第33話 始まりの終わりの始まり
帝国南部、
「ウェザン?こんなところで何やってるの?」
ウェザンはバッと顔を上げ、手紙を背中にまわした。ガンザンが訝しげな顔で路地を覗き込んでいる。
「いや、ちょっと、な。」
「ちょっと?」
ウェザンはガンザンを睨んだ。
「お前に言う義務はない。お前こそなぜこんなところに居る!」
ガンザンは困惑した顔をして一歩引いた。
「僕はなんとなくブラブラと……気に障ったならごめん。もう行くよ。」
「さっさと行け!」
ガンザンはウェザンに背を向け、一瞬振り返ると去っていった。ウェザンはふう……安堵のため息。懐から筆を取り出すと、一枚の手紙を裏返し、さらさらと筆を走らせた。一、二回紙をパタパタさせると小さく折り畳んで鳥の脚に括りつける。
「これをお前の主人の許へ。気付かれないようにな。」
鳥はちょっと首をかしげ、カチカチとくちばしを鳴らす。ウェザンは懐から小さな豆を取り出した。鳥はそれを突っつき、美味しそうに飲み込んだ。
「……よし。行ってこい。」
鳥が飛び立つ。小さくなっていく鳥を眺めながら、ウェザンは呟いた。
「これで後は……時間の問題だ。」
※ ※ ※
「ですから、ここから離れないでくだされ。退却してしまったら、我らが攻められるのも時間の問題なのです。」
館の一室、元
「そうは言われても、兵達は三日前の戦で疲れきり、傷付いています。早く帰してやらないとなりませぬ。」
「そこを何とか……元気な兵だけで構いませぬ。何とか……少しだけでも……」
ワンロンはため息を吐く。
「そもそもここには元州兵が丸々残っているでしょう!我らの兵まで養う余裕は無いはずです。今でさえかなり厳しいというのに……。」
「はあ……。」
老人はしおしおと萎んでしまった。ワンロンはまたため息を吐く。彼らは、もう数刻も同じような会話を繰り返していた。ワンロンの顔には疲れが滲んでいる。老人が上目遣いにワンロンを見た。
「あの……何とか兵を残していただくわけには――」
「無理です。私とてそうしたいのはやまやまですが、無理なものは無理なのです。」
「そこを何とか……」
「だから――」
ガチャリと扉が開いた。ガンザンがひょっこり顔を出す。彼はちょっと部屋を見回し、ワンロンに目をやる。
「ワンロン、もう昼だぞ?何やってるんだ?」
ワンロンは開きっぱなしの口を閉じ、また開く。
「こちらの――」
「ああガンジャン殿!」
老人が予想外の速さでガンザンにすがり付いた。ガンザンは驚いて老人を見下ろす。
「ガンジャン殿!なんとか兵を残していただくわけにはいかないでしょうか!あなた方がいなくなってしまえばこの町は……」
ガンザンは目を瞬く。ワンロンがため息を吐いて頭をガシガシ掻いた。
「ですから!いくら言っても同じです。ここにはこちらの兵は残さない。あなたが降伏する時に決めたでしょう!そもそもあなたが言い出したことです。『州兵を養えなくなるから、兵は残さないでくれ』と。」
「あう……それはそうですが……そこをなんとかぁ……なんとか曲げていただけないでしょうか。あなた方の兵が少し、ほんの!少し居るだけで、とても心強いのです。」
老人は眉をハの字に曲げてワンロンに向く。ワンロンは腕を組んで瞑目した。
「決めたことは決めたこと。もう覆りませぬ。」
また老人がしおしおと萎んだ。ガンザンは老人とワンロンに交互に目をやる。
「僕が残ろうか?」
二人はバッとガンザンに顔を振り向けた。曲がった眉はどこへやら、老人は喜色満面。
「残っていただけるのですか!」
ガンザンはポリポリとこめかみを掻く。
「僕は別に元気一杯だし……」
「ガンザン殿!今更何を言っているのです!」
ガンザンはひょいとワンロンの顔を見る。
「まあまあ、決めたことが覆らないなら新しく決めれば良い。少し残すだけで良いんでしょ?それに……」
ガンザンはワンロンの近くに素早く寄る。
「あの人ののことだ。兵を残しておかないと、きっと地平線に炎の旗が見えただけで裏切るよ?」
ワンロンはガンザンの目を見た。
「まあ、確かにそうですが……あなたは大隊長でしょう。」
「大隊長が残っちゃいけないなんて決まりは無いよ。それなりに重要な人物が残るから意味がある。貸しもできるし信用も得られる。得しかないと思うけど?」
ワンロンは小さくため息を吐いて目を逸らした。
「悪いお人だ。」
ガンザンは小さく笑う。ワンロンは顔を上げた。老人の不安げな顔。
「……分かりました。ガンザン殿に五百人ほど付けてここに残しましょう。」
「……五百?」
ワンロンのため息。
「では千人。それが限界でしょう。残りは帰らせていただく。良いですな?」
老人がほっとした顔をする。
「ありがたい……感謝します。」
「いえいえそんな、当然のことです。」
ガンザンがニコニコと手を振るのをワンロンは呆れた顔で眺めた。
「では、我々は明日には発ちますゆえ、これにて。」
むくりと立ち上がって廊下へ出る。と、
「……いつ征伐軍が来るかも分からないのに、兵を分けるべきじゃありません。そもそもあっちから言い出したことなんですから……」
ワンロンが目を下に。焦った顔のウェザンが見上げる。ワンロンは目を細めた。
「それは分かっている。だが、もう決まってしまったんだ。もう一度覆す訳にもいかん。諦めろ。」
ウェザンは汗ばんだ両手を握り締め、目を伏せた。
「……分かりました。」
ワンロンの脇をすり抜け、足早にその場を去っていく。背中にワンロンの視線を感じながら、
(まずい、まずいぞ。)
ウェザンはぎりりと歯を食いしばり、兵士の宿舎へと向かった。
――――――――――――――――――――
翌朝、広場に整列した兵士達を眺めて、ガンザンは眉をひそめた。なんとなく妙な空気が漂っている。兵士達はこそこそと何か言葉を交わし、目配せしあい、そして時折トゥバンの方をちらりと見ては目を伏せる。トゥバンは兵列の脇、老人に目をやった。老人はのんきに大あくび。それを呆れた顔でガンザンとラフィが見ている。
トゥバンは目線を戻した。その拍子に正義感の強そうな顔をした兵士と目が合う。兵士は一瞬キッとトゥバンを睨むと前を向いた。トゥバンはますます眉間にシワを寄せた。と、
「注目!」
その場が一瞬で静まり返り、全ての目線が門前のワンロンに集中する。
「今日は皆、集中力が欠けているようだが、その調子ではダメだ!いつ敵が来てもおかしくないつもりで、しっかりと気を引き締めていくように!では、出発!」
ワンロンが開け放たれた門に向き直り、兵士達が動き出す。トゥバンは、視界の端でウェザンの口元が一瞬歪んだように思えた。嫌な予感がガンザンの心を刺す。
(何かが……始まった?)
冷たい秋の風が心をすり抜けていった。
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