第一章 元勇者は一人では眠れない 7

 二年前──

 シオンは勇者として戦った。

 勇者のパーティを率いながら、魔王が率いる軍勢と戦い続けた。

 最後には魔王城へと乗り込み、側近である『四天女王レデイストピア』とも激戦を繰り広げ、一人、また一人と仲間が倒れる中、ただ一人最後まで戦い続けて──

 死闘の果てに、とうとう魔王を討伐した。

 しかし。

 笑っていた。

 笑っていたのだ。

 シオンに命を絶たれる瞬間、魔王は、とてもうれしそうに笑っていた──

「魔王を、倒した……は、はあ? バカ言ってんじゃねえよ。二年前に魔王を倒したのは、レビウスだろ? 勇者レビウスが、魔王をぶっ倒してくれたんだろ?」

 なにをバカなことを、と言わんばかりにガーレルは言った。

 そう、それがこの世界の常識だ。

 魔王を倒したのは──レビウス・ベルタ・サーゲイン。

 名門貴族サーゲイン家出身の、せいかんな顔つきをした美青年だ。

 人類の大多数が、世界を救ったのは彼だと信じ切っている。

「レビウス……って、誰だっけ?」

「あれだろ。確か、魔王城の入り口の方で倒れてたやつ。顔だけはよかった男」

「あーあー、そういえば、いたねえ。確か、シー様が転移魔術で、近くの街に跳ばして守ってあげたんだっけ?」

 フェイナとイブリスが言う通り、レビウスは元々シオンが組んでいたパーティの一人だった。優秀な剣士だったが、魔王軍の猛攻を前に敗北。死ぬ寸前に、シオンが戦線から離脱させた。

 シオンの呪いが判明した後──偽の勇者として祭り上げられたのが彼だった。

 王室にとって、都合のいい存在だったのだろう。名門貴族の出身であるし、見た目も申し分なし。平和の象徴として、これ以上ない偽物だった。

 この国の民は皆、誰もがレビウスを愛し、彼の言葉に導かれることを望んでいる。

「……『聖剣メルトール』か」

 シオンは地面に落ちていた剣を拾い上げる。

「懐かしいな。この剣は──昔、僕が振るっていたものだ」

「な、なにを言ってんだよ? それは、勇者が使っていた剣だぞ!? 魔王を倒した、伝説の武器だ! レビウスが愛用していた剣で、だから俺は、そいつを──」

「さっきも言っただろう? 魔王を倒したのは僕だ」

「……本当、なの、かよ。本当に、てめえみたいなガキが、魔王を……」

 きようがくと畏怖に目を見開き、ガーレルはぼうぜんとシオンを見上げた。

「だったら、なんでてめえは……こんなとこにいやがるんだ!? 魔王を倒した勇者となれば、金も名声も女も、この世の全てが思いのままだろ! 今のレビウスみてえに、人類の英雄になってなきゃおかしいだろ! そんな野郎が、なんでこんなへんな田舎で隠居してやがるんだよ!?」

「その答えは──今からお前が、その身をもって思い知る」

「ど、どういう意味──っ!? が、は……」

 突如、ガーレルが胸を押さえて苦しみだした。顔色がそうはくとなり、息が荒くなる。全身の力が抜けたかのように、前に倒れこんでしまう。

「ふむ。聖剣の加護のせいか、少し効くのが遅かったようだな」

「は、はあ……はあ……てめえ、なにをしやがった……」

。なにもしていないからこそ、ひどく厄介なんだよ」

 唾棄するように吐き捨てるシオン。

「僕が魔王から受けた呪いは、不死身の体だけじゃない。吸精、エナジードレイン……呼び方はなんでもいいが、とにかく僕は、ただそこに存在するだけで周囲の命をむしばむ。そんな化け物に成り果ててしまった」

「エナジー、ドレイン……」

「どれだけ抑え込もうとしても、完全に抑え込むのは不可能だった。減衰はできても消滅はできない。今の僕が人里に住めば──ひとつきで街が一つ滅ぶだろう」

「……っ!」

「こんな化け物が、勇者でいられるはずもない」

 魔王を倒した後──

 シオンを送り出した王室は、少年を至高の英雄として迎え入れようとしたが──呪いが判明した瞬間、露骨に手のひらを返した。

 ある者は忌み嫌い、ある者は腫物のように扱い、ある者は化け物相手にびへつらうような態度を取った。

 最終的に下された命令は──魔王は他の者が倒したことにするから、お前は遠くに消えろ、というもの。金だけはやるから、人目につかないところで、誰にも迷惑をかけずに生きていてくれ、というもの。

 その命令を──シオンは受け入れた。

 受け入れる以外、選択肢が存在しなかった。

「ひ、ひぃっ! やめろ……く、来るなあ! う、ああ……」

 ガーレルは絶叫し、必死に逃げようとした。しかし立ち上がることはできない。

 体力も魔力も、あらゆる生命力の全てを、奪われ続けているから。

 シオンはゆっくりと歩を進める。

 幼い顔には──なんの感情もない。

 ゾッとするほどに冷めた瞳で、取るに足らない生き物を眺めるような目で、芋虫のようにうごめく男を見つめていた。

「わ、わ、悪かった! 俺が悪かった! か、返すよ! 聖剣も宝石も、宮殿から盗んだものは全部返す! だからどうか、命だけは……」

「ふむ。なにか、勘違いをしているようだな」

 涙を流して命乞いを始めた盗賊に、シオンは淡々と告げる。

「宮殿への侵入と窃盗については、僕の関知するところではない。僕を追い出した王室に、今更義理もなにもないからな」

「……わ、わかってる。お前の首をねたことも、悪いと思って──」

「違う。あの程度はかすり傷でもないと、さっき言ったはずだ」

「じゃあ、なにが」

「わからないのか?」

 いらち交じりに言うと、シオンは顔を上げて、ぐるりと庭園を見渡した。

『聖剣メルトール』の斬撃により、荒れ果てた庭園。

 おそらくなんの意味もない、挨拶代わりの攻撃。つまらない示威行為のために、屋敷の庭は見るも無残な有様となった。

 シオンは足元に散らばっていたを、一つ手に取った。れいに咲き誇っていたはずの花弁は、無慈悲な斬撃によって今にも崩れ落ちそうになっていた。

「……この薔薇は、アルシェラが毎日世話をしていたものだ。本を読んで、育て方を一生懸命勉強して……やっと綺麗な花が咲いたんだ」

 悔しそうに、本当に悔しそうに、激しい怒気を秘めた言葉をシオンは吐き出す。

「屋敷の壁は、ボロボロになっていたのをフェイナが修理し、塗り直した。変な落書きをしようとするから、僕が何度も止めたんだ。そこの石畳は、イブリスがぶつくさ文句を言いながら並べた。サボり魔のくせに一度始めると仕事が綺麗なやつなんだ。そしてこの庭は、ナギが菜園の世話をするついでに毎日草をむしってくれているから、雑草一つ生えていない。わかるか、ガーレル・ゲア?」

 シオンは言う。

「お前が悪戯いたずらに破壊したのは──僕の家なんだよ。僕と、僕の家族が、一生懸命作り上げてきた家なんだ」

 彼女達と過ごしたのは──一年前から。

 一年。

 たったの一年。

 でも、それでもシオンにとっては、あまりに深い一年だった。

 救ったはずの人類に裏切られ、居場所の全てを奪われた少年にとって、四人の存在は救いであった。

 地獄のような孤独から、自分をすくげてくれた──

「我が家を傷つけた罪、その命で償ってもらうぞ……!」

 静かな、けれど燃えたぎるようなふんを秘めた声で言い放ち、シオンは一歩踏み出し、敵との距離を詰める。

 そして──右手の手袋を外した。

 あらわになった少年の手の甲には、まがまがしい漆黒の紋様が刻まれていた。

「……魔王の命を奪ったこの右手は、特に呪いがひどくてな。この右手で直接触れれば──あらゆる生命は一瞬で死に絶える」

「う……あ、ああ……」

 恐怖と吸精により、ガーレルには抵抗する力どころか、悲鳴を上げる力すらも残されていなかった。

 それでも──シオンは止まらない。

 敵と認識した男に、右手をかざす。

 普段は必死に抑えている呪いを、周囲の命を強制的に奪い我が物としてしまうエナジードレインを──解放した。

 そう。

 これは、技でもなんでもない。

 鍛え上げた武術でもなければ、研究し発展させた魔術でもない。

 力を入れるでもなく。

 力むでもなく。

 ただ──力を抜くだけでいい。

 技でも術でもないそれは、言うなれば──単なる生態。

 今のシオンにとっては、ゆっくりと深く呼吸をするようなもの──

「──『真呼吸ノーブレス』」

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