第42話 異質
霜の降りた草原に、ウェザンはどさりと転がった。全身に走る痛みに呻く。その十間向こうでジュバルは軽々と馬から飛び降り、ウェザンに笑みを向ける。
「どうした、情けねえな。伝令じゃあ無かったのか?」
「まさか……本当に一週間……食べる暇も無いとは……」
かすれた震え声。ジュバルは大声で笑った。
「だから言ったろ!しっかり食べとけって!」
「そういう……問題では――」
「ま、何はともあれ」
ジュバルは笑いを収め、背後を見やる。
「着いたな。」
そこには、巨大な純白の峰が先端だけ銀に染まり、まさしく天を衝く槍のようにそびえたっていた。下部には巨大な楼門がむき出しになっている。
「さ、行くぞ!」
ジュバルはにこやかに振り向いた。ウェザンのげっそりとした顔が見返す。
「ちょっと……待て……足が震えて――」
「待ってる暇はねえ。早く行くぞ。」
ジュバルはひょいとウェザンを担ぎあげると、凄まじい速度で走り出す。大通りを通り抜け、門前へ――
「ちょっと待て!まだ門が――」
「関係ねえ。」
口を歪め、ジュバルは更に加速する。ウェザンの視界に茶色が大きく広がった。木目の一つ一つがはっきり見える。
(死――)
その瞬間、ぐにゃりと茶色が歪んだ。気付けば真っ暗な大空間をひた走っている。
「な――え?」
「気にすんな。」
口笛が響き、そこら中に光球が現れた。端の階段があらわになる。
「あの上が『中枢』だな?」
ウェザンは訳も分からず頷いた。あっという間に階段にたどり着き、駆け上り、駆け上って――
ダァンッ
突如、ジュバルが足を止めた。反動でウェザンが吹っ飛ばされ、階段に叩きつけられて転がり落ちる。
「ぐ……」
白目をむいたウェザンになど目もくれず、ジュバルは踊り場の左、廊下の奥をじっと見つめた。
「何か……居るナア……」
彼は岩にめり込んだ足を上げ、一歩廊下に踏み込んだ。
リバンザはハッと目を見開いた。
(何か……来る!)
紅玉のせいで『力』が使えないとはいえ、感覚は衰えていない――むしろ、ずっと暗闇の中にいたせいで鋭くなってすらいた。『何か』の気配が近付いてきているのが、まるで暗闇の中で火を見るようにはっきりと分かった。悪寒が走り、リバンザはごくりと喉を鳴らす。
(なに?この禍々しさは……)
常人では全く気付かないだろう。何か、この世にあってはならないような、そんな雰囲気を感じる。それは一歩、一歩じわじわと近付いてくる。慌てたような、不安そうな声がぼんやりと聞こえてきた。守衛だろうか。『何か』がピタリと止まる。
「通せ」
なぜかはっきりと声が聞こえた。瞬間、背筋が凍り付いた。冷や汗が背を伝う。
ダメだ!
「……なんで?」
何でって――青髭様に指示されているからだ!貴様何者だ?さてはここの者では――
その瞬間、バギッと鈍い音がした。
「うるせえなあ。」
貴様!何――
ゴリッ
「ったく……面白くねえ」
(これは……ダメな奴だ)
逃げなければならない。が、がんじがらめに縛られた体は指一本動かせない。ガチャッと鉄輪の音がした。ガタンと扉が鳴る。
(鍵……)
ガタガタッガタンガッタン
扉はびくともしない。リバンザは安堵しかけた。
「面倒くせえなあ全く……よっ!」
バァンッ
リバンザは反射的に目を閉じた。頬を木っ端がかすめる。鼻先に風を感じて、盛大に扉が倒れる音がした。
「お?」
素直な、驚きの声。ザリリと音が鳴って、顎を掴まれた。無理矢理顔を上げられる。興味深げな息。
「目、開けろ。」
リバンザはうっすら目を開けた。眩しさに目を閉じそうになるのを堪える。また目を閉じたらこじ開けられるような気がしたのだ。そこには、興味深げにリバンザを見る、泥で汚れた顔があった。
「お前……裁きの子か?もっと良く見せてみろ。」
指が伸びてきて、目蓋をひっくり返される。暗闇に慣れた目に光が染みる。リバンザの目に涙が浮かんだ。首を動かそうにも顎をガッチリと捕えられていて動かせない。数分しげしげと目を眺めた後、彼は唐突に両手を離した。顎が床に激突し、リバンザはくらくらした。乾いた目を猛烈に瞬く。
「今どき珍しいな……面白い。」
彼はニヤリと笑い、膝をはたくと立ち上がった。
「が、あいつよりは面白くねえ。」
そのままきびすを返し、去っていく彼を、リバンザは呆然と見送った。
(異質……)
※ ※ ※
「ここか?」
ウェザンはゼイゼイいいながら頷いた。ジュバルは扉を引く。
キイ
埃っぽい廊下が現れた。ジュバルは廊下を右に曲がると円卓をまわり、真っ直ぐ奥の窓へと向かう。
「良い眺めだ。」
そしてくるりとウェザンに振り向きニヤリと笑う。
「さ、作戦を立てよう。」
彼は人球儀に手をかざした。
「シェン」
色とりどりの粒が光り、人球儀がゆっくりと回り始めた。ウェザンは驚愕に目を見開く。
「な、なぜ――」
「一般教養だ。」
バッサリ切り捨て、ジュバルは人球儀の一点を指す。
「ここがノグノラだ。そして――」
指を南に滑らせ、長く連なる無数の粒を指した。
「これがあんたの言うところの『蛇の手下』。この距離だと……あと二週間ってとこか。」
ウェザンは不安げにジュバルの指を見る。
「二週間とは……そんな短期間でこれだけの兵を集めることなど――」
「まぁ待て。そう焦るな。」
ジュバルはニヤリと笑って指を滑らせた。粒が密集して蠢いている。
「東方軍を動かす。」
「東方軍?だが数が――」
「そりゃそうだ。だが、帝国軍を使えばどうだ?十分すぎるほど足りる。」
「バカを言えっ!」
バン!と円卓が鳴った。ウェザンは顔を真っ赤にしてジュバルを睨む。
「帝国軍だと!?ふざけるなっ!」
ジュバルはきょとんと首をかしげた。
「ふざけてなんかない。」
「嘘つけっ!もういい!見損なったぞ!出ていけ!」
「まあ待――」
「出ていけぇええ!出ていかんのなら私から出ていくっ!」
ウェザンは憤然ときびすを返した。と、
「待・て・よ。」
瞬間、空気が凍った。ウェザンの足が止まる。ウェザンの額に汗が吹き出る。異常なほどの威圧感。ビリビリと空気を震わせてジュバルは言う。
「人の話は最後まで聞くもんだ……だよな?」
ウェザンはごくりと唾を飲み込んだ。ピクリと頷く。
「よし……」
ふ……と威圧感が消える。ウェザンはその場にへたりこんだ。汗が小さな水溜まりを作る。
「お前は、トゥバンを倒したいんだろ?で、帝国も倒したい……じゃあ帝国が奴らと削り合ってくれたら願ったり叶ったりじゃねえか。だろ?」
ウェザンは頷く。ジュバルはにんまりと笑った。
「何も俺は帝国につけなんていってる訳じゃねえ。一時的に利用するんだ。勝つために、な……と、いうことで!」
唐突に声が明るくなった。ウェザンが振り向くと、どこから持ってきたのか、右手には大量の筆、左手には大量の紙を持ったジュバルがニコニコ笑っている。
「お前には手紙を書いてもらう。」
「は?……」
ウェザンの怪訝な顔。ジュバルは笑顔を崩さない。
「ざっと百通、もしかしたらもっと、だ。俺が指定する相手に指定の通りに書いてくれれば良い。」
ウェザンの口がポカンと開いた。一瞬の沈黙。
「ちょ、ちょっと待て、百!?お、お前は書かんのかお前は!」
ジュバルはちょっと笑顔を納める。
「俺は……ちと事情があってな。ま、せいぜい頑張ってくれ。」
それから一週間、ウェザンは手紙を書き続けた。
「終わっ……た。」
最後の一通を書き終え、ウェザンは円卓に突っ伏した。ジュバルは最後のの手紙を透かし見る。
「良し。」
うなずいてニヤリと笑う。
「さて、面白くなるぞぉ?」
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