第17話 炎

 薄暗い部屋に声が響く。


「いい加減情報を吐け。喋れないわけじゃないだろう。」


 答えはない。聞こえるのはゼイゼイ荒い息だけ。ため息。パチンと指を鳴らす音。部屋の中央にある檻を真っ白な光の矢が貫いた。絶叫が部屋を満たす。網に捕らわれ、縄を打たれた少年が檻の中でのたうち回っている。再び指が鳴る。光の矢。絶叫。何度も何度も指が鳴らされる。何度も何度も絶叫があがる。数分後、少年は檻の床にぐったりと転がっていた。かすかにピクピク震えている。ギィ、と音を立ててリバンザが椅子に寄りかかった。


「話す気になったか?」


 疲れた声が響く。


「こんないたいけな子に……良くこんなひどいことできるね……」


 か細い声が返ってきた。パチンと音がしてまた悲鳴があがった。


「その口をもっとうまく使ったらどうだ?」


 今度は答えはない。リバンザは深いため息をついてゆっくりと椅子から立ち上がった。檻に背を向け扉を押す。部屋に明るい光が射し込んだ。


「……次来たときには口の動かし方を学んでおくんだな。」


 バタンと扉が閉まる。少年がぱちりと目を開いた。



「どうでしたか?」


 扉の外にはワンロンが立っていた。


「ダメだ。話す気配もない。」


 リバンザは閉じた扉に寄りかかり、ふううと大きく息を吐いた。そのままずるずると下がっていき、ペタンと石の床にうずくまる。


「大丈夫ですか?」


 ワンロンが心配そうな顔をする。リバンザはうるさそうに手を振った。


「大丈夫だ。私の心配なんてするな。ワンロンはきちっと自分の仕事だけをしてくれれば良い。」


 ワンロンは微笑んだ。


「……たまには人に頼っても良いんですよ?」


「……ん。」


 リバンザはうずくまったままうなずいた。すっくり立ち上がると、廊下の先へと去っていく。


「どちらへ?」


「下。」


 ※ ※ ※


「憩いの家ども」の広間では、昼飯を終えたトゥバンとガンザンが弓矢の手入れをしていた。


「そろそろ矢がなくなってきたなあ。」


 ガンザンが鏃を磨きながら呟いた。


「ん?ああ。」


 弦を張り替えながらトゥバンが自分の矢筒をちらりと見る。


「矢ってどこにあるんだろうな。」


 ガンザンは首を捻った。


「さあ?青髭に聞けば知ってるんじゃない?」


「俺あ分からん。」


 トゥバンが顔を上げるといつの間にやら青髭が廊下の入り口に立っている。ガンザンは顔をあげない。


「じゃあ誰なら?……くそ……この汚れが……」


「さあ……?ワンロンなら知ってんじゃねえの?ノグノラに居ると思う。」


「ありがと。」


 ガンザンはいまいましげに鏃を睨むと矢を矢筒に放り込んだ。弓矢を持って外に出ていく。トゥバンもそれを追っかけた。ぐるりと盆地の縁をまわると、真っ白い壁の前で誰かがリバンザと話しているのが見えた。日に焼けた汗だくの体に土で汚れた服を着て、古びたサンダルを履いている。


「誰だろ」


「さあ?」


 トゥバンは首をかしげる。日焼けの男が懐から白い紙を取り出し、リバンザに手渡した。リバンザは紙を開いてすっとフードの頭を動かすと、紙を畳んで袖にしまう。顔をあげて男と握手し、二人の方を見る。二人が来るまで待って男の方を向く。


「ウェザン、紹介しよう。トゥバン・トンクルとガンザン・トンクル、新しい仲間だ。」


 ウェザンは二人をじろじろなめ回すように見ると、口をへの字にひんまげて軽く会釈した。リバンザは再び二人の方を向く。


「そしてトゥバン、ガンザン、彼はウェザン。白仙軍の伝令だ。」


「よろし――」


「姫、今度は草原の民とそれのもどきですか。飽きませんなあ。」


 二人は意表を突かれて固まる。ウェザンはやれやれと首を振った。


「全くいい加減にどこの馬の骨とも分からん奴を雇うのは――」


「黙れ。」


 氷のように冷たい声。ウェザンはびくりとして押し黙った。リバンザは二人に向き直る。


「で、何か用か?」


「あ、ああ。ちょっと矢が足りなくなってきて……」


「付いてこい。」


 リバンザは門の中へ消える。トゥバンは口を閉じ、ちょっとびっくりした顔で中に入っていった。ガンザンもちらりとウェザンに目をやり、隙間に滑り込んだ。ウェザンがいまいましげにそれを見送る。リバンザは足早に階段に向かう。


(怒ってんのかな……?)


 トゥバンが囁くとガンザンは肩をすくめた。二人は階段を上り始めた。と思ったらリバンザが最初の踊り場で立ち止まり、くるりと振り向いた。


「すまなかった。」


 突然頭を下げられて、二人はへどもどした。


「初対面であのような非礼……まことに申し訳ない。だが、彼は私のことを心配してあのようなことを言ったのだ。どうか許してやって欲しい。」


 ガンザンが手をつきだしてふるふる振った。


「い、いいよいいよ。そんな……リバンザが謝ることじゃないし……」


「部下の失態は私の失態だ。」


 リバンザは頑なに頭を下げ続ける。


「そんなに気にしてないから大丈夫だ。顔をあげてくれ。」


「そうか、なら良かった。」


 リバンザは体を起こした。くるりと二人に背を向け、再び階段を上り始める。しばらく続いた静寂をリバンザが破った。


「ウェザンはゴルテ家とり潰しの時から私に仕えてくれていてな。少々頭が固いのだ。これからも非礼があるかもしれないが、その時は老人の世迷い言だと思って聞き流して欲しい。」


 二人は口を揃えて「分かった。」と言う。リバンザは笑みを浮かべた。


 四つ目の踊り場で廊下を折れると、


「やあどうされました?」


 ワンロンが一枚の扉の前で仁王立ちしている。


「彼らが矢を補充したいそうでな。」


 リバンザが二人に目をやる。


「六番庫の鍵を貸して欲しい。」


 ワンロンは眉をあげた。


「鍵?ですがあなたは……ああなるほど。」


 ワンロンは納得したような顔をして、腰の巾着から鍵束を取り出す。


「分かりました。」


 リバンザは鍵束を受け取る。


「ありがとう。」


「いえいえそん――」


 ゴガアァン……ァン


 全員がワンロンの背後の扉を見た。一瞬で空気が張り詰める。ワンロンが大刀を腰から外す。


 ガァン……ギィンゴォン


 ワンロンがリバンザに視線を送った。リバンザがうなずく。ワンロンが扉の脇、階段側に張り付いて大刀をゆっくり振りかざした。リバンザが反対側に張り付き、トゥバンとガンザンに壁に張り付くよう合図した。ガンザンがゆっくり矢をつがえる。扉のなかでは激しい金属音が続いている。


 バギィンッ


 一際大きな音。そして比較的小さなガランガランという音。場の緊張は最高潮。


 そして――


 ッバァン!


 少年が扉から飛び出してきた――と思ったら大刀が少年を轟音と共に部屋の中に叩きつけた。獣のような悲鳴があがる。ワンロンが部屋の中に飛び込んでいく。リバンザが扉をバタンと閉め、手をかざして軽く捻った。扉がカチリと小さく鳴った。中からはドタンバタンとくぐもった音が聞こえてくる。リバンザは何が何やら分からないといった顔の二人に顔を向けた。額をぬぐう。


「これで多分大じ――」


 扉が吹っ飛び、リバンザは壁に叩きつけられる。少年がキョロキョロ辺りを見回した末、無防備なトゥバンをギロリと睨んだ。


「危ないっ!」


 ワンロンの叫び声。体に矢が刺さるのもお構いなしに、少年が一瞬でトゥバンの目前にまで迫る。その拳が歪に膨れ上がり、巨大な鉤爪になってトゥバンの体を切り裂こうとしたその時ーートゥバンの首飾りが紅く輝き、鉤爪の先が真っ赤に赤熱した。少年が不思議そうな顔でそれを見やる。一瞬後、少年の鉤爪が爆発した。


「アッ――ガァアアアア!!」


 絶叫。少年の欠片が一面に飛び散る。その真ん中で、少年が炎に包まれてのたうち回っていた。トゥバンは生暖かい液体に体を浸されながら、呆然とした顔でそれを眺めた。


「これはいったい……」


 ワンロンが唸る。


「炎の力……帝器の……証……」


 弱々しい、けれど芯に狂気じみたものをはらんだ熱い声。ワンロンが振り向くと、リバンザがふらふらと立っていた。その頬を真っ赤な血が伝う。


「これで、これで、これで……」


 リバンザがふらりと一歩少年の方に踏み出した。血が床に滴る。ワンロンがリバンザに駆け寄ろうとした。


「リバンザ殿、いったい――」


 ワンロンの言葉は少年の絶叫にかき消された。少年が全身を燻らせながら階段の方へと突進する。


「逃すかあッ!」


 リバンザが叫んで右手を勢い良く少年の方に伸ばした。弾みでフードが外れ、顔を半分血で染めた顔が露になる。リバンザの目が強く輝いた。空気が固まり、その指一本一本から凄まじい勢いで白い光が発せられ、蛇のようにのたくって少年を包み込もうとしたその時、


 ゴボリ


 リバンザの口から音を立てて血が溢れた。トゥバンもガンザンも呼吸が止まる。時が粘つく。リバンザの目から光が消え、青白い目が茶色い目に変わる。白い光が悲鳴のような音をあげて砕け散る。リバンザが自分の身に何が起こったのか分からないかのように、自分の口から滴るものを見た。


「……ぇ?」


 微かに声をあげ、リバンザがゆっくりと前に倒れていく。


 ドサッ


 ワンロンがそれを受け止めた。リバンザの頭がカクンと垂れる。


「追って!」


 ワンロンが、呆然としてリバンザを凝視する二人に叫ぶ。ちょうど少年が階段の下に消えていく。二人は慌てて矢をつがえながらそれを追った。


 異臭を放ち煙を放つ少年を追い階段を駆け下り駆け下りて、二人は門前の大広間に出た。二人は矢継ぎ早に矢を放つ。ことごとくかわされてカランコロンと転がった。トゥバンが矢を取ろうと矢筒に手をやると、既に矢筒は空っぽになっていた。


「くそっ……矢が……」


 ガンザンに目をやると、ガンザンは首を振った。


「こっちもな――いてっ」


 ガンザンが頭を押さえてしゃがみこむ。最初に少年に放った矢が落ちていた。


「あった!」


 ガンザンは歓喜の声をあげ、目にも止まらぬ速さで矢をつがえると、


「当たれえぇ!」


 弦がヒュンと鳴り、矢は吸い込まれるように少年のもとに飛んでいった。少年が絶叫をあげて倒れ伏す。弱々しい声で鳴きながらずるり、ずるりと這いずっていく。


「やめろぉ……やめてくれぇ……近づくなぁ……やめろぉ」


「おい」


 少年が顔を上げると、いつの間にかトゥバンが目の前にしゃがみこんでいた。その後ろにはガンザンも立っている。


「い、いやだぁ、やめろやめろやめろぉ……」


 少年が目を見開き、首をふるふる振って後ずさろうとする。だが、腹から生える汚れた鏃がそれを許してくれない。少年の目が激しく踊った。


「じょ、情報を言えば良いんだろ情報を!」


「情報?」


 トゥバンが眉にシワを寄せる。


「そ、そうだ情報だ!闘武月二十日に白仙軍征伐軍がシャーハンドゥ近郊に集結する!ほら、情報を言ったぞ!だから頼むから頼むから許してくれよ、逃がしてくれよぉ!」


 少年がトゥバンの足にしがみついた。トゥバンの首飾りが再び紅く輝く。少年ははっとした顔をした。少年の腕を赤色が駆け上っていく。


「しまっ――」


 た、と言い切る前に少年は灰の塊になっていた。トゥバンが足を動かすとぼろりと崩れ、床に灰の山ができる。


「トゥバン、それっていったい……」


 トゥバンは首飾りを外し、しげしげと眺める。黒い楕円が、微かに紅く光った。


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