第29話 嵐
風吹き抜ける小高い丘。その頂上に築かれた都市は、物々しい雰囲気に包まれていた。南都西城と呼ばれるこの都市の城門はことごとく塞がれ、城壁に幾多の射手が緊張した面持ちで控えている。町に活気は無い。あろうはずもない。なにせこの町は二万五千の大軍によって包囲されているのだから。
「……もう、降伏した方が良いのでは?」
城壁の上で、はためく幾多の九星を眺めながら垂れ目の男が言った。
「バカを言うなっ!」
即座に拳が炸裂する。垂れ目の男は悲鳴を上げて頭を押さえた。半泣きの顔で傍らの大男を見上げる。鬼のような目が垂れ目を見返した。
「なにも殴らなくたって……」
「やかましい!お前が不吉な事を言うからだ!」
大男は腕を組み、憤然として前を向く。白い髭が風になびいた。彼は『大牙』のガン・フー。かつて、十二代皇帝清炎帝の治世に南方の敵国、サモロとの戦で敵将を二十二人討ち取ったという猛将。彼の異名は彼の得物である牙のように反り返った長柄に由来する。
「そんなこと言ったって、相手は二万五千。こっちは五千ですよ?勝てるわけが――いって!」
垂れ目が再び頭を押さえる。彼はガン・ルーチャン。フーの娘婿。
「全くお前は何度も何度も!仮にもガンの一門ならばしゃんとせい!」
「……はい。」
ルーチャンがうなだれるのに、フーはイライラと目をやった。
(全く……婿殿は頼りにならんな。)
そんなことを思って再び目の前の軍勢を睨み付ける。既に包囲されてから一週間が経とうとしている。伝書鳩はことごとく撃ち落とされ、補給も断たれた。城内の緊張は最高潮に達し、兵同士の喧嘩も起こり始めた。おかげで垂れ目はもっと垂れ目になっている。フーはちょっとルーチャンに目を向けた。
(ううむ……)
「……今は耐えろ。援軍はきっと来る。」
フーはぼそりと漏らした。途端にルーチャンの顔がパッと明るくなる。
「援軍が来るのですか!?」
「まだ分からぬが十中八九来るだろうよ。ここは重要拠点だ。」
「やったー!」
ルーチャンが歓声をあげてぴょんこぴょんこ飛び跳ね始めた。突然の奇行に辺りがざわめく。フーは苛立たしげにそれを見る。
「そんなに騒ぐな!兵達が動揺するだろう!」
ハッとした顔をしてルーチャンが動きを止めた。そそくさと縮こまる。が、その顔は緩みっぱなしだ。へへへ……と笑い声が漏れた。フーはちょっと唸ってまた白に踊る九星を睨みつけた。
(相手は『鬼龍』……勝てるかどうか……ええいままよ。)
ポツリと水滴がフーの頬を打つ。フーはちょっと空を見上げた。どこから流れてきたのか、黒雲が街に覆いかぶさろうとしていた。
――――――――――――――――――
閃光。轟音。そして風の音に雨の音。更にはいびきの大合唱。
「……くそっ」
トゥバンはがばりと毛布を跳ね除けた。起き上がってがしがし頭を掻く。
「こんなんじゃ眠れやしない。」
また閃光がテントの中を照らし、バリバリと轟音が響いた。トゥバンはびくりとして数瞬固まる。忌々しげに天を仰いだ。もちろん見えるのは天井のみ。トゥバンは溜息を吐くと、至福の顔で床に転がる兵士たちの隙間を辿り、テントの入口の布を掻きわける。途端に物凄い勢いで突風が吹き込んできた。トゥバンの体が一瞬でずぶぬれになる。彼は襲い来る雨粒と突風に抗い、暗闇にただ一つ浮かび上がる光に向かって足を踏み出した。泳ぐように雨風を押しのけかき分け前へ進む。やっとのことでテントにたどり着き、布に頭から突っ込んで明るい床に倒れこんだ。
「なんとまあ!いったいどうなさったのです。」
ワンロンの声。トゥバンはむくりと起き上がってブルブル頭を振った。水がそこら中に飛び散る。トゥバンは髪をかき上げながら視線を動かす。
「いや、なんとなく……な。」
ワンロンの右に眠るラフィとそれを撫でるガンザン。その後ろで腕組みして椅子にもたれるウェザン。ガンザンがいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「トゥバン、雷が怖かったんじゃないの?」
沈黙。
「……なんのことだ?」
ガンザンの笑みがニヤニヤ笑いに変わる。
「しらばっくれてもダメだよ。さっき完全に固まってたじゃないか。」
「いや、そんなことは無いぞ?俺は別に雷なんて――」
閃光轟音びくりと震えるトゥバンの体。トゥバンの額を汗が伝う。
「ほ、ほらどうだ?全っ然動揺してないじゃないか?いやむしろ山のように不動で――」
「嘘は良くないぞ?僕はさっきトゥバンが震えるのを確かに――」
「ええい!そんなことはどうでもいい!俺は今後の戦略について話したくてここまで来たんだ!」
トゥバンが顔を真っ赤にして叫ぶと、ガンザンは性格の悪そうな笑みを浮かべた。
「へぇ~。ま、そういうことにしとくよ。」
ハッハッハと笑い声が響く。
「お二人とも仲良うございますな!あっはっは……」
トゥバンはこほんと咳払いした。
「そんなことは良い……。ワンロン、この先どうする?」
ワンロンの笑みが穏やかになる。
「どうする……とは?」
「援軍のことだ。相手方の。」
「ああ……。」
ワンロンの顔からスッと笑みが消えた。ガンザンが頭をポリポリ掻く。
「相手方の大軍が一週間かそこらでここにやってくる……合ってるか?ウェザン。」
トゥバンがウェザンに目を向ける。ウェザンがわざとらしい大きな欠伸をして伸びをした。ぱちりと目を開けてトゥバンの方を見る。
「何て?」
「相手の援軍はどれぐらいでここに着くんだっけ?」
トゥバンは丁寧に言い直した。
「ええっと……んん……うちの部下によると……フウ……敵軍は約三万の大軍でこっちに向かっている……フウア……二日前の情報だと、三日前にはリーソン辺りにいたらしい……フア~ア。」
トゥバンはテントの中央、大机の上の地図にちらりと目をやった。
「じゃああと三日か。」
ウェザンが大欠伸を止め、悔しそうな目をトゥバンに向ける。それを見たガンザンが微かに笑った。トゥバンは再びワンロンの方を向く。
「どうする?もし城兵と合流したりしたら三万三千くらいにはなる。対してこっちは二万五千。ここは平地だ。たいした策も使えない。」
「策と言うより卑劣な小細工と言った方が良いんでは?」
「正直、このままぶつかっても、良くて痛み分けになるくらいだと思う。だから俺はここらへんで撤退すべきだと思うんだが、どうだ?」
「ううむ……。」
ワンロンは瞑目した。その顔をトゥバンがまっすぐ見つめる。それを憎々しげにウェザンが睨み、更にガンザンが憐れみを込めた目でウェザンを見ている。
雨風、閃光、轟音、雨風、雨風、雨風、雨風再び閃光轟音の後ワンロンは目を開けた。
「ウェザン殿はどう思います?」
ウェザンがハッとしてワンロンを見た。
「私は早急にここを落とすべきだと考えます。ここで撤退などありえない!ここを取れば麗京の東が空く、即ち麗京の――ひいては帝国南部の首根っこを掴むことになる!その絶好の機会を捨て、退却するなど言語道断!全くもってありえない!」
ウェザンは息を荒げ、トゥバンを睨みながら口を閉じた。
「いや、僕は撤退した方が良いと思うよ。」
ウェザンが目玉をひん剥いて勢いよくガンザンに顔を向けた。ウェザンが何か言いかける。
「落とした後の消耗しきった軍勢では元気一杯の三万を破ることなんてまず不可能だし、そもそも強攻をかけたところで、あと六日であの堅固な街が落ちるかは甚だ怪しい。落ちても援軍に取り返されるだけだ。麗京まわりはもう十分押さえてある。無理に戦う必要は無いよ。」
ガンザンとウェザンの目が合う。ウェザンがあわあわと声にならない声を出した。
「……うむ。」
ワンロンがうなずいた。
「明朝、この嵐が弱まり次第撤退の準備をしよう。」
「んなっ!」
ウェザンが叫んで立ち上がった。ワンロンを睨む。ワンロンは冷静にウェザンと目を合わせた。
「私は二人の意見がもっともだと思う。正直なところ、ウェザン殿の意見は……な。」
(くそうっ!蛇めがっ!)
ウェザンは心の中であらんかぎり声を張り上げると、トゥバンを憎々しげに一瞥し、テントから飛び出した。とてつもない雨風になぶられながら唇を噛みしめ、大股で行くあてもなく真っすぐ歩く。
(あの蛇、いつもいつも!進撃を止めるだと?戯言だ!麗京の周りではない!麗京の首根っこを掴んでこそ意味があるのだ!援軍などどうにでもなる!所詮は腐敗しきった烏合の衆だ!)
ウェザンの心には、幾万の大軍がたった二千の射手によって大混乱に陥ったあの場面が強く刻みこまれていた。それ故に戦において最もしてはならないこと、即ち「敵陣にて帯を緩める」ということをしてしまっていた。彼にとって帝国軍は烏合の衆でしかない。大した敵ではないのだ。ネズミをいくら集めても猫には勝てない。故に、トゥバンやガンザンが何故援軍を恐れるのか理解が出来なかった。そしてそれは彼の新入りへの不信感とないまぜになって、彼の頭に、ある一つの考えを生み出させる。
閃光、轟音。同時にウェザンの頭にも雷が落ちた。一瞬の閃き。故に強烈な閃き。
(まさか……)
ウェザンは立ち止まる。
(まさか奴らは帝国と繋がっている……?)
ウェザンの頭が目まぐるしく回転する。
(白仙軍征伐軍の話を知れたのも、十万以上の大軍を奇麗に策に嵌めれたのも、あの堅固な砦をたった三人で落とせたのも、今ここで撤退を進言するのも、全ては帝国との繋がりがあるから……?)
普通によくよく考えればそんなことはあり得ない。が、ウェザンの頭の中では完全に一つの絵が描きあげられてしまった。そしてその絵を見てウェザンは決心する。
(姫様を、蛇どもから守らなければ!)
嵐は激しく空間をかき乱し続ける。
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