第32話「フロントライン公国首都センチュリー」

 フロントライン公国、首都センチュリー。

 一人の勇者と百人の騎士によって始まった天星騎士団の持ちたる国。


 魔王軍の脅威に対抗する人族の牙城たるセンチュリー城の執務室では、難しい顔をして案件を処理している黄金色の巻き髪を垂らした女騎士がいた。

 マチルダ・フォン・フロントライン。二十五歳。


 フロントライン公国公王ロンバルドの一人娘である。

 病床の父の代理として公国軍の総帥と天星騎士団長を務めており、現在の公国の実質的支配者となっている。


 政務中も軽装ながら鎧に身をつけているのは、魔王軍と戦う常在戦場の構えを見せるためであるしマチルダが英雄の神の加護☆☆☆☆☆ファイブスターと聖剣天星の剣シューティングスターを持つ最強の勇者でもあるからだ。


「うむむむ……」


 二十五歳の若さでありながら、公国軍を率いて数多の戦場を駆け抜けて来た勇者とはいえ、書類仕事は苦手であった。

 しかし、生来せいらいの真面目な性格でわからないからといってそのまま下に任せて通すわけにはいかない。


 気高い性格であるため、気軽に人に尋ねることもできない。

 結果として、マチルダは碧い瞳を凝らして書類とにらめっこになる。


「お父様は倒れられているのだから、私がなんとかしないと……」


 自身が公国最高の戦力であるマチルダは、その血筋と実力をもってしてなんとか軍を統括できているものの、その若さゆえに侮りを受けることも多い。

 さっさと結婚して夫に国を任せろだの、二十五歳にもなって姫騎士は痛いだの陰では散々な言われようだ。


 軟弱な貴族どもが、ふざけるなと言いたい。

 任せられるような人間がいれば、とっくに任せている。


 この状況を打開できる人間が誰もいないから、マチルダが責任を一身に背負って戦い続けているのに。


「姫様、失礼します」


 ノックして入ってきたのは、ロマンスグレーの髪に口髭をたくわえた老賢者である。

 オージン・フォン・ローゼンハイム。


 知恵の神の加護☆☆☆☆フォースターを持つ老賢者の彼は、病床の公王より内務を任された重鎮であり、戦場においてはマチルダの軍師役も務める。


「あー、オージンか」


 マチルダの碧い瞳が優しい色になる。

 気を張っているマチルダだが、幼き頃よりの教育係でもあるオージンにだけは気を許している。


 オージンはすでに齢五十八を数えるが、若々しくスラリとしていて賢者というよりはハンサムな老執事といった風体だ。

 さっと決裁書類の進み具合を見て、マチルダが詰まっていることを察する。


「提出した資料のまとめが足りなかったようですな」

「いや、手が足りない中で文官はよくやってくれていると思うが……」


 もともと騎士国であったフロントライン公国は文官が少ない。

 オージンも、現在は後方の軍の再編成と補給でかかりっきりになっているところだ。


「前年の魔王軍との戦いで北の穀倉地帯を奪われたのが痛かったですね。ようは、なんとかギリギリで補給を回しているということですよ」

「そうか、これはそういうことか」


 ようやく理解できたマチルダは、書類を決裁するとぐったりと背もたれに身体を預ける。


「それでそのことにも関連する話なのですが、カンバル諸島に不穏な動きがありとの報告が入りました」

「なんだと! あそこは次の作戦で重要な基地ではないか。補給が上手くいっていないのか?」


 北方の内陸部で魔王軍に負け続けているフロントライン公国にとって、南方のカンバル諸島を経由して海からアンブロサム魔王国の後背に奇襲をかける作戦はまさに乾坤一擲けんこんいってき

 国家の命運がかかった重要な作戦なのだ。


「いえ、補給は上手く行っております。島のエルフや獣人は七つの倉を食糧でいっぱいにせよとの命令をきちんと履行りこうしました」

「なら心配ないではないか」


「それが、島の住人が半数にも満たなくなっているとの話があるのです。もしかしたら、課税の重きに耐えかねて逃散ちょうさんしたのでは」

「逃げると言っても、我が公国と魔王国に挟まれている島の住人がどこに逃げるというのだ」


 公国の徴税は苛烈かれつだが、人間を魔物の餌としか思っていない魔族の支配はもっと苛烈だ。

 それらの脅威から、逃れ逃れて島にたどり着いたエルフや獣人たちに逃げ場などない。


「それはそうではありますが、だとすれば無理な徴税で死んだかです。どちらにしろ、早急に調査して対処すべき大きな問題かと思われます」

「捨て置け」


「姫様……」

「今の私は姫ではない、総帥と呼べオージン。そなたでなければ、不敬として切り捨てているところぞ」


 険しい顔をしたオージンはその場に跪く。


「では総帥閣下に申し上げます。カンバル諸島も公国に参入させたからには我が国の民、これ以上の過酷な税は控えるべきです」

「カンバル諸島には、我が国の民として同じだけの税を課しているのだから無理は言っていない」


「閣下、カンバル諸島の土地は痩せております。塩水のせいで麦や豆を持ち込んでもろくに育たず、内陸の領地と同じだけの徴税をすれば早晩に枯れ果てましょう」

「騎士団ではエルフや獣人どもは奴隷にして売り払えとの意見もあったのだぞ。そこを私はエルフの女王の意向を汲んでやり、食糧の供給で手打ちとしたのだ。その約束がきちんと果たされているなら何の問題もないではないか」


「閣下、民あっての国ですぞ。なにとぞご再考を!」

「くどい。島の調査など必要はない。魔王軍への反攻作戦は近いのだ。オージンたち文官も、そのための準備で手一杯であろうが!」


 睨み合いになってしまった。

 オージンは、まだなにか言いたそうな顔をしていたが頭を下げて執務室を退出した。


 出ていった扉に向かって、マチルダはつぶやく。


「意地を張りすぎてしまったか、すまんオージン。しかし、今は魔王軍との戦いに勝利することが先決だ。私の判断は間違っていないはずだ」


 襟元を緩めると、執務室の窓を開けて眼下に広がる街を眺める。

 吹き上がる風にマチルダの金色の巻き髪がなびいた。


「風が心地よい……」


 オージンに言われずとも、カンバル諸島の島民に苛烈かれつな条件を突きつけたことは自覚している。

 それでさらに多くの人間が死ぬことになろうとも、戦いに負ければいずれこの国そのものが失われる。


 戦い続けて勝つ。

 それしかマチルダに取るべき道はないのだ。

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