第27話 不穏

 薄暗く青みがかった空の下、ウェザンは幾百幾千の兵士達を従え、馬を駆っていた。その視線の先には灰色の小さな影。ラフィだ。



「本当にこっちで合ってるんだろうな!」


 ウェザンが叫ぶとラフィがワンワンと吠えて少し速度を上げた。ウェザンは軽く舌打ちして速度を上げる。不意の霧にまかれ、いつの間にか見覚えの無い森に出てきてから約半日。ラフィが突然走り出し、ついてこいとばかりに軍に振り向いてワンワン吠えてから約四刻。ウェザンはラフィに付いてきたことを半ば後悔していた。


いつまでたってもどこまでいっても見えるのは茶色い大地と砂ぼこり。人のヒの字も無い。兵士達は相当疲れてきている。


「おーい!どこまで行ったら止まるんだ犬っころ!」


 などとやけくそに叫んでみてもラフィはどうせ自信ありげにワンと吠えるだけ……と思いきや突然立ち止まった。ウェザンはハッと慌てて手綱を引いた。


「全体止まれ!」


 体を捻って叫び、ラフィを睨んだ。


「いきなり止まるんじゃない!何考えてるんだ!」


 ラフィはウェザンに振り向いて尻尾を振った。ひょいと前を向き、ワンと吠える。ウェザンがぶつぶつ言いながら目線を上げると、彼方に岩山が黒々とうずくまっていた。岩山からは崖が伸び、そこに砦が築かれて、その先に大きな塔が建っている。


「あそこか?」


 ウェザンは目を細める。と、次の瞬間黄金色の光が辺りを満たした。岩山の影がぶわりと膨らみ、砦の姿を覆い隠した。影から逃れた塔が黄金色に輝いた。その頂点で翻るは――


「白地に九星……いったい誰が……。」


 ウェザンが呆然と呟いた。同じ旗が彼の背後で幾枚もはためいている。ラフィが自慢げにワンと鳴いた。


 ※ ※ ※


 黄金色に輝く塔の屋上、トゥバンは旗を支えてうずくまっていた。彼は目をぎゅっとつむるとパチパチと目を開けた。すぐに目を細める。


「まぶし……。」


 呟いてもそりと立ち上がり、伸びをする。砦の中に目を向けた。兵士達が逃げる途中で落としていったのだろう。布だの短剣だの色々転がっている。それらが無い、塔の真下のぽっかりと空いた地面。そこは、うっすらと赤く染まっている。ツォウが落ちた所だ。


「……忠義、か。」


 トゥバンはぼそりと呟いて、うっすら赤い地面を見つめた。遠くから足音の大群が近付いてくる。そっちに顔を向けると、白い旗に九つの星が円をえがいているのがぼんやり見えた。小さく狼の声が聞こえる。トゥバンは顔を戻し、


「俺には分からないな。」


 一言言って階段に飛び込んだ。


 ※ ※ ※


 ざわざわ次々と砦に入ってくる兵士達。それを眺めるトゥバンとウェザン。その脇でラフィとじゃれるガンザンとワンロン。


「たった三人でどうやってここを落とした?」


 そう言ってウェザンがぐるりと辺りを見回す。外壁の矢間には大量の弩が備え付けられ、あちこちに油壺や石が積み上げられている。更には岩壁のあちこちに穴が掘られ、岩山全体が巨大な倉庫と化している。そして門は一か所のみ。滅多なことでは落ちない砦だ。百年以上前、この砦は『不落の砦』として炎帝国の最前線を支えていたと言う。


「何、知恵を使ったんだ。」


 トゥバンが目を細め、はしゃぐラフィを眺めながら言う。


「投降兵を装い、ワンロンを『手土産』として砦の主に近付いて屋上へ出るよう仕向け、ガンザンの矢でここを明け渡すよう脅迫した……ダメ押しにワンロンを暴れさせ、兵の士気を崩壊させる。……正直賭けだった。ここまで上手くいくとは思ってなかったよ。」


「ふん……。」


 ウェザンが横目でちらりとトゥバンを見る。


「……とても武人がやることとは思えんな。」


 トゥバンの顔がピクリと動いた。彼は一言抑えこみ、押し殺したような声で言う。


「……俺は勝つための最善手を打っただけだ。」


「k――……ん。」


 沈黙。ウェザンがワンロンの方を向いた。


「ワンロン殿、他の兵と合流した後はどうするのです?」


「ん?おお。」


 ワンロンはちょっと考えるような顔をしてラフィを撫でる手を止める。


「……南東に進軍するか。あの辺りは穀物が良くとれる。」


「いっそのこと麗京に向かうのは?」


 ガンザンが呟いた。ラフィを撫でている。ウェザンが目玉をひんむき、勢いよくガンザンを見た。


「麗京!? 落とせるわけが――」


「別に麗京を落とすつもりは無いよ。途中途中の町を落としていって、麗京の周りを押さえ、麗京をつつく。そうすれば敵は麗京に戦力を集中しなきゃならなくなるでしょ?したら他の軍が楽になるし、豊かな土地が増えて次回以降の遠征も楽になる。まさに一矢二兎だよ。」


 トゥバンとワンロンが感心の目でガンザンを見た。ウェザンは呆気にとられたようにガンザンを見つめた。ガンザンは相変わらず下を向いてラフィを撫でている。


「ガンザン、凄いな。」


 トゥバンが言うとガンザンはえへへと笑った。ワンロンが顔を引き締めてうんとうなずく。


「じゃあ、南方軍は全軍集結次第ひとまず進路を南東にとり、麗京を目指すこととする。いいか?」


 トゥバンはうなずく。ウェザンはうつむいた。


「……それが良いでしょうな。」


 そう言ってウェザンはくるりと三人に背を向けた。ガンザンが呼び止めようとするのをトゥバンが手で押さえる。


「やめとけ。逆撫でするだけだ。」


 トゥバンの囁き。ガンザンはちらと目を合わせてうなずいた。その様子をうっすら感じながら、ウェザンはぎりりと歯ぎしりをする。


「……蛇共めっ!」


 押し殺した鞭のような声が漏れた。

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