第32話 決戦

 ゥ――ォオン!


 人と人がぶつかり合う轟音。続いて武器と武器ががぶつかり合う激音。緑の草原は瞬く間に紅に濡れて、そしてすぐ泥に塗りつぶされる。総勢六万弱。ちょっとした大都市ほどの規模の人間が、血で血を洗う戦を繰り広げる。


 その中でひときわ目立つのは、巨馬にまたがり、大刀を振り回している大男。大刀の鞘は抜かれていない。抜く必要が無い。彼が大刀を一振りするたびに数人の兵士が人形のように吹き飛ばされ、ひしゃげた姿で地面に叩きつけられる。密集した戦場の中で、彼の周りだけ空間が空いていた


「あれがセン殿……予想以上だ。」


 呟いてクドは槍を振る。頬に飛んだ血しぶきを拭おうともせず、クドはワンロンの姿に釘付けになっていた。


(こうして戦っているのを見るのは初めてだ……。凄まじいな。……格が違う。)


 彼は、なぜワンロンが『鬼龍』という異名を――獄門の主を指す異名を持つかを初めて理解した。微かに震えるわが身を押さえ、ふう……息を吐く。火ッと目を開いた。


「俺に続け!一人残らず叩っ切ってやる!」


 勢いよく槍を振り回し、敵軍に突っ込んで行く。


 大きなどよめきに、トゥバンは弓を引く手を止めて目をやった。銀色の閃き。上がる血しぶき。その中心に、見覚えある武者がいる。


(クドも居たのか。)


 トゥバンは一瞬口角を上げると矢を引っこ抜いて続けざまに放つ。クドの目が一瞬トゥバンを見た。三本までは打ち落とされた。遅れてきた一本をクドが仰け反って避ける。トゥバンはにやりと笑い、前を向いて矢を放った。三人の敵兵が喉を押さえて倒れ伏す。


「転回!左翼に向かえ!」



 それを聞いてクドは軽く舌打ちした。


(突き破れるかと思ったが……。)


「全速後退!囲まれる前に脱せよ!」


 楔のように左翼に突き刺さっていたクドの部隊が波が引くように後退していく。トゥバンは微かに笑った。


「なかなか敏いな。」




 一方中軍。ガンが馬を止めて左翼を見やる。


「クド・ラクガルもなかなかやるではないか。」


「ええ。噂とは随分違うようですね。」


 リーチ―が答える。ガンはフフンと笑った。


「わしも負けておれんな。」


 ブウンと総鉄づくりの大牙を肩に担ぐ。


「リーチー、邪魔をするなよ。」


「父上こそ。」


 父娘は一瞬不敵な笑みを交わし、雄叫びをあげて敵軍に突っ込んでいく。また勢いよく血しぶきがあがった。



(くそっ!また圧力が増した!)


 ガンザンは歯を食いしばった。戦い始めて二時間弱。敵の勢いに押されているのをひしひしと感じる。


(やっぱり兵差があるだけこっちが不利だ……右翼は……)


 目を向けるとウェザンの部隊が押し潰されていっているのが見えた。敵将は白い無表情な顔をして的確に采配を振るっている。


(あっちはだめか……左翼はむしろちょっと押してるくらいか。ここで持ちこたえないと……どうすれば……)


 悩んでいる間にもガンザンの部隊はじわじわと押されていく。悲鳴がどんどん近付いて来ている。血に染まった大きな牙が目の端をよぎった。


(本当にまずい。なにかないか……何か……!)


 ガンザンは目をあちこちに走らせる。と、暴れ狂うワンロンが目に入った。ガンザンの方に近付いてきている。彼の脳内に雷が走った。


「総員後退!左翼に向かえ!」


 咄嗟に叫んだ。軍がじわりと動き出す。


 フーは眉間にシワを寄せた。


(なぜ右翼にいかない?見捨てたのか?いや……)


「リーチー、敵の動きが変だ。注意して進むぞ。」


 フーは隣で双剣を振るう愛娘に言う。リーチーはうなずいてちょっと勢いを緩めた。二人の部隊は、じわじわと下がっていく敵軍を慌てずゆっくりと追っていく。


(敵はいったいどこまで下がる気?)


 リーチーがそう思った刹那、真っ赤な巨大な人影が目の端に映った。ぞわりと悪寒が背筋を襲う。


「危ない!」


 ギッ――ィイン……


 激音が響いた。リーチーが恐る恐る目を開ける。と、そこには大刀を受け止めるフーの姿があった。血で赤く染まった鬼龍が腕に力を込める。ギギギギギ……と金属同士が擦れる音が響く。フーは顔を真っ赤にして耐える。が、大牙はじりじりと押されていった。


「っぬう!」


 フーが腕から力を抜き、勢いよく大牙を捻じり振った。石突が勢いよく鬼龍の腹を打つ。彼は軽く仰け反って馬を引く。フーは荒い息をしながら鬼龍を睨む。


「老人にすることか。まったく……。」


 鬼龍の顔に笑みが浮かんだ。


「お久しぶりですな。お元気そうで何よりです。」


 フーは息を整えながら大牙を持ち直した。


「お主も変わってない……の!」


 金属音が響く。


「そちらの方はリーチー殿ですかな?」


 ワンロンがギリギリと大牙を押し返しながら尋ねた。フーはブンと大牙を振り戻す。


「そうっ――じゃ!」


 ギィイン!


「随分お綺麗になられましたな。」


 ギシギシと大刀が音を立てる。


「ああ!」ギン!「だが!」ギン!「そのおかげで!」ガァン!「とんだ愚息が!」ジャィイン!「出来てしまった!」ガッ!ギャィイン!


 双方距離をとった。ワンロンの額に汗が滲んでいる。


「……それはお気の毒でしたな。」


 ワンロンが大刀を横にして目の前に掲げ、鞘を掴んだ。氷のような緊張が辺りに走る。ワンロンの左手が鞘を引っ張る。銀色の輝きが人々の目を射ち、巨大な刃が姿を現した。ワンロンは鞘を自軍に放る。一人の兵士が受け止めてよろめいた。ワンロンは軽く大刀を振るい、刃を見つめて小さくうなずくと、フーに目を向けた。


「本気で行かせて頂く。」


 フーはこくりとうなずいて、リーチーの方を向いた。


「リーチー、手を出すでないぞ。……婿殿を頼んだ。」


 リーチーは目を瞬いてうなずくと、父から遠ざかった。フーとワンロンは馬を返し、距離をとる。敵味方の別なく、兵士が集まってきて半径五間ほどの大きな輪を作った。輪の端に二人が着き、再び馬を返す。フーは深呼吸をしてゆらりと大牙を持ち上げる。ワンロンは数秒目を瞑り、呼吸を整えると火ッと目を見開いた。殺気と殺気がぶつかり合い、ピシリと空気が凍り付く。一瞬の緊張。


「「ハッ!」」


 馬がいななき、勢いよく走り出す。一間、二間と距離が近付いていき、そして――


 ガ――ィイン……ィイン……ィイン……


 その瞬間、全ての兵士が動きを止めた。クドはバッと右を見た。戦場にぽっかりと空いた大穴。その縁へ駆け去る二騎の武者。煌く大刀と鉄の大牙。


「刀が……こりゃまずい。」


 クドは、ワンロンの大刀が抜かれたのを見たことが無かった。が、かつて大刀が抜かれた時、ワンロンがどんな働きをしたかは聞いていた。馬を回し、ざわめく兵士達を押しのけて全速力で駆け抜ける。


 折しも、フーと鬼龍が再び向かい合い、馬を走らせ始めた。再び激音が響く。もう一度、更にもう一度。フーが大牙を振り上げれば鬼龍がそれを跳ね飛ばし、返す刀でフーの首を狙う。それをフーが避けて上段から大牙を振り下ろすのを鬼龍の大刀が受け止める。ぎしりと金属が悲鳴を上げた。互いに一歩も引かず押し合う。


「ぐぅーーああ!」


 鬼龍が渾身の力を込めて大牙を弾き飛ばし、間を置かず連撃を叩き込んだ。それを一撃残らず防ぎながら、フーはじわじわと後退していく。フーはぎりりと歯を食いしばった。


(勝てるのか?)


 一瞬思い浮かんだ疑問を捻りつぶし、隙をうかがう。が、連撃は止まる気配が無い。むしろどんどん速くなっていく。


(化け物めっ!)


 その時、手がわずかに滑った。


 キィイン


 大牙から右手が外れ、フーは無防備な体をさらけ出す。その瞬間、鬼龍の殺気がぞわりと膨れ上がった。時が粘つく。大刀がゆっくりと自分の体に迫っていくのを、フーは目で追った。記憶の断片が嵐のように脳内を舞う。


(これが死か。)


 フーはまっすぐに前を見る。鬼龍の口の端が歪んだように見えた。その瞬間、視界の端に何かが見えた。


 ギャァン!


 時が戻った。大刀がブゥンと唸ってフーの脇の空間を勢いよく切り裂いた。フーの目の前には一本の槍。先がちょっと欠けている。鬼龍が素早くのけぞった。槍がヒュウン、空を切る。ワンロンは馬を引き、汗を滴らせながらフーの隣の騎馬武者を見やる。


「クド殿。邪魔をしないで頂きたい。」


 クドは両手の痛みに一瞬顔をしかめ、ワンロンを睨む。


「それは無理です。太守殿にはこの後稽古をつけて頂くつもりなので。」


 ワンロンはため息を吐いて悲しげに頭を振った。大刀を構える。


「なら、仕方がありませんな。両者、刀の錆となって頂く。」


 再び殺気が膨れ上がり、ワンロンは鬼龍と化した。二人から距離を取る。


「ラクガル殿……わしは貴公のことをみくびっていたようだ。」


 フーが大牙を構えながら言う。クドはちらりとフーを見て、槍を握りなおした。


「こちらこそみくびっていました。聞いていたよりも更に何倍も強く、何倍も偉大です。」


 フーは微かに口元を緩めた。


「後でたっぷり稽古をつけてやろう。」


「ありがとうございます。」


 両者目線を交わしてちらりと笑い、顔を引き締めた。戦場は静まり返り、風が寂しく吹き過ぎる。鬼龍が馬を止め、二人に向く。


「……来るぞ。」


 ドッと朝風が地を蹴った。同時に二人が馬を駆る。鬼龍が大刀を構える。


「「でりゃあああああああ!!」」


 二人が渾身の一撃を叩き込んだ。轟音が響き渡る。鬼龍が体勢をわずかに崩す。フーはすかさず真正面から連撃を繰り出し、クドは側面から素早い突きを矢継ぎ早に繰り出した。ワンロンはそれを全てさばいて見せる。


(ワンロン、やはり力だけじゃない!)


 二人相手に守勢に立たされてはいるが、じわじわと押し返されていっているのを感じる。クドの額に汗が伝った。と、


「エェァアアア!」


 高い声。鬼龍は二本の閃きをぎりぎりでかわし、フーの鋭い斬撃を弾いて後ろに引いた。さっきまで鬼龍の体があったところをクドの槍が貫く。鬼龍は間をとって三人と睨み合った。


「リーチー!手を出すなと言っただろう!」


 フーが怒鳴るように囁く。リーチーは毅然として鬼龍を睨む。


「ラクガル殿が加勢されたのですから、私だって加勢して良いじゃないですか。それとも私に父を見殺しにしろと?」


「む……」


 フーは黙ってしまって鬼龍を睨んだ。鬼龍はじっと攻め時をうかがっている。三人も、鬼龍の隙をうかがった。


((((隙が……無い))))


 睨み合ったまま、じわりじわりと時が過ぎていく。どちらも相手が動くのを待っている。張り詰めた空気。一分、二分、三分、睨み合って十分が経った頃、鬼龍がピクリと大刀を動かした。


 ――――――――!!


 絶叫。四人同時に馬を駆る。そして五つの武器が重なり合おうとしたその瞬間――


 ウゥォオオオオオオ――――!


 鬨の声があがった。四人はビタリと動きを止めて、そっちに顔を向ける。金糸で縁どられた「炎」の旗が三里ほど向こうで幾枚もはためき、朱色の鎧を着こんだ大軍団がその下を勇壮に進軍してくる。兵士達がざわめいて動き始めた。トゥバンの「退却!」の声が響く。鬼龍から殺気が消えた。


「禁軍か……。仕方がない。」


 ワンロンは大刀を下ろし、フーに向き直る。


「良い勝負でした。決着はまたいずれ……。」


 フーも大牙を下ろしてうなずいた。


「死ぬ前にもう一度会えれば良いがな。」


「……では。」


 ワンロンは馬を回し、駆け去っていった。駆けよってきた兵士から鞘を受け取り、既に退却を始めている白仙軍の中に消えていった。クドは荒い息でそれを見送り、右翼があった方を向いた。白い無表情な顔の男が小さくお辞儀をする。クドは目を逸らし、眉間にシワを寄せた。日が傾き始めていた。

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