第43話 目覚

 ……する……動かす訳には……確かに……


 時たまおぼろ気に聞こえる声。熱い、熱い体。


 気が付くと、トゥバンは身体中に釘を打たれ、壁に張り付けられていた。


『失望した』


 そう言ってガンザンが去っていく。呼び止めようとするが、舌はもう無かった。喉には長い長い釘。必死に叫んでもヒューヒューという音しか出てこない。ガンザンはそのままどんどんと去っていく。突如地面が割れ、トドが飛び出してきた。やめろと叫ぶ間もなく、ガンザンの首が飛ぶ。鮮血が舞う。トゥバンは涙を流し、むせびなく。


『何故泣いているの?』


 顔をあげると、そこには母がいた。青と緑を背に優しく笑っている。


『僕は……』


 その時、母の顔が強張った。北東に振り向く。


『行かなきゃ』


『待って!』


 抱きつこうとした母の体は、風となって消えていた。母が眠る盛土の前で泣きじゃくるトゥバンの頭に、大きな手が乗る。


『俺が遊んでやろう』


 ユルクがにこやかに笑う。頷いて笑おうとした途端、ユルクの笑顔が燃え上がった。蝋のようにドロリと歪み、黒く散り散りになって消えていく。


『なんで?』


 手の内の灰を凝視して呟く。


『なんで皆消えてく?』


『私は消えませんよ』


 城壁の上から笑うワンロン。


『ほんと?』


 ええ、と言いかけたワンロンの口から血が噴き出した。ゆらりとよろめき、足元にドサリと落ちる。城壁の上にはクドが立っていた。右腕が槍になっている。憎々しげにトゥバンを睨む。


『俺の腕を……返せ!』


 飛び降りてきた。槍が迫る。


『止めろ!』


 リバンザの背中から槍の穂先が突き出した。鮮血を垂らす。リバンザはガクリとくずおれた。それを支えようとした手には白い長衣のみが残る。


『何で……』


 空間が暗くなる。


『何で皆居なくなるんだ……』


 トゥバンは硬い床にうずくまる。


「嫌だ……独りは嫌だ……」


 真っ暗になった。何も見えない。赤い脈動を背景に、見たこともない老人の姿が閃く。


「憎い……あいつのせいだ……あいつの……」


 憎しみの焔に体が焦がされていく。と、何か柔らかいものに手を包まれた。


「独りには、しません。」


 震える声。


「私も、独りでした。」


 ふっ……と何かが緩んだ。意識が深い深い淵へと落ちていく……


 ※ ※ ※


 目を開けると、赤い光がやけに眩しかった。瞬いて目を細める。ぼやけた視界がはっきりとして、見覚えのある天井が目に入る。左手に目をやると、そこには相変わらず包帯でぐるぐる巻きにされた自分の手があった。


(ゆめ……?)


 カシャァアンカランカラカラァン


 扉の方に目をやる。と、そこには両手で口を押さえたナーリーが立っていた。目を見開いたままピクリとも動かない。サラサラと真っ白な包帯が床に広がる。沈黙。


「目を……目を覚まされた……」


 彼女はようやっと呆然と呟く。目が潤んだ。


「目を……覚まされたのですね?」


 トゥバンが頷くと、彼女はその場にくずおれた。


「良かった……良かっ……た」


 彼女はポロポロ零れる涙を拭い、寝台ににじり寄った。


「無茶しすぎですよ全く……」


 左手をそっと両手で包み、笑顔を向ける。


「本当に、良かったです。」


(夢じゃ、無かった。)


 トゥバンは悟った。彼は笑い、潤んだ彼女の目を見た。


「ああ。本当に、良かった。」


 ――――――――――――――――――――


「普通はあり得ないんですよ。」


 さんざん泣いた後でナーリーが言った。トゥバンは首をかしげる。彼女はそれをちらりと見て言葉を続ける。


「二週間も眠り続けて、しかも目を覚ますというのは。はっきり言ってあなたは異常です。先生も『こんなの見たことない』って仰っていました。」


「そういやその先生は?」


 ナーリーはため息を吐いた。包帯に手をかける。


「太守様の治療です。医者がみんな逃げ出してしまったので、この町には先生しかまともな医者が居ないんです……先生、お気の毒に。」


 トゥバンは目を見開いた。思わず軽く身を起こす。


「ウェクジンの治療?」


「ええ。太守様急に倒れてしまって……お歳もお歳ですし――って!」


 ナーリーは目をむいてトゥバンを寝台に押し戻した。


「何起き上がってるんですか!ちゃんと寝てて下さい。完治した訳でも無いのに……」


 ぶつぶつ言いながらも彼女は手際よく腕包帯を解いていく……途中で手を止めた。目が見開く。トゥバンはどうしたのかとそっちをちらりと見て、そして同じように目を見開いた。


 包帯の下にあったはずの切り傷は見当たらず、代わりに古傷のようになった筋が顔を見せている。ナーリーとトゥバンは顔を見合わせた。一瞬の間。後に、ナーリーは猛然と包帯を解き始めた。解いても解いても出て来るのは傷ではなく傷痕ばかり。彼女の手が勢い良く手にぶつかって、トゥバンはそこで初めて顔をしかめた。


「何で……?」


 ナーリーは震える両手を、恐る恐るトゥバンの腕に滑らせる。両者、困惑した目を交錯させた。


「何で……だろうな。」


 トゥバンは首をちょっと傾げる。その胸元で、首飾りがぼんやりと紅く光った。


 ―――――――――――――――――――


「ガンザン!ガンザン殿!」


 真月三日の赤帯原に、大音声が響き渡った。あちこちで兵士がビクリと震え、そうっと声の方に目を向ける。と、喜色満面のワンロンが右手の書状をヒラヒラさせながらたった今出来た水溜まりを飛び越え、大きなテントに飛び込んで行った。ガンザン、ガンザンと声が響く。兵士達は目配せし合い、見なかったことにすることにした。


「ガンザン殿!」


 ワンロンは一番奥の布を引き開けた。


「何?」


 ガンザンは不機嫌そうに振り返る。目の前には笑顔ほとばしるワンロン。右手に目を移せば一枚の薄っぺらい書状。ガンザンはハッとしてワンロンの顔を見た。ワンロンはぐっと頷く。


「目を、覚まされました。」


 ガンザンは、くずおれそうになるのを辛うじて抑えた。ふらついて額にを手を当てる。脳内がぐちゃぐちゃでまとまらない。


「ほんとに?」


 驚くほど弱々しい声だった。ワンロンは、


「もちろんです!」


 書状を力いっぱい広げて突き出した。ガンザンは上目遣いにそれを見やる。


『明月末日、トゥバン様が目を覚まされました。ナーリー』


 たったそれだけ。たったそれだけの文字に、ガンザンは涙を拭った。小さく嗚咽が漏れる。


「良かった……もう……もうダメかと……」


 ワンロンは頷き、黙ってガンザンの肩に手を置いた。目を瞬く。


「勝利を……」


 ワンロンは片眉を上げる。ガンザンはぐちゃぐちゃの笑顔を上げた。


「勝利を、持ち帰ってあげないと、ね。」


 二人は力強く頷き合う。両者の目に、焔が灯った。ウェザン方の軍が、もうすぐそこまで迫っていた。

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