第22話 奇襲
翌朝、綺麗に片付いた野営地を眺め、クドは号令をかけた。軍勢が一斉に動き出す。イェンがクドのそばに馬を寄せた。
「……主公、おかしくありませんか。」
「ああ。夜襲も奇襲も来なかった。」
「嫌な予感がします。」
「……私もだ。」
クドはため息を吐いて首を捻った。後方の兵士達は相変わらずペチャクチャペチャクチャ喋っている。緊張感の欠片もない。と、ユーハの姿が目に入った。ロバに乗り、比較的静かな部隊の先頭に立っている。ユーハがクドに気づいてにかっと笑った。クドはわずかに顔を緩めて前を向く。道は狭まるのと広くなるのを繰り返し、軍勢を奥へ奥へと連れていく。そして空が淡い赤色に染まり始めたころ、軍勢は一際狭い道を通り抜け、切り立った崖に囲まれた広い広い空き地に出た。空き地の中程まで進んで、クドが馬を止める。
「これは……。」
視線の先には、谷から分岐する七本の細い谷。クドにはその谷達がこっちへ来いと誘っているように見えた。クドは馬を回す。
「総員!警戒して進むように!」
そして真っ直ぐに正面の谷に進みだした。一足、また一足とゆっくり慎重に馬を進め、あと十間ほどでで谷に入るというその瞬間――
ゥォオオオオオ
雄叫びがあがり、谷の中から一斉に大量の射手が躍り出てきた。弓を構え、一瞬で戦列が出来上がる。
「散れ!」
大音声。バッとクドの部隊が散らばる。一瞬遅れて、数多の矢が降ってきた。ひゅうんと乾いた音。ドスっと濡れた音。各所から悲鳴があがる。混乱した後方の兵士達が我先にと狭い入り口に殺到し、まだ情報が伝わっていない兵士達と押し合い圧し合い大騒ぎ。それを狙って大量の矢が射ち込まれる。また大勢の悲鳴があがる。
クドは崖に張り付きながら舌打ちした。今のところクドの部隊には被害は出ていない。と、矢の雨が止んだ。射手たちが谷の中に後退しようとしている。
「……よし。槍持ち!」
クドは、まだあどけない少年が愛槍を差し出してくるのをもぎ取る。
「私が奴らに切り込む。三拍置いてあとに続け。」
壁に張り付いた兵士達がこくりとうなずいた。クドは馬に拍車をかけた。
「らあああ!」
雄叫びをあげながら射手達に突っ込んでいく。射手達が慌てて弓を構えるが、矢が無くては意味がない。クドがぶうんと槍を振り、射手が数人吹っ飛んだ。
「しゃあらあ!」
次から次へと射手を吹っ飛ばしていく。一息ついて辺りを見回した。横たわり呻く射手達の群れ。谷の中から次から次へと射手が湧き出て、無事な射手達とともに矢をつがえようとしている。
「ああああ!」
雄叫びをあげ、槍を振り上げた。その瞬間、何かが崖の上から飛んだ。
(人?)
そう思った刹那、鏃のきらめきがクドの目を射た。クドは時間が飴のように固まるのを感じた。信じられないほどゆっくりと近付いてくる矢。クドは左手をゆっくりと動かし、自分の目の前に持ってくる。矢が目に迫り、手が矢に迫る。ジィインと金属が擦れるような音と共に、鏃と籠手が火花を散らした。矢が逸れる。時間が元に戻り、クドはひょうんという音と熱い痛みを耳に感じた。一瞬浅黒い顔の射手と目が合う。火花が散った。クドは、浅黒い射手が微かに笑ったような気がした。どこか見覚えのある笑顔だった。彼は直ぐに視界から外れ、喧騒に混ざってタスっと着地の音が聞こえた。
「主公!」
クドははっと我に返り、飛んできた矢を槍で弾き飛ばした。
「味気ない矢だ……。」
「は?」
首を捻るとイェンの訝しげな顔。クドは顔をあげた。クドの部隊が射手達に襲いかかっている。後ろから雄叫びが聞こえて、他の兵士達も突っ込んできた。
「……何でもない。いくぞ。」
クドは再び雄叫びをあげ、馬に拍車をかけた。
「三段に移行する!素早く動け!」
敵の良く通る声。見ると、あの浅黒い射手。射手達が波の引けるように八つの谷に入っていった。兵士達がそれを追おうとする。クドの眉がぴくりと動く。
「敵にはまだ策がある!深追いするな!」
クドが叫ぶと、兵士達が残念そうに速度を緩めた。赤茶色の兵士達がクドのそばに集まってくる。イェンが口を開く。
「これで――」
「追え!天意は我らにあり!敵を撃滅せよ!」
クドはバッと振り返った。ウォーが輝くような笑顔をして、クドが持っていたよりもっとギラギラした采配を前に向けて振っている。立ち止まっていた兵士達が雄叫びをあげ、分岐の方に押し寄せてきた。
「あんのバカ野郎!」
クドは悪態をついて馬を回す。
「ダメだ!追うな!追うな!」
「「「追え!追え!追え!追え!」」」
クドの声は兵士達の大合唱にかき消され、兵士の波が八つの谷に吸い込まれていく。赤茶色の部隊は激流に揉まれる岩のようにじわりじわりと押し流されていく。
「ちくしょうっ!」
クドが枯れた声で叫んで槍を地面に突き立てた。槍持ちの少年が恐る恐る槍を回収する。クドは必死に目を動かした。灰色が目に入る。
「クー殿!クー殿!」
ユーハがクドに気付いて必死にロバを回した。
「なんだあ!」
「追ってはなりません!部隊をこちらに!」
クーはこくりとうなずいて
「おめえら!止まるんだ!敵が罠あ仕掛けとんっちゃ!」
一喝した。ユーハの部隊がいくらか立ち止まる。そしてユーハがクドの方に向かおうとした時、
ドッォオオン
轟音が響いた。クドがハッと後ろを見る。立ち込める砂ぼこりの向こうに、空き地への入り口が巨大な岩に封じられているのが見えた。と、
ズゥウンン
また一つ轟音。見ると、谷の内一本が岩に封じられていた。再び轟音。また轟音。兵士達が異変に気付き、右往左往しだす。空いている谷はついに正面の一本だけになった。逃げ場を求めて大勢の兵士達がそこに殺到した。
「くっ!我等も行くぞ!」
クドが馬に拍車をかけた。
ズゥウン
血がクドの顔に飛び散る。クドの目前に大きな岩が立ちはだかっていた。
「くそっ!」
クドは馬を返す。
「まずいですな。」
イェンが絶望をうっすらと乗せた口調で言う。ユーハも不安げな顔。
「敵あいってえ何とするつもりなんかね?」
「知らん!」
クドはイライラと馬を下り、どっかとあぐらをかいた。
「ただ一つ分かるのは、八方塞がりになったということだ。……いや、九方塞がりか。」
乾いた笑い声。クドは腕を組んでイェンを見上げた。
「おそらく敵は来ない。休んで大丈夫だ。」
イェンが一瞬訝しげな顔をする。
「しかし……確かにそうですね。おい!警戒解除!休み!」
イェンが叫ぶ。赤茶色の兵士達は素直にそれに従った。
「ラクガル殿、いってえ何してるんです?」
クドは混乱した顔のユーハに向かって片目を閉じて見せた。声無く口を動かす。ユーハが目をパチパチさせた。顔をあげ、大声を出す。
「休憩!休憩!」
彼の兵士達がざわめいた。ユーハはロバから下り、クドの近くに寝転がった。
「気い張ってたって意味無いでや!休憩!休憩!」
兵士達はためらいながらも兜を脱ぎ、座り込む。まもなく、空き地にざわめきが満ちた。ユーハが何気なく体を起こし、クドの顔に近付く。
「数は?」
「二千五百くれえかな。」
「……早いな。」
「ずっと野菜を数えてたもんで。」
ユーハとクドが笑い交わす。
「そちらの兵に、警戒を途切らさないようにとこっそり伝えてくれ。」
「分かった。」
ユーハはまた寝転がると、近くに居た兵士をちょいちょいと手招きした。兵士が近付いてくる。
「警戒を途切らさんようにと伝言を回してくれ。小声でな。」
兵士はうなずいて仲間の元に戻っていった。間もなく、ユーハの兵士達の間をさざめきが通り抜けていった。クドはにやりと笑うと目を閉じた。
「……見え見えだな。」
崖の上、森に隠れて空き地のようすを眺めながらトゥバンが呟いた。隣でガンザンが曖昧にうなずく。
「敵は干殺しにされるなんて思ってないだろうね。」
「ああ。奴ら、完全に奇襲を待ち構えてる。ま、妥当な判断だろうよ。日も落ちる。」
トゥバンは兵士達の中心で目を閉じている男に目を向けた。微かに笑っているような気がする。
「……あいつは強敵だな。」
トゥバンが呟く。ガンザンもうなずいた。
「あいつが居なけりゃ完全勝利だった。」
その時、ガサリと音がして、二人の後ろの藪が動いた。二人がパッと振り向く。藪から出てきたのはワンロンだった。彼は額の汗を拭う。
「谷を塞ぐ作業は作戦通り済みました。」
「よし。」
トゥバンはうなずいて藪の中へと這いずっていこうとした。と、
「お?あれはラクガルの若殿ですかな?」
ワンロンの声。トゥバンはワンロンを見上げる。
「知ってるのか?」
ワンロンは笑みを浮かべた。
「ええ。彼はクド・ラクガルと言いまして、私の四つ下なのです。新年参賀の折などに良く会いましてな。弟のようなものでした。」
「へえ……」
トゥバンはクドに目を戻す。一瞬、クドの目が光ったように見えた。
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