第21話 野営地

 谷に入ってから二刻ほど。森は赤く染まり、行軍の疲れからか、あれほど騒がしかった兵士達が黙りこくって歩いている。と、いきなり道が開け、大きな空き地が現れた。クドは馬を止めた。クドの部隊が一斉に止まる。


「全体!止まれ!」


 クドの掛け声で、後方部隊もバラバラと足を止めた。


「もう日も落ちる!今夜はここで野営とする!」


 疲れた歓声があがり、兵士達が我先にと野営の準備を始める。近くの枝を拾い、食糧を荷馬から下ろす。日が沈むのと入れ替わるように、焚き火に照らされた明るい野営地が出来上がった。あちらこちらで話し声が聞こえ、料理の良い匂いが漂う。


「まったく……こういうことだけは仕事が早い。」


 冷たい干し肉を囓りながらクドが忌々しげに呟いた。クドの部隊だけは焚き火が小さく、保存食を囓っている。


「あれでは夜襲の良い的ですな。」


「うむ。」


 クドは残った干し肉を口に放り込むと、手を払って立ち上がった。イェンが主君を見上げる。


「主公、どちらへ?」


「偉大なる大将軍様のところだ。」


 皮肉たっぷりに言うとテントの群れをすり抜けていった。しばらく歩くと大きなテントが見えてきた。あちらこちらに金銀の刺繍が施されている。は無数の焚き火の群れと、回りに置かれた大量のかがり火に煌々と照らされて、我こそが無駄の象徴であると誇るかのようにキラキラ輝いている。クドは目を細め、眉をひくつかせながらテントの入り口に向かった。


「おう、ちょっと待った。」


 テントの重い布を掻き分けようとしていると、後ろから荒々しい声をかけられた。


「……なんだ。」


 クドが振り向くと、傷だらけの男二人がにやにや笑いながらクドを見ていた。古びた鎧にまじない札やら御守りやらをごちゃごちゃとくっつけている。


「ここは大将軍様のテントだ。お前みてえな雑兵が来るとこじゃねえ。帰った帰った!」


 クドは男達を軽く睨み付けた。


「貴様ら誰に向かって口をきいてる。」


 男達の顔から笑みが消え、一瞬間を開けて下品な笑い声が響いた。


「誰に向かって?てめえ何言ってやがんだあ?」


 二人がニヤニヤとクドに詰め寄る。男の片っ方が驚いたような顔をした。


「兄ちゃん綺麗な顔してんなあ。」


 もう片っ方も感心したような顔をする。


「あれ、ほんとだ。どうだい兄ちゃん。俺たちと遊ばな――ぐっ!」


 男の目が見開かれる。喉から変な音が漏れた。クドはギリギリと手に力を込める。ミシミシと男の首が鳴る。


「てめえ!何しやがんだ!」


 男の相方が剣を抜き、斬りかかろうとするのをクドは殺気を込めて睨んだ。相方の顔が恐怖に染まり、剣が地面に転がる。


「貴様らはいつも眠り呆けていたから覚えていないだろうがな、私は副将軍だ。真面目にやれ阿呆。」


 パッとクドが手を離すと、男はその場にくずおれた。泡を吹いている。相方が男に駆け寄るのを横目に、クドはそこらの草で手を拭くと、テントの布を掻き分けて中に入った。バカみたいに明るいテントの中では、数人の武将が酒宴を催していた。


「おお、ラクガル殿。どうされました。」


 テントの中央、大きな机の向こう側に座るおっとりした顔の男が声をかける。クドは跪く。


「此度は、大将軍様に申し上げたき儀があって参りました。」


 おっとりした顔が困ったように歪んだ。


「ラクガル殿、顔を上げて下され。そのようにされると恥ずかしくてなりません。」


「……では。」


 クドは立ち上がり、ウォー・シンと目を合わせる。おもむろに口を開いた。


「大将軍様、明かりを控えめにできませぬか。このままではここが夜襲の的になってしまいます。」


「夜襲?」


 不思議そうにウォーが呟く。クドは苛立ちを必死に抑え、押し殺した声で言う。


「夜襲とは、夜陰に乗じて敵軍を奇襲する戦法です。こんなに煌々と火を焚いているのは、敵に自分はここにいるぞと叫んでいると同じてす。」


 と、ウォーが突然大声で笑いだした。回りの武将がびくりとする。


「我々は十万以上の軍勢ですよ!?うって出てくるはずがない!仮に夜襲をかけられたとしてもたいした被害は出ないでしょう?」


 アッハッハと笑い声が続く。クドの眉がひくひく動いた。


「普通の十万の軍勢なら確かにそうでしょう。しかし、我らの軍勢はお世辞にも普通とは言えません。第一――」


「まあまあ、そんな不吉なことを言いなさるな。天意は我らにあります。負けるはずがない。」


 ウォーがニコニコしながら手を振った。クドはウォーに殴りかかりたくなる気持ちを辛うじて押さえつけ、声を絞り出した。


「戦は天がするものではありません。人がするものです。……では失礼。」


 クドはくるりとウォーに背を向け、テントから出ていった。自分の営地へ足早に歩いていく。彼は一週間前の軍議を思い出した。あの時もウォーは「天意」だと主張してクドの大反対を押し切り、十万の大軍を谷に突っ込むという自殺行為としか思えない決定を曲げなかった。クドはイライラと舌打ちした。


「ラクガル殿……ラクガル殿……」


 クドが立ち止まって振り返ると、貧相な鎧を着た男がゼイゼイ息を切らしていた。膝に手を着き、うつむいている。


「ああやっと気付かれた。」


 男が顔を上げた。日焼けした肌に真っ白い歯が映える。ウォーのテントに居た将だった。


「いやあ、お上の連中には困ったもんじゃいなあ。」


 クドの口がほとんど反射的に動いた。


「その通りだ!奴ら戦がどういうものか全くもって分かってない!なんだ『天意は我らにある』って!天意が戦ってくれるとでもいうのか?」


「ちょ、ちょ、ちょ、声が大きいでや。」


 ハッとしてクドが辺りを見回す。幸い、辺りに人は居なかった。


「すまない、取り乱してしまって。」


 クドが言うと、男はにかりと笑った。


「おらあクー・ユーハ。あんたとあ仲良くなれそうだ。」


 クドは口をほころばせた。


「私はクド・ラクガル。こちらこそよろしく。」


 二人はお辞儀し合う。


「でよ、あいつらといったら……」


「そう、そうなんだよ!」


 夜は更けていった。


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