第35話 白峰転覆

 月夜、ノグノラ。円卓に投げ出されたリバンザの手がぴくりと動いた。彼女はむくりと体を起こし、汗に濡れた髪をかきあげる。青白い目が渦を巻いた。


「どうかしたか?」


 返事はない。が、彼女の耳には届いている。


「そうか、上がってこい。」


 リバンザがパチンと指を鳴らした。階下から微かな震えが伝わってくる。彼女は一つ一つため息を吐いて自分の背後、静かに輝く満月に振り向いた。


「そうか……もう明月か。」


 月は明月めいげつから真月しんげつ終盤、冬至にかけて輝きを増していき、その後晩月ばんげつにかけて輝きを失っていく。そして月が支配する三ヶ月が終わった後、再び日とその配下の九星が支配する九ヶ月が始まるのだ。リバンザは小さい頃良く聞かされていた昔話を思い出した。


 かつて、一年は日と月が半分ずつ支配していた。が、ある時月が欲を出し、日の領域に攻め入った。日はその支配圏の半分を奪われ、窮地に陥ったが、その時月の配下であった九星が義憤を感じて日についたことで、日は見事に勢力を盛り返し、月を三ヶ月に押し込めた、と言う。


 九星は夜と星を司る月からしてみれば、裏切り者だ。だが昼と空を司る日にとっては、自らの滅亡を食い止めてくれた大功臣である。だから、例え裏切り者になろうとも、正義のために尽くせ、と、リバンザの父はいつも言っていた。リバンザはふふ……と笑う。


「父上、私は九星になれるでしょうか。」


 答えは返ってこない。リバンザの耳にも届かない。彼女はふう、と息を吐いて月から目を外す。


 トントントン


 扉を叩く音。リバンザは足早に廊下を伝い、扉を引いた。


「入ってく……れ?」


 彼女は眉をひそめた。目の前には二人の兵を従えた青髭が、完全武装にウサギの人形を抱き締めて、切羽詰まった顔でリバンザを見上げている。


「お頭ぁ……許してくれ。」


 リバンザは目を見開いた。次の瞬間、彼女は廊下に吹っ飛んだ。背中から廊下に倒れ、後頭部を勢い良く床にぶつけた。一瞬火花が散る。遅れて、青髭に体当たりされたのだと気付いた。腹に鈍い痛みが走る。廊下に手を付いて起き上がろうとするが、うまく力が入らない。視界がぼやけて揺らめく。足音が近付いてきて、ブウンと音が鳴った。


 ドンッ


 リバンザの鼻先すれすれで斧が光っている。リバンザは動きを止めた。


「……やってくれ。」


 悲しげな声。兵士に両腕を掴まれ、後ろ手に回される。手首同士が縛られ、指の一本一本まで縛り上げられる。リバンザは仰向けに倒れ、青髭を見上げた。陰になった青髭の顔から悲しげな声が漏れる。


「お頭……ごめんよ……仕方が無かったんだ……」


 兵士が今度は脚を手際よく縛っていく。力を発しようにも、頭の中がぐちゃぐちゃで集中できない。


「誰が……なんで……」


「それは言えんよ。でもあいつは、『姫様を守るため』って言ってた。」


(そんなの……あいつしかいない。)


 兵士が布を取り出した。リバンザは口を開く。


「こんなの上手くいくはずがない。君らに従う者達はそう多くはないだろう。」


 青髭は首を振る。


「下では、ユグラシ兄弟が動いとる。あいつらあ人望あるからな。皆すぐ従うだろうさ。」


 リバンザは金銀双子を思い浮かべた。目を泳がせ、口を開きかける。と、兵士が身を乗り出し、口に布の塊を突っ込んできた。薔薇のような匂いが鼻を刺す。体から力が抜けた。頭がボウッとして良く分からない。と、カチャリ扉が開く音。


「ただいま帰りま――姫様!」


 ユラ・ウタの叫び声。自分に駆け寄ろうとして兵士に押し止められるのを、リバンザはぼんやりとした視界の中で見た。


「あんた達姫様になにを!――放しなさいこの恥知らず!」


「落ち着け!階段下から採ってきた紅玉を噛ましてるだけだ。害はねえ。」


 なおも叫び続けるウタに、青髭は小脇に抱えていたウサギの人形を押し付ける。ウタの体から力が抜け、床にくずおれた。その光景を最後に、リバンザの視界は真っ暗になった。



 ――――――――――――――――――――



 深夜、サビュール。ラフィの耳がぴくりと動いた。顔を上げ、あちこちをきょろきょろ見回して鼻先をひくつかせる。丸まっていた体をほどくと、寝台の横をとてとて歩いて枕元に首を伸ばした。そこには気持ちよさそうに眠るガンザンの顔。それをラフィの舌が撫でる。ガンザンが起き上がる気配は無い。ぺろぺろ、ぺろぺろ。ガンザンが顔をしかめ、うーんと唸って寝返りをうった。何ごとかむにゃむにゃ喋る。ラフィは小首を傾げ、数秒ガンザンを見つめると、


 ワン


「ん?」


 ガンザンがむくりと起き上がった。眠い目をこすり、辺りをキョロキョロ見回してラフィを見つける。


「らふぃ?どうしたんだ?」


 ラフィはクウンと小さく鳴き、じっとガンザンの目を見た。目をこするガンザンの手が止まる。


「……」


 ガンザンはぷるりと頭を振り、無言で立ち上がった。ラフィはくるりと回り、部屋を出て行く。ガンザンはそれに従った。


 宿舎を出、ほのかに青い道を行き、いくつかの階段を通って城壁に上ると、強い風が吹き付けてきた。ガンザンはよろけて胸壁に掴まる。旗がバタバタはためく音がやかましい。と、やかましさを突き破ってラフィの吠え声が響いた。見ると、ラフィが狭間に前足を乗せ、狭間から首を突き出してワンワン吠えている。


 ガンザンは城外に顔を向け、目を凝らした。強風が目玉を激しくたたき、涙で視界がぼやける。そのぼやけた視界の真ん中あたりに、やけに大きな騎馬武者が映った。彼は背後に長い長い影を伸ばし、追い風を受けて凄まじい速度で突進してきている。上半身だけ不自然に膨らんでいて、その左腰に巨大な大刀が見えた。ガンザンは眉にシワを寄せる。


「あれ……ワンロンか?なんで……」


 次第に武者の姿ははっきりしていく。不自然に膨らんでいるように見えた上半身は、前後二つに割れていた。ワンロンの胸元辺りで何かがぴくりと動く。


「人……?」


(でも誰だ?)


 ざわりと嫌な何かが蠢いた。その時、ラフィの声もかき消すような大声が響いた。


「開門!開門!」


 確かにワンロンの声だった。ラフィが階段に飛び込む。ガンザンは慌てて後を追った。階段を駆け下り、大門にくっついた通用門を開ける。ちょうど目の前に、ワンロンがそびえた。


「ワンロン、どうし――」


「話は後で致す。」


 ワンロンはいつになく荒々しい調子で言って朝風を下りる。そして何時になく優しい手つきで、幾重にも布にくるまれて馬上に取り残されたヒトを抱えると、ガンザンの脇をすり抜けていった。ガンザンは首を傾げると朝風を引っ張って小走りに後を追う。


「ワンロン、それは誰?」


 ワンロンは答えず、更に足を速める。宿舎に着き、階段を上ってガンザンの部屋に着くころには、ガンザンはすっかり息を切らしていた。


「ハア……ハア……それは誰?」


 ワンロンは黙って腕の中の人を寝台に横たえる。布の中から手がだらんと出てきた。真っ赤に腫れあがり、歪んだ浅黒い手。ガンザンはハッとして寝台に駆け寄る。


「トゥバン殿だ。」


 ガンザンが寝台を覗き込むと、あちこちが腫れあがり、血が滲んだトゥバンの顔があった。


「何で……こんなことに……」


 呆然としたガンザンの言葉。ラフィが悲し気にクウンと鳴く。ワンロンは重々しく首を振った。


「ウェザンが、裏切ったのです。」


「な……」


 ガンザンは一瞬頭が真っ白になった。すぐに、どす黒い焼けつくような何かが胸の奥から込み上げる。


「あいつ……!ぶっ殺してやる!」

 叫んで部屋を飛び出そうとした。


「ま……て。」


 ガンザンはビタリと足を止めた。勢い良く振り返る。トゥバンのカサカサの唇が微かに動いた。


「やられる……だけ、だ。考え、ろ。」


「トゥバン!」


 ガンザンは寝台に駆け寄った。その目に涙が浮かぶ。


「良かった……良かった。」


 ガンザンの涙がトゥバンの頬にこぼれる。トゥバンはうっすら目を開け、自分の頬を流れる涙を見やって不思議そうにまばたきした。


「あいつ、無事、かな。」


 トゥバンの頬に、もう一筋の涙が伝う。彼は目を閉じた。沈黙、後に静寂。トゥバンは再び目を開けた。焔が灯り、涙を乾かす。


「迅速に、行動しよう。俺達は危機的な、状況にある。」


 トゥバンは体を起こそうとして顔を歪めた。額に汗が浮かぶ。慌てて押し戻そうとしたワンロンの手を振り払い、ワンロンを睨んだ。


「ワンロン、大……丈夫だ。」


 ワンロンはトゥバンの目を見て手を引っ込める。


「大丈夫なんかじゃ――」


 トゥバンはすかさずガンザンに目線を飛ばす。ガンザンは瞬きして口を閉じた。トゥバンは大きく息を吐いて壁に寄りかかる。


「じゃあ……計画を話す。」



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