序章 四角い世界 3-1

 そして、すずが神の世界に旅立ってからわずかばかりの月日が流れた。

 奇跡をの当たりにしても、アキトたちの生活は特に変化することがなく、朝になれば労働にいそしみ、しくもない飯を食い、やがて疲れ果てて穴ぐらから転がり出てくる。いつもどおりの生活がそこにあった。

「はー、今日も疲れたっすねえ……。良いこと無いなあ、ちくしょう。……ああ、俺のゴットカード……あの時当てられてたら……」

「おいおい、まだそんなこと言ってんのか? あれからどれぐらいたったと思ってんだよ、いい加減諦めろって」

 ガチャの設置されているプレイルームで、ネズミと手ぬぐいが酒を飲みながら言葉をかわしていた。

 あきれた調子の手ぬぐいにほおを紅潮させたネズミが返す。

「だって、俺のだったんすよ!? 俺のチケット! それを、あのおっさんが横取りして! ちくしょう、ちくしょう! 絶対許せない! 呪ってやるっすよ、ちくしょおおっ……」

「お前のじゃなかっただろ……。鈴木のおっさんがアレ当ててから、悔しさで頭がおかしくなったのか、いなくなっちまったやつもいるんだ。お前もいい加減切り替えろって」

 頭の中で、記憶を都合のいいように改ざんしているネズミにツッコミを入れる。鈴木に虫呼ばわりされたぶたづらはすっかり精神を病んでしまい、いつの間にか宿舎からいなくなってしまっていた。

 無理もない。自分の人生には決してあんな大当たりがやってこないであろうと考えると、正気ではいられなかったのだろう。

「まー悔しいのはわかるけどさ、お前にはまだ踊り子のカードがあるだろ。また慰めてもらえって。そんで、次のガチャを……おっ」

 そこまで言ったところで、手ぬぐいがあることに気づいた。薄汚れたプレイルームの端に備え付けられているソファ。そこに、アキトが座っていることに気づいたのである。

 彼は手元にある雑誌を見ながらも、ちらちらとガチャのほうを気にしているようだ。

「……よう、あんた。たしかアキトさんだろ。珍しいな、こんな時間にあんたがここにいるなんて」

「……ああ、どうも」

 手ぬぐいが、缶に入った酒を片手に歩み寄ってアキトに声を掛ける。何かの雑誌を読んでいたアキトは顔を上げて会釈した。相変わらず、感情の読み取れない仏頂面だ。

「……どうして俺の名を?」

「ははっ、あんた前の騒動ですずのオッサンに助言してただろ。うわさになってるぜ、自分で引いてりゃゴットを引けたかもしれないのにってな」

「なるほど」

 不思議そうに問うたアキトに手ぬぐいが返事をする。どうやら悪目立ちしてしまったらしい。平穏を望むアキトにとってそれはあまり喜ばしいことではない。案の定、聞きつけたネズミが酒臭い息を吐きながら絡んできた。

「そうだそうだ、あんたのせいっすよ! アンタが余計なことを言わなきゃ俺がチケットもらってゴット当ててたんだっ……ちくしょう、この野郎! 返せ、返せ!」

「……すいません」

 ポカポカと殴りつけてくるその手をそっと押し返す。めんどくさい。酔っ払いは嫌いだった。そこで、ふとガチャを見る。気にはなるが……少しぐらい目を離してもよかろう。

「それで? あんた、何を読んでるんだよ」

「これですか? カードの情報誌です」

 問われ、自分の読んでいたボロボロの雑誌を見せる。表紙には大きく、〝世界の超絶最高レアリティカード集〟と書かれていた。

「……バトルカードの紹介雑誌か。それも、UR……最高ランクのウルトラレアやスーパーレア専門の」

「ええ。と言っても、詳細なデータはほとんどなくカード画像もイメージで描かれた粗悪なものですけどね」

 バトルカード、とはガチャから出現する戦闘用のカードの総称である。コールすればそのカードごとに特殊な能力を有した戦士たちが飛び出してきて、持ち主の意思に従い戦ってくれる。人間をはるかにりようする力を持ち、今となっては世界の軍事を支配するカードたちである。当然ながらその能力は軍事上の機密であったりすることが多く、一般に広く知られていることはまれだ。

 また、それらには労働ガチャで出てくるカードたちと同じようにレアリティが存在し、最下位のランクNからR、SRと続き、そして最高ランクがURとなっている。

 ただし、労働ガチャにはその上に君臨するゴットカードという異例があるが。

「へえー、アンタこういうのが好きなのか。なるほど、バトルカードマニアさんってわけか……。どれどれ、ええと、このカードは?」

「……【剣の乙女おとめ】。バトルカードでも最高峰の力を持ち、また相当に有名なカードです」

 雑誌をのぞき込んだ手ぬぐいに、開いていたページに書かれていたカードについて質問され、アキトの声色が珍しく僅かな熱を帯びる。それは親しくない人間にはわからないほどの小さな変化だったが、アキトの口調は心持ち早口になっていた。

「世界大戦の折に、最後までこのヒナト本土防衛のため戦い続け、最後には沢山の民を救って倒れたと言われるカードです。そのスキル、〈光輝たたえし星の聖剣〉は世界一有名なスキルと呼ばれ、一軍をも一ぎで滅ぼす威力だとか」

 そう言うと、今までに何百回と見続けたそのページをいとおしそうにでる。そこには、美しい装飾の施された銀のよろいを身にまとった女性が輝く剣を掲げている絵とともに、判明しているそのデータが書かれていた。


【剣の乙女おとめ

AP:35000 DP:35000

民を導きしかの乙女、輝く聖剣を手ににそのまもりとなるであろう──今は亡き王国の伝説


「……なんなんスか、このカードの名前の下に書かれてる、えーぴーとかでぃーぴーって」

 手ぬぐいの逆側から雑誌をのぞき込んだネズミが訪ねてくる。

 アキトは煩わしさを感じた様子もなくそれに答えた。

「APとは、そのカードの攻撃力です。AP1が成人男性一人分の能力ぐらいって言われてます。つまり、このカードは俺たちの3万5000倍の力を持ってるってことです」

「3万5000倍!? こんな可愛かわいい女の子がっスか!?」

 ネズミがきようがくの声を上げる。それはそうだろう。バトルカードが恐ろしく強いことは誰でも知っているが、こんな可愛らしいカードがそれほどの力を持っているとは普通は思わない。

「と言っても、これらはただの目安で、単純にそうってわけじゃないらしいですけどね。まあ人間が万単位で束になってもかなわないのがURなんで、その中でも強いとされるカードならこれぐらいはありますよ」

 少しうれしそうにアキトが返す。

 このカード、【剣の乙女】はアキトにとって憧れのカードと言っていい。

【剣の乙女】は〝六姫戦記〟と呼ばれるシリーズの一枚で、設定上は一国を治める〝姫〟であり、他に【やりの聖女】【盾の芳紀】などいずれも強豪URである同シリーズのカードが存在する。

 バトルカードにはそれぞれ背景を同一とするシリーズという枠組みが存在し、その種類ごとに、所属するカードが機械であったり人間であったり、はたまた天使や悪魔、さらには凶悪な化け物であったりと多岐にわたるのだ。

「はー。単体でそれだけの力を持ってりゃ、人間の兵士が3万5000人いるよりすごいかもなあ。なるほど、人間同士による戦争が途絶えるわけだ。こんなのが飛び込んでくるんじゃ、馬鹿らしくて兵士なんかやってられんぜ」

「まあ、とはいえ彼女たちを使うのも人間なんですけどね。カード単体では大した力も発揮できないとか。人間がうまく操作して、初めてその真価を発揮できるらしいです」

 バトルカードは、自分の意志ではたいしたこともできない。それをマスターと呼ばれる持ち主が操って指示を出すのである。

 あくまでバトルカードは人を助けるもの、戦いは人間の意志によって起こる。

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