第31話 開戦

「急げ急げ!間に合わなくなるぞ!」


 真昼の眩しい光に汗を輝かせながらトゥバンが叫ぶ。と、埃にまみれた伝令が駆けよってきた。


「報告!南東五里に敵影!まっすぐに突っ込んできます!」


 トゥバンは抱えていた袋をどさりと置き、地平線に振り向いた。目を細める。砂埃をあげながら駆ける大量の騎兵と、はためく幾多の旗。そこには「炎」の文字が朱色で大きく染め抜かれていた。


(間に合わなかったか……。)


「敵襲だ!総員北方二里へ退避!武器と鎧だけ持っていけ!」


 途端に右往左往していた兵士達が慌てて北へ走り出す。あちこちで伝令の声が響く。トゥバンも愛弓を引っ掴み、北へと走る。あっという間に人が消えていき、包囲陣はまるでゴーストタウンのような有様になった。放り出された荷車が風で軋む。


 ギィ……


 ガタン!


 フーは勢いよく立ち上がった。その拍子に床几が倒れ、凄い音を立てる。が、フーは気にも留めない。ただひたすらについさっき広間に駆けこんできた兵士を凝視する。


「真か!真に援軍が!」


「は!もう後数里にまで迫っております!先頭の旗はラクガル家のものかと!」


「ラクガル?」


 フーは眉間にシワを寄せる。


「どのラクガルだ?よもやクド・ラクガルではあるまいな。」


「は……私には何とも……。」


 兵士が首を捻る。


「……分かった。後で行く。下がってよい。」


 フーは広間から出て行く兵士を見ながらむうと唸った。


(カバ殿は北方で手が離せないはず……となるとやはりクドか……期待は出来そうにないの。)


 関所破りの一件はここ三月ほどの間に帝国武官の間で知れ渡っていた。関所を破られるなどここ百年振りくらいの珍事である。中央が隠そうとしても噂が広まるのは仕方のないことだと言えよう。フーはちょっと溜息を吐いて床几に座りなおした。


(なんでも彼は自ら門を開け、ごろつき相手に決闘を挑んで負けたとか……。火が無くば煙も無い。祈るばかりだな。)




 ※ ※ ※



 白仙軍と帝国軍は、双方素早く陣を敷き終え、城の北で二里ほど間を開けて対峙していた。クドははためく九星をじっと睨んでいる。


「ラクガル様、お客様です。」


 間延びしたような妙に平板な声。クドは一瞬眉をひそめ、振り向く。出来の悪い劇面のような、白い無表情な顔が目に入る。森の中で三万の兵を連れていた男だ。


『お目付け役です。この兵を預けます。』


 クドに初めて会った時、男はまっさきにそう言った。クドは男に名を聞かなかった。男の方にも言う気はないだろう。


(いつ見ても気味の悪い顔だな)


 そう思いつつとりあえず尋ねる。


「お客様?」


 男はうなずいて後ろを手で示す。そこには、厳めしい顔をして白い髭を風になびかせ、牙のように反り返った長柄を持つ大男が馬に乗っていた。傍らには髪を後ろで束ねた勇まし気な美女がこれまた馬に乗っている。大男が口を開いた。


「わしは南京西城太守、ガン・フーと申す。この度は救援、感謝致す。」


 クドはちょっと目を見張った。帝国武官の間では、フーを知らぬものなどいない。ほとんど生ける伝説となっている。その伝説が目の前で頭を下げ、美女を手で示す。


「これは我が娘、ガン・リーチー。他に婿のルーチャンもいるが――」


 フーの目が一瞬リーチーに飛び、彼女はちょっと溜息を吐いた。


「――あれには城の守備を任せておる故、ここには来れぬ。ご容赦されよ。改めて、ガン一家より感謝を伝えたい。」


 親子は深々と頭を下げた。ラクガルはちょっと戸惑ってぺこりとお辞儀を返した。


「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。私はクド・ラクガル。……時に、太守殿はあの『大牙』として有名な……?」


 リーチーが一瞬嬉し気にフーを見上げた。フーは目を瞬く。


「うむ……ま、そう呼ばれることも。」


「おお!お会いできて光栄です!」


 思わずクドは声を上ずらせ、身を乗り出した。


「幼い頃より憧れだったのです!この件が片付いた後、もしお暇があれば是非一度稽古をつけて頂きたい!」


 フーはクドの勢いにちょっとのけぞった。


「う、うむ。まあ構いませぬが……」


 クスクスと笑い声。リーチーが笑っている。


「父上もラクガル殿も面白うございますね。」


 アッハッハと笑いが響く。クドは我に返って身を引いた。フーはコホンと咳払い。リーチーが笑いを収め、はあと息を吐いた。


「今は目の前の敵に集中した方が良いと思うのですけれど?」


「む……。その通りじゃな。どうするか……。」


 フーは九星を睨み、ふうむと唸る。


「このまま動きがあるのを待ちましょう。」


 フーはクドにちらりと目を向けた。ちょっとほっとしているような目の色。クドは白仙軍に向き直る。


「……どうも、向こうの様子がおかしい。下手に動かない方が良いかと。」


 ざわざわと旗が動いている場所をじっと見つめるクドの後ろで、フーがこっそり溜息を吐いた。




 その頃、白仙軍側は紛糾していた。


「だ!か!ら!ここまで来てなぜ撤退しなければならない!」


「勝てるかどうか分からないからだ!いい加減分かってくれよウェザン!」


 疲れた声でトゥバンが叫ぶ。ウェザンは腕を組んで首を振る。


「目の前に敵が控えているのに攻撃しない!?そんなことは阿呆がやることだ!撤退するにせよ、ここで勝ってこそだろう!」


「相手は騎馬だぞ!それが三万!戦えば勝とうと負けようと相当な損害が出る!」


「損害を恐れて戦に勝てるか?違うだろう!」


 たまらずガンザンが二人に割り込む。


「まあまあまあ、二人とも落ち着いて……」


「やかましい!」


 ガンザンはウェザンに撥ね飛ばされた。ウェザンは更にまくし立てようと口を開いた。と、


「二人とも止められい。見苦しい……」


 二人は我に返って身を引いた。ワンロンが大きくため息を吐いてウェザンを見やる。


「ウェザン殿、決まったことは決まったこと。いくら叫ぼうと覆りませぬ。……トゥバン殿ももっと落ち着いて――」


「なるほど、そういう決定なのですな。」


 ワンロンは意表を突かれてウェザンを見る。ウェザンは肩を怒らせ、息を荒げて強くワンロンを見る。


「ならばもう良い。失礼する。」


 彼は背を向けて歩き出す。ワンロンはそれを見送りながら、ちょっと眉間にシワを寄せる。何か嫌な予感がした。近くの兵士をちょいちょいと手招きする。


「嫌な予感がする。ウェザン殿から目を離すな。」


 耳打ちされた兵士は小さくうなずいてウェザンが消えていった方に走っていった。トゥバンがワンロンに歩み寄る。


「ワンロン、すまない。取り乱してしまって……。」


 トゥバンが頭を下げる。ワンロンはうむとうなずいた。


「良いのです。トゥバン殿にも思うところがあったのですから……しかしあのように激昂するのはあまり褒められたことでは――」


 その時、ときの声が上がった。その場の全員がそっちを見る。さっきワンロンが耳打ちした兵士が場に駆け込んできた。


「大将!ウェザン殿が自部隊でもって敵に突撃して行きました!」


「何い?!」


 ワンロンの目が見開く。トゥバンが軽く舌打ちした。


「どうする?」


「どうするったって助けるしかないでしょう……。」


(予感が当たるのが早すぎるぞ……)


 ワンロンは勢いよく立ち上がる。


「総員直ちに戦闘態勢!敵軍に向けて突撃せよ!ウェザン部隊を助けよ!」


 あっという間に周囲が騒然とする。トゥバンはワンロンと目線を交わし、駆けていく。ワンロンは愛刀をひっ掴み、朝風に飛び乗ると、前を見て一瞬眉間にシワを寄せた。嫌な予感が全身を駆け巡っていた。


(ええいままよ!なんとかなる――いや、何とかする。)


「突撃!」


 ワンロンは朝風の腹を蹴った。


 寸刻前 帝国軍側


 クドはときの声を聞いた。白仙軍の左翼がぐわりとうごめく。


「来た!」


 クドの叫びにガン父娘が顔を上げた。左翼のが本軍から分裂し、勢いよくこっちに向かってくる。


「まさか今とは!」


 フーが叫ぶ。クドはちらりと目をやりうなずいた。既に敵の突進に気付いた兵士が動揺し始めている。更には左翼に遅れて本軍もうごめき始めた。


「かくなる上は迎え撃つのみ!全軍、守勢に入れ!一歩も引かず、敵を磨り潰せ!」


 うぉおおおお!!


 雄叫びが響く。クドは迫り来る軍勢を睨む。一瞬、軍勢の中に浅黒い顔を見たような気がした。


(……奴がいようと構わない。ただ!勝つ!のみ!)


 彼は目に焔を燃やし、愛馬に鞭を入れた。


 襲うもの。迎え撃つもの。戦の匂いを嗅ぎ付けた戦神が、場の空気を瞬く間に混沌に変えて行く。


 明月十日。後に「西城の戦い」と呼ばれる一大決戦が、今、幕を開けた。

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