第39話 正
サビュール城内トゥバンの部屋。彼は近付いてくる足音に笑みを浮かべた。目を開けて扉を見やる。ほどなくして薄衣一枚のガンザンが滑り込んできた。
「うまくいったか?」
ガンザンはぎこちなく頷いた。
「うん。うまくいったよ……怖いぐらいに。」
トゥバンは満面に笑みを浮かべる。
「そりゃ良かった。じゃあ次は南の城壁に行ってくれないか。そろそろお友達が来る頃だ。」
「お友達?」
ガンザンは眉間にシワを寄せた。それを見てトゥバンはにやりと笑う。
「南西で出会ったお友達だよ。朝の内に鳥を飛ばしておいた。」
ガンザンはああ、と納得顔になって、それから顔を歪めてうつむいた。しばしの静寂。足は動かない。トゥバンはちょっと驚いたようにガンザンを見る。
「どうした?ガンザン。大丈夫――」
「ねえトゥバン。」
トゥバンは片眉をあげて口を閉じた。
「トゥバン、これって……」
ガンザンは顔をあげ、不安げな表情をトゥバンに向ける。
「これって……正しいのかな。」
……
「正しいのかな。嘘で騙して、敵を利用して……僕達は本当に正しいことやってるのかな……間違ってないのかな、卑怯じゃないのかな。」
……トゥバンの目に暗い何かが宿った。彼は真っ直ぐにガンザンの目を見つめる。ガンザンはごくりと唾を飲み、一歩後退る。トゥバンはゆっくり口を開いた。
「ガンザン、俺達は何のためにここまでやって来た?」
一瞬の沈黙。トゥバンは答えを待たない。
「ウォー・リャンを――宿敵を倒す、そのためだろ?決して正義のためじゃない。正しいことをするためじゃない、ただ、俺達の勝利のためにここまでやってきたんだ。どんな方法であれ勝利は勝利だ。そうだろ?」
ガンザンは唇を噛んで一歩前に出た。
「でも――でもそれにしたってもっとやり方があるじゃないか!僕はあんまりにも悪どいと思う。もっと綺麗なやり方だって――」
トゥバンのため息。彼はゆるゆると首を振る。
「ガンザン、君は草原の民じゃ無かったのか?世の中は生きるか死ぬか、勝つか敗けるかだ。勝ちは勝ち。敗けは敗け。それに至る道筋に綺麗も汚いもない。ずっとそうだったじゃないか。ガンザンも十三から敵と戦ってたんだ。分かるだろ?」
ガンザンも負けじと切り返す。
「でも僕達は『敵に敬意を持って戦え』とも教えられたじゃないか!トゥバンのやり方には敬意が無い!ただ、敵を手のひらの上で転がして、思い通りになるのを楽しんでるだけじゃないか!そんなのまるで――まるで蛇みたいだ!」
沈黙。トゥバンは呆気にとられたような顔をして、それから暗い笑みを浮かべた。
「ウェザンみたいなこと言うんだな。」
ハッとガンザンが息を呑む。トゥバンは冷たく笑う。
「あいつに何か吹き込まれたか?」
ガンザンの視界が真っ赤に染まった。彼は寝台に飛びかかり、トゥバンの胸ぐらを掴む。
「お前っ――!」
トゥバンは冷静に、怒りに燃える目を見返した。
「良いよ。殴りたきゃ殴れ。気が済むんならな。俺は抵抗しない。そもそも出来ないしな。」
ガンザンは荒い息をしてトゥバンの体を浮かす。トゥバンは苦し気な息をして言葉を続ける。
「ただ、言わせてくれ。俺はあの時、正義も悪も捨てた。ユルクの遺志のとおりに、ただ勝とうと、そう思った。今もそう思ってる。」
ガンザンの目がちょっと見開かれ、それから彼の顔が複雑に歪んだ。彼はうつむいて手を離す。トゥバンの上半身がドサッと寝台に倒れる。ガンザンはゆるゆると手を下ろした。
……
「ガンザンには分からないだろうな。独りを知らないだろうから。」
トゥバンは虚空を眺めてぽつりと言った。しばしの間の後、
「楽しんでなきゃやってられるか。」
刺々しく言って、トゥバンは虚空を見つめる。
……
「……ごめん、言い過ぎた。」
ガンザンはハッと顔をあげると、ぶんぶん首を振った。
「いやいいよいいよ。こっちこそ……」
何も知らずに……とこぼして、ガンザンは再びうつむいた。二人はしばらく無言でどこかを見つめた。数分が過ぎて、どこかから鐘の音が響いてきた。一つ、二つ、間を開けて三つ。トゥバンは顔をあげて音の方を見やる。
「来たようだな。」
「……行ってくる。」
ガンザンは踵を返す。
「開門した後、鐘を鳴らして『一時休戦だ』とか言ってくれないか。」
背中に投げられた声に微かに頷いて、ガンザンは部屋から出ていった。
クゥン
鳴き声の方を見ると、ラフィが心配そうな顔で見返してきた。ガンザンは足を止める。
「ラフィ、『独り』って知ってるか?」
答えはない。ラフィは足をペロペロ舐め始めた。心底どうでも良さそうだ。ガンザンはフ……と微笑んで再び歩き始めた。
※ ※ ※
敵襲だ!
おぼろげに響いた声にウェザンは顔をあげた。むくりと起き上がり、血だらけ泥だらけの手々で入り口を引き開け、左右を見回す。
あっちこっちから叫び声があがり、兵士達はあっちへこっちへ右往左往している。適当な兵士を呼び止めた。
「おい!敵襲って?」
その兵士はウェザンの顔を見るや顔を嫌悪に歪めた。どうやら既に話が伝わっているらしい。
「炎だよ。」
兵士は心底嫌そうに吐き捨て、南を指差すとぷいとウェザンに背を向けて走り去っていく。ウェザンは彼を呼び止めそうになるのを辛うじて押さえ込み、南へ首を伸ばす。二里ほど先で、「炎」が翻っている。
(確か巨旗一振りにつき兵士一万だったはず……まともにぶつかれば勝てるな。よし。)
五日前、軍を磨り潰されそうになった経験から、彼には少し慎重さが戻っていた。
「皆の者!良く聞け!」
声を張り上げる。辺りを走る兵士が数人足を止める。彼の中に不思議な高揚感が満ちた。
「あちらの数は四万!こちらは約六万!あたれば勝てる!速やかに防御陣形をとれ!」
口を閉じ、満足げに辺りを見回す。と、足を止めていた兵士がフンと鼻を鳴らして足早に去っていく。ウェザンは目を見開いた。彼の目の前で一人また二人と兵士が去っていく。心臓がドクンと鳴った。
「おい!待て!話を聞かんか!」
「あんたの話なんか誰も聞きゃあしねえよ。」
バッと振り向くと、嘲笑を浮かべた兵士が立っていた。背を向けてどこかへ行こうとする。
「どこへ行く!」
「ここよりましなとこ。」
ウェザンは呆然と兵士を見送った。ズジャッと地にくずおれる。皆、彼をちらりと見てはどこかに去っていく。
カァアン……カァアン……
鐘の音が響いた。ギギギという音。そちらに目を向けると、壁の上にワンロンが立っていた。
「『炎』の旗は我ら互いの敵!一時休戦!入られよ、入られよ!」
言葉が響いた途端、そこら中から大歓声があがり、兵士達が我先にと雪崩をうって門に殺到した。ウェザンの周囲から瞬く間に人気が無くなり、彼とテントだけが寂しく取り残された。ウェザンは目に熱を感じた。
「なぜ……」
彼の目に激しい焔があがり、彼は両拳を地に叩き付けた。
「なぜっ!」
彼はもう一度地を殴る。激痛が走り、生暖かいものが地に漏れた。彼は唇を血が出るほど噛みしめてうずくまる。
(なぜこんな目に合わねばならん!私は姫様を守ろうとしただけだ!姫様の害を取り除こうとしただけだ!私は……私の…………なのになぜ!)
「私が……私が正しいのになぜっ!」
なぜ……なぜ……なぜ……
残響は虚しく虚空に溶ける。気付けば、馬蹄の音が随分近付いてきていた。
(……なるようになれ。死んだら奴を呪い殺してやる。)
ウェザンは静かに思った。もうすぐ死ぬのだと思うと、変に気持ちが落ち着いた。自分の血で染まった大地を眺める。何か人の声がして、馬蹄の音が止まった。ウェザンは目を閉じる。
(……終わらない。死したとして終わら――)
「立てよ。」
ウェザンはビクリと震えて目を見開いた。
(今、なんと――誰が――)
腕を誰かに掴まれ、彼は乱暴に引き起こされた。目の前には、ついさっき自分を嘲笑った兵士の顔があった。その顔がにやりと歪む。
「ひっでえ顔だな。」
ウェザンは訳もわからず腕を引っ張られ、いつの間にやら馬に乗せられていた。前に兵士が飛び乗る。
「お前は……なぜ……」
「面白そうだから。」
たった一言そう言って、兵士は南へ目を向ける。巨大な土ぼこりは間近に迫り、武器がぶつかり合う音が響いてくる。
「あーあー、大分キテんなあ……」
彼は北へと馬首を向け、後ろに振り向いた。ウェザンの呆然とした目を見てククッと笑う。
「飛ばすぞ。落ちるなよ?」
ウェザンはぼんやり頷いて、
「何者だ……?」
兵士は黙って前を向き、
「ジュバルだ。……さ、面白くなるぞぉ!」
思いっきり馬の腹を蹴った。馬は一声高くいなないて、笑い声だけをその場に置き去り、地平線のその先へと猛然と駆けていった。
※ ※ ※
壁上、ワンロンは耳をピクリと動かした。北へ目を向ける。旗やら武器やら散らばった大地の真ん中を、凄まじい速さで突っ切っていく騎馬が一騎。その後ろ姿をちょっと見つめて、それからぶるりと首を振る。
(まさか……な。)
彼は「炎」の旗に向き直った。
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