第26話 策謀

 夕方、岩山が伸ばす長い長い影に紛れて、三騎の騎馬がごつごつとした道を上がっていった。列の真ん中、一際大きな馬の背には、頭に袋を被せられ、後ろ手に縛られた大男が横たわり、何やらモゴモゴ言っている。その前を行く騎手は顔をすっぽりと布で覆い、服のあちこちに血を滲ませている。彼が焦ったように振り向いた。


「そろそろ日も暮れる。急ぐぞ!」


 印象が薄い顔の若者がこくりとうなずく。先頭の騎手は顔を戻して速度を上げた。分かれ道に出る。最後尾の騎手を残して分かれ道を曲がり、上り坂から下り坂へ。馬二頭やっとすれ違えるくらいの細い道をぐるりと辿ると、石造のがっしりとした門が現れた。


 門の前で二人の兵士が槍に寄りかかり、何やらペチャクチャ喋っている。近づいて来る馬の足音に気付いたのか、兵士達が覆面の騎手の方をちらりと見た。慌てたように背筋を伸ばし、槍でダスッと地を突く。


「何者だ!何の用だ!」


 覆面の騎手は馬を止め、眉間にシワを寄せて早口に


「私はアルディ。白仙軍の者だ。」


「何!?」


 一人の兵士が目を丸くした。もう一人が覆面の騎手に素早く槍を突きつけ、ぎろりと睨む。彼はちょっとのけぞった。


「白仙軍がここに何の用だ。」


「まあ待て。私はここの主に会いに来たんだ。手土産を持ってな。」


「手土産?」


 覆面が後ろの大男にちらりと目をやった。兵士がそちらに目を向ける。大男がモゴモゴ言う。


「誰だ?」


「セン・ワンロンだ。」


 カラカラァアン


 兵士達の槍が転がった。目を丸くしていた兵士がもっと目を丸くする。


「セン・ワンロンってあの『鬼龍のセン』か?」


「ああそうだ。見てみるか?」


 覆面男がワンロンの頭の袋に手をかけると、兵士はぶるぶると首を振った。


「やだよ。見たら命が抜かれるって言うじゃないか。」


「そうか……。」


 覆面男は笑いそうになるのを必死にこらえた。もう片方の兵士がこほんと咳払いする。


「そういうことなら通そう。開門!」


 少し間を開けて、門がゆっくりと開いた。覆面男は二人の兵士に軽く会釈をして門の中に入っていった。


「待て。」


 彼が振り向く。


「規則で、囚人以外で容貌が分からぬ者は入れられないことになっている。覆面を外せ。」


「ああ悪いな。私は病気持ちで少々顔が……な。」


 覆面男の言葉に兵士二人は目を瞬かせ、槍を下ろす。彼はまた会釈して馬を進めた。一人の兵士がその脇をすり抜け、崖の先の大きな塔に走っていった。覆面男があちこちに素早く目をやりながらのったりのったり馬を進めていると、塔から数人の男達が走り出てきた。


「私がここの主だ。お前がセン・ワンロンを捕まえてきたという者か。」


 真ん中の貧相な男が言う。覆面男はうやうやしくお辞儀した。砦の主がパッと手を振る。数人ワンロンのところに走っていって、顔を見合わせるとそろりそろりと袋を引っ張った。袋がばさりと外れ、ざんばらの前髪の隙間から猛獣のような目が男達を睨んだ。男たちは身震いしてそそくさと袋を被せなおす。砦の主はごそごそと紙を引っ張り出すとうむとうなずいた。


「確かに間違いない。連れていけ!」


 覆面男の馬から伸びていた縄が外され、ワンロンが朝風と共にどこかへ連れていかれた。その周りを固める男達は、ワンロンがちょっと動く度に跳び上がっている。


「さて、ええと――」


「アルディと申します。」


 覆面男が顔を戻し、またうやうやしいお辞儀をする。


「アルディ。ふむ。私はツォウと言う。アルディ殿、歓迎しよう。ついて来てくれ。」


 覆面男はツォウについて馬を進める。


「ツォウ殿、私はこれからどうなるのでしょう。」


「セン・ワンロンは特級手配人だ。これによると……」


 ツォウは手の中の紙を目でたどる。豪壮な兜に囲まれたワンロンの顔がひらひら揺れる。


「……生け捕りに成功した場合、六千万両が支払われる。ま、生涯安泰だ。」


 覆面男がわずかに首を傾げた。


「六千万?」


「どうも、近頃賞金が増額されたらしい。見た限りかなりの化け物のようだが……アルディ殿はどうやって生け捕りに?」


 覆面男を見上げるツォウ。男は人差し指でトントンと頭を叩いた。


「少々の知恵と少しの運。それだけです。」


 ツォウは眉間にシワを寄せて覆面男を見つめた。しばしの沈黙。目線を戻して手配書を懐に突っ込む。


「まあいい。とりあえず、復讐される心配は無いだろう。ここは天下の要害だし、一千人の兵士が守っている。今夜は月を楽しめるだろうよ。」


「は……。」


 覆面の口元がわずかに歪んだ。


 ※ ※ ※


 月光に青く染まった塔。その最上階に笑い声が響く。


「アルディ殿は面白いなあ!」


 顔を真っ赤にしたツォウが机の上に身を乗り出した。杯から酒がこぼれる。


「いえ、それほどでも。」


 覆面男は微妙にイラついたような声を出すが、ツォウはそれに気付く様子もなく、相変わらずゲタゲタ笑っている。覆面男の前にある料理は手をつけられないまますっかり冷めてしまっている。


「アルディ殿!もっと色々話してくれ!今夜は飲み明かそうじゃないか!」


 ツォウはまた上機嫌に笑う。


「いえ、私の下らない話をこれ以上してはツォウ様の耳を汚してしまいます。それよりも――ほら、今夜は月が美しゅうございます。」


 覆面男はツォウの背後、大きな窓を指差す。ツォウは首を捻った。


「む?ほう……確かに奇麗だ……。」


 ツォウが黙って杯を傾け、タンと音を立てて机に置いた。覆面男に向き直る。


「どうだ。この塔の上には天測所がある。そこに行って月を眺めないか。」


 覆面男がピクリと動いた。深く会釈する。


「では、お言葉に甘えて。」


 ツォウはそうかそうかとニコニコ笑うと、覆面男を引き連れて部屋を出、螺旋階段を上り始めた。進むにつれて、ツォウの息が上がっていく。


「なかな……きついな。」


「頑張ってください。月を見たいでしょう?」


 覆面男は軽快に階段を上りながらツォウをせっつく。ツォウはゼイハアと息をしながら階段を上り続ける。やっと天井が見えてきた。ツォウが待ちかねたようにちょっと小走りになって最後の数段を上った。天井の木の板を押し上げる。冷たい外気が流れ込み、ツォウはほっとした顔をした。


「着いたぞ。」


 ツォウが塔の上に体を引っ張り出し、キョロキョロと辺りを見回す。


「あれだ!」


 嬉しそうに叫んで月を指差した。


「いやあ、奇麗だなあ……。」


「……そうですな。おや、あれは?」


 覆面男の声にツォウが笑顔で振り向く。覆面男の指の先には岩山がそびえているばかり。ツォウは訝し気な顔をした。


「どうした?何も見えないぞ?」


「そんなはずはありません。ほら、あれです。あれ。」


 ツォウは覆面男を押しのけ、屋上の周りにめぐらされている柵から身を乗り出した。


「やっぱり何も見えないぞお?」


 その瞬間、覆面の口元が歪んだ。覆面男の腕が蛇のように素早くツォウの首に絡まった。


「がっ?」


 ツォウは目を大きく見開き、覆面男の腕を掴んで引きはがそうとする。が、男の腕はぴくりとも動かず、声も出せないほど強く締め付けてくる。ツォウは勢いよく後ろに引っ張られ、丁度干物にされる魚のような体勢になった。びょうびょうと風が吹く中、覆面男が耳元で荒々しく囁く。


「もし抵抗すれば首を折る。もし抵抗せず、俺の指示に従うなら腕を緩めてやってもいい。どうだ?従うならその手を俺の腕から外せ。」


 ツォウは覆面男の腕からゆっくり手を外した。首にかかっている力がわずかに弱まり、ツォウはひゅうひゅうと息を貪った。


「要求は……何だ。」


 声を絞り出す。笑い声がクックックと耳を揺らした。


「随分聞き分けが良いな。こちらの要求はただ一つ。この砦を明け渡せ。」


「なっ?」


 ツォウの目が泳ぐ。


「簡単なことだ。ここの兵士達に『全員武装を解除して砦から出ていけ』と言うだけでいい。」


「そんなこと出来るわけが――ェッ」


 ミシミシとツォウの首が鳴る。ツォウがじたばたして覆面男の腕を掴んだ。


「死にたいのか?」


 覆面男は更に腕に力を込める。ツォウの手にも力がこもった。彼は陸にあげられた魚のように口をパクパクさせ、なんとかかんとか言葉を絞る。


「オ、マ、エハ……オ、レヲオ……」


「お前は俺を、何だ?」


 覆面男が力を緩める。ツォウはカハカハ咳き込んだ。


「お前は……俺を殺せない。」


「ほう?なぜだ?」


「俺が指示しなきゃ……兵士達は動かない。」


 覆面男の腕がピクリと動いた。


「……なかなか頭が回るじゃないか。だが、人間は何も人の声だけで動くわけじゃない。」


「どう……いう……」


「炎の声を聞いたらどうなるかな?」


 ツォウの目が激しく踊った。


「は、はったりだ!」


「さあてどうかな。」


 覆面男が一瞬ツォウの首から片腕を外し、岩山に向かって大きく振った。すかさず逃げ出そうとしたツォウを覆面男が素早く捕まえ、再び岩山に向き直らせる。その時、岩山と空の境界線に小さな赤い光が現れた。赤い光は一瞬で火矢に姿を変えた。ツォウの耳に熱さと激痛が走る。


「……はったりじゃないのが分かったか?」


 ツォウは浅く短い呼吸を繰り返しながら目まぐるしく目を泳がせる。沈黙、沈黙。


「返事が無いなら次は逆の耳、それから右手……左手……右足といきたいところだが足は残して次は……その元気な目、かな?」


 ツォウの呼吸が更に速くなる。動き回る目に涙が浮かぶ。だが沈黙は続く。微かにパチパチと炎の音が空気を揺らし始めた。


「……しょうがないか。」


 覆面男がツォウを右腕でがっちり固定しながら左手を振り上げた。


「待て!」


 覆面男の動きが止まる。


「……何だ?」


「要求を、のもう。」


「それで良い。」


 覆面男が右腕をパッと放した。ツォウが咳き込みながらよろけ、尻餅を着く。彼はぜえはあ言いながら覆面男をねめつけた。


「じゃあさっさと下に連れてい――なんだそれは。」


 覆面男が硬い円錐形の筒を差し出してきた。ツォウはそれを受け取りながら男の顔を見る。覆面の口元が歪んだ気がした。


「お前を下に行かせる訳無いだろう。それの細い方に口を当ててこう叫べ。『緊急命令、兵士は全員武装を解除し、城外へ退去せよ』一言一句間違えるな。間違えたら……。」


 覆面男はわずかに岩山に首を傾ける。ツォウは悔しげに覆面男を睨むと、立ち上がって手すりから身を乗り出した。後ろにぴったり覆面男がついた。


 寸刻後、砦の一角でワンロンがパチリと目を開けた。何やら辺りが騒がしい。


(動いたか。)


 ワンロンはスウと息を吸うと、グッと体に力を込めた。身体中に巻かれていた縄がいとも簡単に弾け飛ぶ。ワンロンは頭に被せられていた鍋だの釜だの袋だのを払い落とすと、猿ぐつわを咬み千切って立ち上がった。目の前には鉄格子。辺りに人気は無い。ワンロンは鉄格子をひょいと曲げ、堂々と牢屋から出ていった。


「お、お前どうやって!」


 突き出された槍をぼきりと折って外へ出る。大勢の兵士が塔の周りに集まって上を見上げていた。上からは定期的に枯れた叫び声が降ってくる。ざわざわ、ざわざわ。ワンロンは大きく息を吸い、


「Grroh――――!!」


 獣のような大音声。兵士達が一斉にびくりと震えてゆっくりとワンロンの方を見た。


「もうダメだ……おしまいだぁ……。」


 一人の兵士がペタンと尻餅を突いた。ワンロンが一歩足を踏み出す。と、兵士達が一斉に悲鳴をあげ、門に向かって走り出した。


「勝ったな。」


 岩山の上、兵士達がみるみる内に砦から飛び出していくのを眺めながらガンザンが呟いた。

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