第34話 崩壊

街道を行く長い長い人の列を夕陽が照らす。それは長い長い影を作り、兵士達の表情を覆い隠している。


ワンロンは来た道に振り返った。州都は既に地平線に沈んで見えない。顔を戻して行く道を見やれば、彼方に小さな湖が見えた。街道は湖を避けてぐねりと曲がり、小さな町を貫いて、彼方へと延びている。


町の手前まで来て、ワンロンは馬を止めた。出迎えの者らしき若者が町から走り出てくる。ワンロンを見上げてにこりと笑った。


「白仙軍の方々ですか。」


ワンロンがうなずくと、


「お待ちしておりました。先遣の方に話は聞いています。ついてきて下さい。長のもとに案内します。」


きびすを返して町の中へと小走りに駆けていく。ワンロンは一瞬眉をひそめると、軍にその場に止まるよう合図を出し、ゆっくりと若者のあとを追った。辺りに目を走らせると、あちこちで建物が崩れ、瓦礫が転がっている。真っ黒に焼けている建物もちらりと見えた。


「何かあったのか?」


「ああ、先日、賊に襲われましてね。何とか追い返しましたが、多くを失いました。」


「そうか……行きの時に立ち寄っておけば良かったな。兵を残せたかも知れない。」


若者の後頭部が横に振れる。


「いえいえ。気にしないで下さい。このご時世、仕方のないことですから。」


「うむ……」


ワンロンは思案顔。


「もし分かるなら、その賊の居場所を教えてくれまいか。退治してやろう。」


「本当ですか?!」


若者がうわずった声で叫んだ。が、すぐに肩を落とし、立ち止まった。目の前には壊れた荷車が横たわっている。


「奴らの居場所など、とんと見当もつきません。奴らは嵐のようなものです。どこからくるのか予想もできない――あ、馬は預かります。」


ワンロンは馬を降り、何の気なしに若者に手綱を渡した。若者はどこからともなく現れた子供に手綱を渡し、壊れた荷車と崩れた家の間をすり抜ける。ワンロンは眉にシワを寄せた。何となく嫌な感じがしてならない。若者がくるり振り向き笑顔で手を振る。


「さ、来てください。」


(……気のせい、気のせいだ。)


ワンロンは両の頬をパチンと叩き、大股で隙間を通り抜けた。若者がうんとうなずき前を向く。ちょっとした円い広場の向こうに、ちょっと大きな屋敷が建っている。二人は一歩、一歩屋敷に近付いていく。夕陽が長い影を彼らの前に伸ばす。ワンロンは疑念がまた頭をもたげてくるのを感じた。


(なに、かがおかしい。だが何が……)


二人の影はじわりじわり屋敷に近づく。


(馬は無く、一人……)


どこかでカラスがカアと鳴いた。町のあちこちに反響する。


(静かな町、人、町……人?)


ワンロンは立ち止まった。


(人!人の気配がない!)


思えば今まで見た人は二人だけ。ワンロンは体の穴という穴から汗が噴き出すのを感じた。


「どうかしましたか?」


目を見開き、振り返った若者を見つめる。若者の顔に張り付いていた笑顔が一瞬はがれ、そして元に戻る。


「さあ、早く行きましょう?」


若者の目線が一瞬、ほんの一瞬ワンロンの腰、大刀に向かったその瞬間、ワンロンの手が目にも止まらぬ速さで動いた。


ボウッ


若者は、宙を飛んでいた。くるりと華麗に一回転し、地に降り立つ。ゆらりと顔を上げた。そこにあるのは悪鬼のごとき笑顔。


「何、するんですかぁ。」


殺気がゾウッと辺りに充満する。空を切ったワンロンの手が素早く腰に伸び、抜刀。


ゾンッ


再び若者一回転。立ち上がり、顔をしかめる。頬からどろり一筋の血。


「風圧で斬ったんですか?無茶しますね。」


ワンロンは呼吸を整え、腰から鞘を外した。


「まさか一週間で二回も抜くことになるとは思わなかった。」


ゆっくりと夕陽に染まった輝きを覆い隠す。カチリ、音が鳴る。


「ここの住人はどこにやった?」


若者は口を歪め、頬を拭う。


「他人より自分の心配をしたらどうですか?」


ピュゥイ口笛響き、広場のあちこちからゆらりと影が立ち上がった。ワンロンの目が鋭く走る。若者は指についた血をちょっと眺め、目の下に塗り付ける。


「名高い『羅瑠馬の暗軍』相手にどこまでやれるか……な?」


ワンロンは口の端を吊り上げ、大刀を構える。


「そちらこそ、『鬼龍』相手にその数で足りるのか?」


若者は無言で息を吐くと、禍ッと目を見開き、地を蹴る。数多の影が、ワンロンに飛びかかった。


※ ※ ※


ズ、ゥウウン……


突如響いた轟音に、トゥバンは勢いよく町に振り向いた。びゅおうと風が鳴り、前髪が乱される。砂埃が町の中心あたりからもうもうと立ち上がり、町を覆い隠そうとしていた。


「何が――」


あったと呟く寸前、ウェザンの叫びが響き渡った。


「同志よ!今だ!」


ゥウオオオオオ!


雄叫びがあがる。トゥバンはバッと顔を戻す。兵士があちこちで一斉に立ち上がり、手に手に武器を取り、トゥバンの方へと突進してくる。いくつかの兵士の集団は瞬く間に一つにまとまり、巨大な波となってトゥバンの本隊を襲った。


悲鳴。絶叫。泣き声。嘆声。断末魔。


それら全てが混然一体となり、瞬く間にこの世の地獄を作り出す。斬られ突かれ殴られ、トゥバン旗下の兵士達は次々にぼろきれのようになって地に転がる。迫る悪鬼の群れに矢を射ち込みながら、トゥバンは唇を噛みしめた。


「大隊長!これは何なのです!」


悲痛な叫び。トゥバンがちらりと目をやる。と、その兵士は一瞬にして針山のようになり、地面に転がった。


「ッ――!ちくしょうっ!」


トゥバンは更に強く唇を噛む。舌を血の味が染める。彼は正面、馬上で紙を掲げて叫んでいる男をギリリと睨みつけた。胸の奥に、形容しがたいどす黒い何かが噴き出す。


(殺)


感情に身を任せ、ウェザンに向けて弓を引く。その瞬間、彼は自分の頭蓋にヒビが入る音を聞いた。視界が真っ白になる。ウェザンの叫び声が微かに響いた。トゥバンはほのかに笑って地に倒れこむ。右手に激痛が走り、骨が砕ける音がした。


トゥバンは目を開けた。まぶたがやけに重い。ぼやけた視界は狭くなり、馬の脚が半分を占めている。赤い光が眩しい。


「逆賊トゥバン、顔を上げろ。」


トゥバンはゆっくり顔を上げた。まず見えたのは憤怒の顔のウェザン。それから、自分の肩をがっしり押さえる彼の手。そしてその手に握られた、深紅に濡れ、液体を滴らす布。トゥバンは薄笑いを顔に浮かべる。


「おめでと。」


「黙れ!」


ウェザンの馬が目の前に近付く。トゥバンは、両腕が地に落ちるのを感じた。右手の感覚は無い。ウェザンがぴしりと手綱を鳴らす。馬の脚が動き、狙いあやまたずトゥバンの左手を踏み砕いた。


「――――――!」


絶叫。トゥバンは前に倒れこみ、うずくまる。ウェザンが息を荒げながら憤然と肩から手を外し、胸元から紙を取り出す。バタバタと紙を振り回した。


「見ろ!これが何か分かるか!」


トゥバンが兵士に引き起こされる。トゥバンは苦痛に顔を歪めながら目を凝らす。


「これは貴様らの討伐許可証だ!『反逆の罪により、討伐を許可する』とある!」


ウェザンは紙をしまい、憎しみの目でトゥバンを見下ろす。


「この下賎がっ!裏切りおって!」


馬の脚が何度も何度もトゥバンの体を打ち砕く。


「――めろよ。」


「あ?」


ウェザンは怪訝な顔をして手綱を引いた。トゥバンがじりりと顔を上げ、ウェザンを見上げる。


「馬が、可哀想、だ。」


「な……」


ウェザンはたじろいで一歩引く。トゥバンは顔を落とし、言葉を続けた。


「私怨、に、人を巻き、込むんじゃ、ない。」


ウェザンの顔が真っ赤になった。ぴしりと手綱が強く鳴り、馬がいなないて高く脚を上げた。と、


「待て!」


大音声。残響と共に響く重い馬蹄の音。ウェザンが町の方に目をやると、血みどろの大刀を下げた鬼龍が朝風を駆り、疾風のごとく突っ込んでくる。ウェザンはヒッと息をのみ声をあげようとした。が、彼の喉からは何かが引っ掛かったような音しか出てこない。兵士達は散り散りにワンロンの行く手から逃げ出して行く。ウェザンの目があちこちに泳ぎ、鬼龍の目と合った。


絶叫。ウェザンは馬を返し、一目散に兵士達の中へと逃げ込んでいった。鬼龍は小さく舌打ちすると、トゥバンの側に寄り、馬から飛び降りた。殺気が消える。


「トゥバン殿、大丈夫ですか。」


トゥバンの頬が微かに緩んだ。


「――うぶだ。そっち、は?」


「私は大丈夫です。多少手こずりましたが。」


ワンロンはちらりと笑って見せ、トゥバンを抱え上げると、優しく朝風に載せた。後ろに飛び乗り、トゥバンを抱え込む。


「トゥバン殿、しばらく我慢してくだされ。」


トゥバンは微かにうなずいた。ワンロンは笑みを消し、手綱を鳴らした。二人は黄昏色の空の下、東へと駆け去って行く。

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