第44話 勝敗
赤帯原北東端。ガンザンとワンロンは馬にまたがり、地平線を睨んでいる。その向こうには薄い土煙。
「来た……。」
ガンザンが言う。ワンロンは頷いて背後の軍勢に振り向いた。
「総員、戦闘体勢!陣を組め!」
幾万の兵士が粛々と動き、扇のように広がった。ワンロンはそれを満足げに眺める。即席の軍ではあるが、良く統制がとれている。昨日の報せもあってか、士気も高い。
(勝ったか?)
よぎった思いを、頭をブンブン振って吹き飛ばした。大軍はとかく烏合の衆になりやすい。気を付けねばと顔を引き締める。今や敵軍は地平線を乗り越え、九つの星がはためいているのが見えるまでになった。ふと、ワンロンは左に目をやった。目を細める。
「……気のせいか。」
再び正面を向く。敵軍は二里ほど向こうで足を止めた。
(東方軍……数は二万といったところか。東方では激戦が続いていると聞いたが、なるほど。)
兵は泥だらけで疲れ切り、大将らしき影も見慣れないものになっている。ワンロンは眉をひそめた。
(数で劣り、士気で劣り、後着……なぜ戦おうと思った?)
なにか、嫌な予感が胸に渦巻いた。ワンロンは左翼に目線を飛ばす。ガンザンと目が合ったような気がした。
(なんにせよ、やるしかない。)
視線を戻し、呼吸を整える。大刀を腰から外し、高く振り上げた。
「前進!」
戦いの幕が、切って落とされた。
「ヒッ」
東方軍大将ビアルは一瞬息を呑んだ。すぐに深呼吸をして呼吸を整える。鬨の声と、迫りくる人の壁に足が震えた。
(落ち着け……大丈夫だ……書状にも大丈夫だって書いてあったじゃないか……ちょっとつついて引っ込む、ただそれだけだ。)
彼は精一杯の覇気を込めて敵軍を睨んだ。
(俺は、あの激しい戦場を生き抜いたじゃないか……いける……いける……いける!)
「ここが勝負所だ!総員っ!突撃!」
裏返った叫び声。兵たちはまばらに鬨の声をあげ、扇の中央、くぼんだ所に勢いよく突っ込んでいった。
ワンロンは眉をひそめた。敵軍全てが、ワンロンのいる中軍に向かって全速力で突っ込んでくる。
(自殺か?まあいい。討ち破るのみ。)
「焦るな!前進し続けろ!」
数秒後、両軍は勢いよくぶつかり合った。剣戟の音が響く。右翼、左翼とも敵軍を回り込んでいくのを見ながら、ワンロンは叫ぶ。
「慌てるな!どっしりと構えろ!着実に敵をすり潰していけ!」
その声を聞いて、ビアルはハッと顔を上げた。その目に、敵軍の奥に屹立する強面の大男が映る。
(あれは、『鬼龍』!)
彼はブルブル首を振って二、三歩後退る。さっき奮い立てた気持ちがみるみるうちに萎えていった。
「総員!後退!」
ワンロンは声の方を見る。大将らしき男が、馬を返して逃げていく。それをきっかけに戦線が崩れ去り、敵軍は瞬く間に引き下がっていった。眉をひそめて目を飛ばす。と、右翼と左翼の隙間から兵が溢れ出ていくのが見えた。
(悟られた……?いや、逃げ出したのか?)
敵軍の統制のとれなさから見るに、どうも後者に見えた。
(拍子抜けだな。)
ワンロンはため息を吐いて大刀を腰に戻す。
「深追いはするな!ゆっくりと――」
「なんだあれはあ!」
悲鳴。勢い良くそっちに振り向く。一人の兵士がどこかを指差している。その先を見れば、真っ赤にはためく炎の旗。
(炎軍!)
また一つ悲鳴があがる。振り返ると、そこにも炎旗。右を向き、左を向いても炎の字がはためいている。ワンロンは歯ぎしりをして大刀を腰から外した。
(奴らまさか!)
(……いや、違う。)
ガンザンの目は、はためく九星の方に炎旗が傾くのを見逃していなかった。
(あいつらは手を組んだ訳じゃない。ここに誘き寄せたんだ。で、僕達になすりつけて離脱しようと……に、したって)
ガンザンは周囲を見渡す。八方に炎の旗がはためき、まさに八方塞がりといったところ。
「普通、こんな上手く行くかな……?」
苦笑い。と、
「全軍、全速後退!南東に向かえ!」
ワンロンの大音声が響く。南東に目をやれば、そこだけ炎旗の数が少ない。トゥバンはニヤリと笑った。
「さっすがぁ。」
馬を回し、叫ぶ。
「全速力で南東へ行くぞ!続けっ!」
馬腹を蹴る。全軍は瞬く間に一本の矢のようになり、南東へと一直線に突っ込んでいく。一里、二里と距離が縮まり、さらに半里でぶつかった。ワンロンは先頭に立って雄叫びをあげ、大刀をぶん回して次々と兵士を吹っ飛ばしていく。赤い大地がさらに赤く染まり、炎軍の中央に瞬く間に亀裂ができたかと思うと、そのまま強引に押し割られていく。
「らぁ!」
最後の一人、震えながら槍を突き出してきた兵士を弾き飛ばすと、視界が開けた。広い大地に駆け出し、ワンロンは真っ赤に染まった大刀を一振り。大刀はすぐに銀色の輝きを取り戻す。二里程駆けて振り返った。炎軍は集合し、一つの巨大な横陣となって迫り来る。
(奴ら……十万はいるか。西方の旗も見える、…どこからかき集めてきたのやら。)
練度は低く、優秀な将もいないようだが、兵数は負けている。正面から当たるわけにはいかない。
「陣形を変更!全軍、展開せよ!」
中軍はその場に留まり、両翼を畳んで矢のような形になる。
(大した戦いが無くて幸運だったな。)
ワンロンは、素早く展開する軍を見て思う。彼は戦いが無い間ずっと、兵士達に二つの陣形について教えていた。大刀を握り直し、迫る人の壁を睨む。深呼吸。殺気が立ち上り、目に焔が宿る。ワンロンは鬼龍と化した。
「突撃!」
咆哮と共に敵軍へ突っ込み、反応する間も与えず三人吹っ飛ばし、返す刀でまた三人。兵達がざわめき、ワンロンと距離をとった。それを睨め回し、突き進みながらワンロンは吼える。
「我が名はセン・ワンロン!誰でも良いからかかってこい!」
あたりがどよめいた。
――もしかして、『鬼龍』って奴じゃないか?――マジかよ……まだ死にたくねえよ――奴を殺せば城が建つのか――あれが……噂以上だ――
と、どよめきを切り裂いて声が飛んできた。
「待て待て待てい!俺様が受けて立――」
一瞬後、馬の上には誰も乗っていなかった。ひしゃげた体がはるか遠くにボテリと落ちる。ワンロンは再びギロリとあたりを睨め回した。
「誰か?」
悲鳴が立ち上り、兵士達が蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。ワンロンはそれからほとんど誰も殺さずに軍を突き抜けた。
馬を回し、後ろを見れば、ガンザン率いる弓騎隊が猛威を奮い、敵軍は綺麗に真っ二つ。ワンロンは深呼吸し、再び雄叫びをあげると敵軍に突っ込んで行った。
数時間後、傾いた太陽の方に消えていく炎の旗を眺めながら、ガンザンは傷む脚をさすった。終わってみれば、損害は思ったより少なかった。
(けど……)
兵士達の様子を眺める。疲れ切り、泥だらけの兵士達には、とても先に進む力は無いように見えた。
「勝負に勝って、試合に負けた、って感じか……」
「全く、その通りですな。」
ガンザンがビクリとしてワンロンを見上げる。ワンロンは厳しい顔で太陽を見ている。
「今回はしてやられました。」
ガンザンは頷いて、目を落とした。
「あんな作戦……相当な度胸と、技量がないと――いや、それでも博打みたいなものだよ……ウェザンを見直しちゃいそうだ。」
「いや」
一拍
「あれは、ウェザン殿が考えたことでは無いと思います。」
ガンザンは眉をひそめてワンロンを見上げる。
「じゃあ誰が?」
ワンロンはちょっと溜め息を吐く。うんざりとした顔に変わった。ガンザンは目を見張る。そんなにハッキリとした表情は珍しい。
「恐らく……私の昔の知り合いです。やり口が似ている。いや、あの性格の悪い感じ……まず十中八九奴です。」
ガンザンはますます目を見張った。こんなに声に表情が乗るのも聞いたことがない。彼は興味本位で口を動かす。
「そんなに嫌な知り合いなの?」
ワンロンはガンザンをちらりとジト目で見て、また溜め息を吐いた。やれやれと首を振る。
「出来ることなら二度と関わりたくありません。奴は、人間全てが自分の娯楽の為にあると思っているような奴です。」
「へえ……。」
ガンザンはワンロンの心底嫌そうな顔を眺めて、
「会ってみたいな。」
と、ワンロンが物凄い勢いで振り向いた。
「ダメです!」
「なんで?」
「ろくな事になりません。」
「でもちょっとくらい……」
「ダ、メ、です!」
夕空にガンザンの笑い声が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます