第24話 突撃
「主公!」
クドは目を開けた。真昼の光に目を細める。
「なんだ。」
「いったいどうするのです?」
イェンが不安と期待と心配をごちゃ混ぜにしたような顔でクドを見る。
「そうだな……。」
クドはゆっくりと辺りを見回した。そばに広げられた矢文。ヒソヒソと交わされる鋭い言葉達。なんとなくギスギスした空気が漂っている。
「見事な作戦だな……。」
呟くと、クドはおもむろに立ち上がった。
「兵士達よ!」
兵士達が一斉に話を止めてクドを見た。
「私は投降することにした。」
谷底がどよめきに埋められた。歓声と嘆声が飛び交う。クドはニヤリと笑って腰をおろした。イェンが這い寄ってくる。
「しゅ、しゅ、しゅ、しゅ!」
「お前は薬缶か?ちゃんと喋れ。深呼吸しろ。」
イェンはごくりと唾を飲み込むと、思い切り息を吸った。
「主公!どういうおつもりですかっ!」
クドは耳を押さえ、イェンを睨む。
「静かにしろ。耳が割れる。」
「どういうおつもりですか?」
小さな声。クドは笑みを浮かべた。
「当然ただ投降してやるつもりは無い。奴らに一矢報いるつもりだ。」
イェンが目を丸くした。
「で、ですが主公。それは命の危険が――」
「良いんだ。」
クドの笑みが柔らかくなる。
「私がのこのこと帰ってきてみろ。ラクガル家は終わりだ。だが、私が部下を全員無事に帰し、決死の勢いで敵に突っ込み、奮戦したとなればどうだ。ラクガル家は救われるかもしれない。」
「で、ですが……」
「もう詰んでいるんだ。軍の結束を乱され補給は断たれ逃げ道もない。勝てやしない。勝てないのなら最も効率よく負けるしかない。その方法はこれしか無いんだ。」
イェンは悲痛な面持ちでクドを見た。
「お、お供――」
「ダメだ。」
クドの顔が険しくなる。
「イェン。はっきり言ってお前は……足手まといだ。私は三間の崖を三秒で登らないといけない。お前にそれが出来るか?」
沈黙。イェンは肩を落とした。
「幸運を。」
イェンはクドに背を向けようとした。
「待て。お前に手伝って貰いたいことがある。」
イェンがピタリと動きを止めた。ゆっくりとクドの方に振り向く。クドと目が合う。
「イェンにしか出来ないことだ。」
クドが真剣な顔をして言った。
――――――――――――――――――――
「トゥバン。」
「ん?」
トゥバンが藪から体を引っこ抜いて振り向くと、ガンザンが一本の黒ずんだ矢を差し出してきた。
「あげるよ。」
トゥバンは目を丸くしてガンザンの顔を見る。
「なんで?」
「この矢はあいつを三回射抜いた矢だ。生きてる。」
トゥバンは思わず矢とガンザンの顔を二度見した。
「生きてる?いったいどういう……。」
「リバンザは『魔を三回も射抜けば生きるようにもなるだろう』って言ってた。……生きてるかどうかは分からないけど、百発百中なのは確かだ。」
トゥバンはさらに驚いた顔をする。
「そんなもんなんで俺に?」
ガンザンはにっこり笑って見せる。
「僕はどうせ外さないから持っててもしょうがない。トゥバンが持つべきだと思ってさ。」
「へえ……ありがとう。」
トゥバンはおそるおそる矢を受け取った。日の光にかざし、矢をくるくる回す。矢をつがえてみて数回引いた。納得したようにうなずく。
「うん。良い感じだ。ありがとう。」
ガンザンは笑ってうんと言った。トゥバンも笑い返し、矢を矢筒に放り込む。
「さて、食事だ。」
近くの大きな包みを掴み取り、藪の中へとガサガサ戻る。藪から顔を出すと、クドが日焼けの男と何やら話しているところが見えた。それを横目に包みを開ける。湯気があがった。旨そうな匂いがトゥバンの胃袋を刺激する。中から出てきたのは蒸し鶏、チーズ、羊の焼き肉。トゥバンはじゅるりと音を立て、焼き肉にかぶり付こうとした。と、
「トゥバン!」
トゥバンは動きを止め、ゆっくりと谷底に向き直る。クドが真っ直ぐにクドを見ている。
「……なんだ!」
トゥバンが不機嫌そうに叫ぶ。
「我々は投降することにした!」
トゥバンは焼き肉を落としそうになるのをグッと我慢した。
「ならその指示書に従え!」
トゥバンは平静を装って叫んだ。クドがおうと叫び返して指示を飛ばし始める。トゥバンはようやっと焼き肉を頬張った。肉の旨味が口のなかに広がる。トゥバンは幸せな気分で食事をむさぼった。
「できたぞ!」
トゥバンが指についた脂をぺろりと舐めて崖下をちらりと見ると、トゥバン側の崖に鎧の山、反対側に武器の山が出来ていた。トゥバンは眉をひそめた。心なしか、鎧の山が高い。クドも日焼け男もその他の兵士達も、衣一枚になってトゥバンを見上げている。
「……よし。いいだろう。」
トゥバンが手を拭きながら立ち上がり、矢筒から矢一本引き抜いた。谷底がざわりと湧き、緊張が走る。トゥバンは弓を上に向けて引き絞った。
ピイィィイ……
澄んだ笛のような音を立てて矢が飛んでいく。それに遅れて
ズ…ズズ……
クドが見ると、谷を塞ぐ大岩がじわりじわりと上がっていっている。イェンが呆気にとられて口を開く。
「どうやって……」
その答えはすぐに分かった。大岩と地面の隙間に光が入り、人間の足が現れる。大岩が上がるにつれて足から腰へ、腰から腹へと人間の姿が顕になっていった。クドはイヤな予感がして眉をピクリと動かした。
「お久しぶりですな。」
岩と地面を繋ぐ大男がクドに笑いかける。
「……元気そうですね、セン殿。」
ワンロンは目をぱちくりして見せた。
「おかげさまで。」
「二列に並び、男の脇を通って出ていけ!もし変な挙動をした場合、大岩を落とす!」
兵士達はトゥバンの指示に従い、ぞろぞろとワンロンの脇を通って谷底から出ていった。クドはさりげなく最後尾に並び、のろのろと進んでいく。全員が谷底から出て行くには結構な時間がかかった。その間にクドはじりじり壁に寄っていく。イェンが心配そうな顔をちらりとクドに向け、ワンロンの脇を通って出て行き、クドだけが谷底に残された。と、岩の下に入る直前でクドがピタリと立ち止まる。一呼吸をして、ワンロンに薄い笑みを向けた。
「じゃ、また。」
ワンロンの表情が変わる間もなく、クドが地を蹴った。高く積み上がった鎧の山へと飛び上がる。トゥバンの叫び声。キリリと弓の音。クドは全体重を鎧の山に打ち込む。ギイィと山が軋み、クドの体が深く沈んだ。クドは崖の上、弓を引き絞るトゥバンと目を合わせた。
ガアンと音を立て、クドが瞬く間に距離を詰める。彼は矢が掠めるのも気にせず、一気に崖を駆けのぼると、空中に飛び上がった。ガンザンのみぞおちに膝を叩き込み、崖上に降り立つ。
「ッツ……!」
ドサリという音。ズウンという音。クドはゆらりと立ち上がった。血に塗れた顔に狂気じみた笑みを浮かべ、烈火のような眼差しをトゥバンの目に突き刺す。
「r――――――――!!」
絶叫。突進。襲い来る矢をかいくぐり、トゥバンとの距離はもはや無い。クドが叩き込んだ掌底は風だけを残して避けられた。トゥバンがザアッと地を後ろに滑りながら矢を引っこ抜く。クドは舌打ちして地を蹴った。居なくなった体を数本の矢が通過する。新たな矢が放たれるより一瞬早く、クドはトゥバンを蹴り飛ばした。
からんからからあん。
トゥバンが転がり、矢が転がる。トゥバンは顔を拭い、血がべっとり着いた手を矢筒に伸ばす。手が空を切った。クドが一瞬笑みを浮かべてクドに飛び掛かる。時が粘つく。音がこもる。
トゥバンの目が忙しく動く。黒ずんだ矢に手が伸びる。トゥバンは横に転がりながら矢をつがえ、ブレる手で必死に弓を引き絞った。キ、リ、リ、リ。黒ずんだ矢がゆっくりとクドに飛んでいく。クドは不安定な体勢のまま体をよじった。矢がクドの肩口を掠める。
時が戻った。クドが尻餅をつく音が響く。クドは目を瞬いて笑みを浮かべた。地に手を着く。
「残念だったなこれで――ッ!?」
ドスッという濡れた音。クドの顔が苦痛に歪み、自分の肩を睨みつける。そこには黒ずんだ矢がしっかりと突き刺さっていた。トゥバンが呆気にとられた顔でそれを見る。クドが矢に手を伸ばしかけた。と、
「アッ――ガァ!」
突然クドが体を折り曲げ、肩を押さえた。鬼気迫る顔でトゥバンを睨む。パタタと汗が滴った。トゥバンは腰が抜けたように動けない。
「貴様ァ……いったい何を――グゥッ!」
クドの顔が苦悶に歪み、手が矢を掴む。矢の刺さっているところから血管が紫色に浮き出てきている。クドはわななきわななき矢から手を放すと衣を引き裂き、腕をきつく縛った。帯を丸め、口に突っ込む。トゥバンはこれから何が起こるのかを悟り、顔を背けた。
「n――――――!!!」
おぞましいブチブチという音がして、血が辺りに飛び散った。トゥバンが恐る恐る顔を戻すと、クドが真っ黒い液体が滴る矢を投げ捨て、口から帯を吐き出した。彼はぺしゃんこになった帯を傷口に巻くと、トゥバンを睨み、一歩踏み出そうとして顔を歪めた。
「覚えて……いろ。」
憎々しげに吐き捨て、トゥバンが見守る中、彼は森の中によろよろと消えていった。
―――――――――――――――――――――
クドはぼうっとした頭で森の中を歩き続けていた。右腕を内側から食われるような痛みはまだぼんやりと続いている。もうどれだけ歩いたかも、歩き出す前に何があったのかも覚えていない。右腕はもう動かない。クドは、小川を見つけて立ち止まった。熱に浮かされた幽鬼のような顔が水面に映る。
「……どい……な。」
クドはフフッと笑って水面で揺れる自分を見つめる。と、水面の顔がぐにゃりと歪んだ。自分の顔から、見知らぬ猿のような老人の顔に変わっていく。
クドは地面にくずおれた。
※ ※ ※
クドが目を開けると、目の前に猿のような老人が立っていた。
(体が軽い……?)
クドはゆっくりと上半身を起こす。老人と目が合った。
「やれやれ。ようやっと起きたか。」
「は……。おかげさまで。」
クドは訝しげな顔をする。
「時に、貴方様は……?」
老人は尊大な顔になった。
「朕は、炎帝国第十六代皇帝、真炎帝なるぞ。」
「んなっ……!」
一瞬でクドの頭が冴え、最適解を導き出す。クドはがばりと起き上がると、ウォーの足元に跪いた。地面に当たった右腕が目に入り、思わず吐きそうになるのをこらえる。
「そうとは知らずにこのようなご無礼!お許しをっ……!」
ウォーは満足気な笑みを浮かべた。
「よいよい、そんなものは。そなたの活躍は見事であった。心配せずともラクガルを潰したりはしない。」
クドは思わずウォーの顔を見、再び顔を伏せた。
「ありがたき……幸せっ。」
「その代わりに朕の腕となれ。」
沈黙。
「……今、なんと?」
「嫌か。なればラクガルは――」
「御意のままにっ!」
クドが叫ぶとウォーは表情を崩した。
「ならば良い。血筋も実力も申し分ない者はなかなか居なくてのう。難儀しておったのだ。……しかしその腕は見苦しいの。」
「……は。」
クドはちらりと自分の右腕を見て後悔した。ウォーが腰を屈め、クドの肩に手を置く。
「どれ。」
ウォーは何やら呪文らしきものを唱え、手をクドの腕に滑らせていく。それにつれて、銀色の光が腕を象っていく。数秒後には、クドの腕がすっかり元通りになっていた。クドは右腕を握ったり開いたりしてみた。ちゃんと感覚がある。クドはウォーの顔を見る。ウォーの笑顔ははちきれんばかりだ。
「ありがたき幸せっ!」
「よいよい。これからしっかりと朕に尽くせ。」
ウォーは笑顔のままクドの耳に口を近付ける。
「活躍次第では、ラクガル家を『九家』に加えてやっても良い……一家、潰れてしまったのでな。励めよ。」
「……は。」
クドは、潰したのはお前だろうという言葉を飲み込んで、頭を下げた。
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