第16話 階段下
半刻後、リバンザが石の扉を開けて広間に入ってきた。白ではなく、黒のローブを着ている。彼女は広間に集まった人間をぐるりと見回した。
「ベマ、ワンロン、青髭、トゥバン、ガンザン、そして……」
リバンザの目が子狼に止まる。ちょっと困ったように手を握ったり開いたりした。子狼はそんな彼女を無邪気に見つめている。ちょっとした沈黙のあと、リバンザは口を開いた。
「そして、客人(ラフィ)。今から私たちは階段下に向かう。覚悟はいいな?」
おー、と黒い革の服を着たベマが力なく声をあげた。他の皆も声をあげる。六人は青髭を先頭に廊下を進みだした。それを一匹がテンテコ走って追い抜いた。扉の残骸をまたぎ、扉を次々通りすぎて一行が階段に近づくにつれ、空気がだんだんとよどんでいった。
ガツンッ
「あ痛っ。」
ワンロンは頭を押さえ、身を屈めた。ベマがにへらと笑う。
「ワンロおン、相変わらずだなあ。頭の上にも目えつけた方が良いんでねえの?」
「相変わらずおかしなことを言うな。そんなことできるわけないだろう。」
会話はそれっきりで終わった。トゥバンがちらりと見てみると、二人ともなぜかニコニコしている。訳が分からない、とトゥバンは首を振った。
「着きました。」
青髭が言う。一行は全員立ち止まって階段のまわりに寄る。階段の下から生暖かい風が吹き上げてきた。トゥバンはぶるりと身震いした。
「……行こうか。」
リバンザがパチンと指を鳴らす。リバンザの顔の前に光の球が現れた。薄暗かった階段が明るく光を反射する。一行はリバンザを先頭にゆっくりと狭い螺旋階段を降りていった。
階段を下りきると、むわっとした空気が一行を包んだ。かすかにものが腐ったような臭いもする。一行の目の前には、階段の上と同じような長い長い廊下があった。ただ、こちらには色とりどりの扉はないし、ろうそくの火も踊っていない。さらに言えば得体の知れない破片やら染みやらが床に散らばっている。
「ベマが最後尾につく。その前にトゥバンとガンザン。その前にワンロンと青髭。先頭にラフィ。中央が私。それで良いな?」
リバンザが指示を飛ばし、六角形の陣形が出来上がった。青髭が背中から手斧を取り、ワンロンは大刀を右手に持つ。ベマが服の中から短剣を取り出す。トゥバンとガンザンはそれを見て矢をつがえた。
「よし、行こうか。」
リバンザの声でラフィが立ち上がる。六角形はゆっくり動き出した。その上を光の球がふよふよとついていく。その光が、廊下の壁にぽっかり空いた四角い暗闇を浮かび上がらせていく。暗闇が今にも襲いかかってきそうな気がして、ガンザンはぶるりと震えた。と、
「右から三匹左から二匹。」
リバンザの良く通る声がした。ガンザンが慌てて左に弓を向ける。暗闇から何かが飛び出してきた。テラテラ光る丸っこい体に何本もある足をうぞうぞ動かし、頭の先の小さなハサミのようなものをカチカチ噛み合わせている。
「うわぁあ!」
ガンザンは悲鳴を上げて矢を放った。それがぼとりと床に転がる。ガンザンの手のひらほどもあるそれは、体の真ん中を貫かれてもまだ足をじたばたさせている。ガンザンは悲鳴を上げてそれを蹴っ飛ばした。それが闇のなかに消えていく。
「なな何だこれ!」
ワンロンに叩き潰されたやつを見てトゥバンが叫んだ。
「洞窟蜘蛛だ。蜘蛛を知らないのか?」
「こんな気色悪いもの、知らないほうが良かったよ!」
そう言ってトゥバンは矢を放つ。リバンザはにやりと笑った。
「まだまだ来るぞ……次は右四左二前七後ろ一だ。」
トゥバンとガンザンは悲鳴をあげ、顔をひきつらせながら的確に洞窟蜘蛛を射抜いていき、ベマがそれを見てニヤニヤしながら後ろ手に蜘蛛をザクザク切り刻む。ワンロンと青髭は前から飛びかかってくる蜘蛛どもを片端から叩き潰していく。そうして、一行は背後に無惨な蜘蛛の死体を積み上げながら奥へと進んでいった。
「まずいな。矢が無くなりそうだ。」
トゥバンが呟いた。腰の矢筒にはあと数本しか残っていない。
「こっちもそろそろ――うわあっ!」
ガンザンがひっくり返りかけるのを、とっさにベマが支えた。
「大丈夫かあ?」
隙を逃さずガンザンに飛びかかってきた大量の蜘蛛が一匹残らずみじん切りになる。
「う、うん。何か踏んづけて……。」
ガンザンは足の先に視線を送る。ぽっかり空いた暗闇の前に、見覚えのある細い棒が転がっていた。それを拾い上げ、ガンザンは目を見張る。
「僕の……矢?」
ガンザンは目を上げて暗闇を見つめた。暗闇のなかで何かがざわりと動く。リバンザがバッと顔をそっちに向けた。
「伏せろ!」
全員伏せる。轟音。廊下が揺れる。埃が舞う。ゲホゲホと咳き込みながらガンザンが顔を上げると、茶色の中から大きな鉤爪が飛び出してきた。避ける間もなく首に迫り、ガンザンに死を覚悟させる。と、茶色の中から銀色の棒が飛び出した。轟音。鉤爪が吹き飛ばされる。廊下を滑る音。それを追って六人が砂埃から飛び出すと、廊下に深い二本の溝が。その先では、体に不釣り合いなほど膨れ上がりねじ曲がった手足を持った「少年」が片目を真っ赤に光らせている。
――――――――――――!!
咆哮。かつ絶叫。「少年」はリバンザに構えろと言わせる暇もなく突進し、リバンザの首に向けて鉤爪を伸ばす。ワンロンが再び大刀を振った。ベマが凄まじい速度で短剣を振り回す。「少年」の体がぐにゃりと歪み、大刀をすり抜ける。ベマの短剣は粉々になった。矢が次々と「少年」の頭に襲い来るも、「少年」の背から腕が生えことごとくうち落とす。リバンザとの距離はもはや一間もない。もう間に合わないかと思われたその時、灰色の閃光が「少年」を弾き飛ばした。怒りの絶叫と威嚇の吠え声が響きあう。
「ラフィ……よくやった。」
リバンザが口を釣り上げた。その手が素早く動き、空中に銀色の網が現れる。
「はっ!」
リバンザが開いた両手を素早くつき出す。網が蛇のようにのたくって「少年」に覆い被さった。ラフィが間一髪で網を避ける。「少年」は怒りの声をあげて暴れまくるが、暴れれば暴れるほど網がその体を締め付けていく。ワンロンが額をぬぐった。
「いやあ、危機一髪でしたな。」
ベマが柄だけになった短剣を悲しそうに眺めて首を振った。
「俺にとっては危機一髪でもなあんでも無いや……」
ベマが短剣の柄をそっと床に置いた。と、「少年」が突然暴れるのをやめ光る片目をリバンザに向けたかと思うと信じられない速度でリバンザに飛びかかった。リバンザの口からひっ、と声が漏れる。
「危ない!」
ワンロンの叫び声。
ドンッ
リバンザがおそるおそる目を開けると、「少年」が足元に倒れ伏していた。赤く光っていた片目に矢が生えている。
「良かった……。」
トゥバンの声。リバンザはそっちに振り向くと、ぱっと顔を伏せた。
「どうした?」
トゥバンが問う。
「なんでも……ない。ありがとう。」
リバンザは足早にトゥバンとガンザンの間をすり抜けた。足を止めて顔を上げる。
「……階段下の化け物が目を覚ましても困る。早く帰ろう。ワンロン、それを連れてきてくれ。」
リバンザはスタスタと廊下を歩き出した。トゥバンとガンザンは顔を見合わせて首を傾げるとリバンザのあとを追った。青髭がほっとした顔をして歩き出す。
「リバンザはどうしちゃったんだあ?」
ベマがのんびりと呟く。ワンロンは一人微笑んで銀色の網に手をかけた。
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