、聖剣で斬り伏せるマチルダ。
その魚の死体を調べて、オージンが言う。
「嘆きの川に棲む、デビルサーモンという凶悪な魔魚です。そうか、嘆きの川が伝説の通りの姿に戻っていくのか」
「どうしてこんなことになった!」
「おそらく、これこそが大野タダシの力かと。たったそれだけのことで、我が軍は……ああ、どす黒い川から立ち上る臭気を吸ってはなりません。病に侵されますぞ!」
オージンはハンカチで口を押さえてそう言うが、すでに沈没している船もある。
猛毒の川に落ちた兵士は、たとえ運良くデビルサーモンに食われずに川岸にたどり着いても、もはや使い物になるまい。
「全軍、川岸に避難せよ! 陸ならどこでもいい!」
マチルダの命令で、鈍重な大船団がなんとか川岸にたどり着いて上陸した頃には、兵士の数は半数まで減っていた。
「槍兵第一大隊壊滅! 傷病者多数あり至急救援を!」
「弓兵第三大隊、半壊状態です! どうかご指示を!」
伝令から次々と絶望的な報告が上がって来る。
生きて岸までたどり着いた者も、その多くが猛毒に侵されて全軍の大部分が戦闘不能に陥っている。
「閣下、残念ですがここまでです」
暗い顔で言うオージンに、マチルダが叫んだ。
「ならん! このまま敵に後ろを見せられるわけがあるまい。いくぞオージン。まだ戦は終わっていないのだから!」
「あ、どこへ行かれますか!」
マチルダは豪奢なマントを翻して白馬に飛び乗ると待ち構えるタダシの軍に向かって、お供の騎士を率いて駆けていく。
シャキンと、腰の聖剣を引き抜く。
「大野タダシよ、この公国の勇者たる私に本気を出させたことを後悔するがよい! 天駆ける星よ、我に仇なす敵に滅びを、
これぞ公国の勇者の聖剣
魔王軍への反攻作戦のための虎の子だが、もはや出し惜しみはなしだ。
劣勢となった公国軍を何度も救ってきた、究極の秘義である。
急に暗くなった空から、流星群がタダシの軍勢に向かって落ちてくる。
「これはいかんニャ! 知恵の神ミヤ様、どうかうちにお力を!
猫耳の商人賢者シンクーが、青い猫毛を逆立てて全力魔法で魔法障壁を打ち上げるが、いくつか星を消し飛ばしただけでまったく手数が足りない。
落ちてくる流星の数が多すぎるのだ。
「アハハハッ、いかに商人賢者シンクーといえども、落ちてくる星の全ては止められまい! 私はこの日のために半年神聖力を溜め続けたのだぞ! 聖剣
「こんな荒業、むちゃくちゃすぎるニャ!」
大規模質量攻撃はさすがに反則だろう。
凄まじい光景に、暗くなった空を見上げてタダシも冷や汗をかいていた。
隕石落としか。あんな物に当たったら、いくら城の壁が魔鋼鉄でもひとたまりもない。
どれほどの犠牲が出るか、想像もできない。
「クルル!」
タダシが、呼ぶとフェンリルのクルルが駆けてきた。
クルルに飛び乗って隕石に向かってひた走る。
「タダシ王、新作の
ドワーフの名工オベロンが、農業の加護
バシッと
ぶっつけ本番。先程シンクーがやっていた要領で、タダシもやるのだ。
果たしてできるか!? いやここはタダシがやるしかない!!
「頼みますクロノス様! 俺にあの星を耕す力をください!
タダシがそう叫んで、
「なんだと!」
「まだ足りないのか! それならば!
ブンブンと振り回されるタダシの
天空へと拡散するビームが放たれた!
ピュキューン! バシューン! ズゴォオオオオオオオオオオオオン!
タダシのイメージするままに
空は地上から放たれる青白いビームと、赤色に輝く流星が激突し、星が粉々に砕け散る輝きで空はキラキラと彩られた。
マチルダの目の前で、タダシ王国の軍勢を打ち砕くはずだった流れ星が次々と爆散消滅していく。
やがて、全ての流れ星が空から消失した。
公国の最後の希望、聖剣
しかも、青く輝く
最後の切り札を農機具で打ち破られたマチルダは、もはや
しんと静まり返った戦場で、マチルダはようやくつぶやく。
「な、なにが起こったのだ。誰か説明してくれ!」
「落ちてきた星を耕しただけだ。表面を削れば小さくなった星は断熱圧縮の熱で燃え尽きる。さすがに、成層圏の更に上までディグアップショットを届かせるのは大変だったけどな」
タダシの言っている説明が、マチルダはもとより誰にも理解できない。
こんな理不尽なことがあるかと、マチルダは力の限り絶叫した。
「一体何なんだ! お前は一体何者なんだ!」
「俺は大野タダシ! 農家だ!」
神業を成功させて興奮状態にあるタダシは、バシッと黒歴史になりそうなカッコいいセリフを決めてしまった。
クルルも、見たかうちのご主人様の神業と得意げに「グルルルッ!」と吠える。
そこで、ようやく後ろから転がるように駆けてきたオージンが間に合った。
「大野タダシ殿! どうか、降伏させていただきたい! こちらから攻めかけてこう申すは図々しいのも百も承知。そちらの条件はすべて飲む! 私の首を捧げてもいい!」
「何を言うかオージン! まだ戦いは」
怒りに顔を真っ赤にしたオージンは、そのままマチルダの輝く巻き髪ごと頭を鷲掴みにして、ぐわっと後ろを向かせる。
そこには、猛毒の川の被害で壊滅状態の公国軍二万三千の将兵がいた。
「この惨状をよく見てみろ、この愚か者が! これがお前が成したことの結果ぞ! 戦いなどすでに負けておるわ!」
「オージン何をするか、無礼であるぞ!」
マチルダは暴れるが、オージンは決してその手を離さない。
公国の勇者であるマチルダが、
「この期に及んでまだわからないのか! すでに公国軍将兵の半数が死に絶えようとしている! 多くの者が病に侵されている! 全ては功を焦ったお前のせいなのだぞ!」
「わ、私は国のために必死で戦って!」
その言葉を聞いて、オージンはもはや怒りを通り越して悔し涙を流す。
「これが国のためだと、この救いようのないバカ娘が! タダシ王は、辺獄を元の荒れ果てた土地に戻すこともできる。大事な将兵を殺し、荒れ果てた土地を手に入れて一体どうするつもりなのだ!」
タダシにその力があるとわかった時点で、公国の戦争目的は
それを即座に理解できないマチルダは愚かなのだ。
将兵の命を預かる軍のトップとして、その愚かさは万死に値する。
そこにタダシが言う。
「戦闘を止めると約束してくれるなら、川を元に戻しましょう。今ならまだ助けられるはずです。猛毒に侵された兵士も、こちらで治療しますよ」
「え、タダシ様。あんなやつらのために、エリクサーを使うんですか」
公国の人間に不信感を持つイセリナが、
「ああ、こちらを攻撃しないと約束するのであれば殺す必要はない。戦争が終わったんなら、たとえ敵であったとしても救える命を救いたい」
「なんたる慈悲深き王か! 商人賢者シンクー殿!」
そのタダシの言葉に光明を見出したオージンは、泣きながら叫ぶ。
「なんニャ、老賢者オージン」
「知恵の神ミヤ様に誓う。慈悲深きタダシ陛下の許しを受けて、公国軍は武装解除とそちらの条件を全て飲む形での降伏を約束する。もしこの約束を破る者があらば、私は即座に公国軍総帥マチルダ・フォン・フロントラインを殺し、自らもこの場で命を断とう!」
指を白光に輝かせて。神印を切るオージン。
「タダシ陛下、命をかけた誓約魔法ニャ。老賢者オージンは、公王に内務の全てを託された公国の重鎮。この宣言は信用できるニャ」
「わかった。すぐに嘆きの川を浄化しよう。みんな、思うところはあろうがこれ以上傷つけ合うのは止めよう! イセリナたちも、病に苦しんでいる公国軍の兵士をエリクサーで治療してやってくれ!」
タダシの指示で、川で溺れていた公国軍の兵士たちも救われ、猛毒もエリクサーによって治療されていった。
攻撃した相手に完膚なきまでに敗れて、その上で命を救われたのだ。
もともと、魔王国に反攻するためと言われて集められていたのに、同じ人間が治める国に攻め入るなどわけがわからないと思っていた騎士や兵士は多かった。
公国軍の騎士たちは攻めてきた敵の命まで救う獣人やエルフの姿に大いに恥じ入り、自ら抵抗を止めて武器を手放し救助を手伝い始めた。
そして、オージンにそのまま頭を地面に叩きつけられたマチルダは悲惨であった。
美しい金髪の巻き髪が、白皙の頬が今は泥に汚れている。
「わ、私を殺すだと。血迷うたかオージン!」
「もとより公王陛下より命じられていた。もしマチルダが道を誤り、公国を滅ぼしそうな時は我が剣によって殺せと!」
オージンが引き抜いたのは、公王の宝剣であった。
その剣を見て、マチルダはその言葉が真実であることを悟って泣き叫んだ。
「うぁあああ! お父様! オージン! 私は、私は、これまで国のために! ずっと、ただ国のためにぃいい!」
「すまなかった! 娘同然に育ててきた弟子可愛さ故に、ここまで止められなかったのは我が一生の
「
もはや涙は枯れ果てその碧い瞳から光沢が失われ、焦点もあわず
「あ、あのー盛り上がってるところ申し訳ないんだけど、殺すことないんじゃないかな」
今にもマチルダの首を
「なんと、タダシ王はこの不始末を起こした敵将の首もなしに許すとおおせられるか」
「首なんかもらってもしょうがないですよ」
その言葉に、シンクーも頷く。
「タダシ王は正しいニャ。おバカな姫騎士の首なんか一銭にもならないニャー。あと、公国軍を統制する将がいなくなっても後々面倒なだけニャ」
オージンは尋ねる。
「しかし、此度の戦の
「イセリナたちの故郷のカンバル諸島を返してもらうのはどうでしょう」
「そんなことでよろしいのですか!」
軍事力が弱まり魔王軍への侵攻作戦どころではなくなった公国にとっては、むしろカンバル諸島を返すのは駐屯する兵士が少なくなって助かるくらいだ。
「あとは、我が国を公国にも認めていただいて平和条約を結んでいただければと」
「タダシ王国を最恵国待遇にする通商条約も欲しいニャ」
ここぞとばかりに畳み掛けてくるシンクー。
しかし、そのどれもこれほどの大敗を
なんと寛大な処遇をと、オージンは涙を流して自らも額を地面の泥に押し付けるようにして言う。
「そちらの条件、謹んでお受けいたします。そして公王陛下の代理として、深く謝罪します。せめて、ケジメを付けるため公国軍総帥のマチルダは即刻解任し、謹慎処分といたします。当面私が公国の代表を務めますが、タダシ王が望まれるならばこの老いぼれの首いつでも差し上げに参りましょう」
「誠意はわかりました。頭を上げてくださいオージンさん。マチルダさんもそれ以上は可哀想ですから。これからは、善き隣国となってくれると助かります」
「ハハッ! 寛大なるタダシ陛下に心より感謝いたします。それでは、早々に軍を引く準備をしなければなりませんので、ひとまずこれにて!」
完全に虚ろとなったマチルダは、オージンに引きずられるようにして去っていった。
あれ大丈夫なんだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます