第14話 廊下
トゥバンが「憩いの家ども」に戻ると、広間の円卓でガンザンがチーズを頬張っていた。
「おはよう。」
トゥバンはガンザンの正面に座る。ガンザンはごくりとチーズを飲み込み、ぺろりと口の周りを舐めた。
「おはよ。どこ行ってた?」
「ちょっとな。」
トゥバンは弓を掲げて見せた。ガンザンは納得したようにうなずいた。
「馬達は元気だった?」
「元気だったよ。久しぶりに草地を走れて嬉しそうだった。」
「ふうん……。」
ガンザンはチーズの最後のひとかけらを口に放り込むと、椅子を引いて立ち上がった。
「僕も行ってこようかな。」
「良いんじゃないか?あ、チーズってまだあるか?」
ガンザンは首を振る。
「持ってきたのはさっきので最後。けど、食堂に行けば何でもあるよ。食堂は――」
ガンザンはトゥバンの後ろの廊下を指す。
「あっち行って左側二番目の扉。」
「分かった。ありがとう。」
ガンザンは手を振って部屋の方に消えていった。トゥバンも立ち上がり、背後の廊下に向かう。食堂の扉はすぐ分かった。白い扉に、料理や食材の絵が所狭しと描かれている。かわいそうに下地の白は、絵と絵の隙間からかろうじてのぞいているだけだ。トゥバンは緑の棒のような野菜が描かれた取っ手を掴み、扉を開いた。
大きな横長の部屋の中には巨大な長机が並び、その上を光の玉がふよふよと飛んでいる。トゥバンは部屋の奥に巨大な棚があるのを見つけた。長机を回り込み、棚に近づく。肉だの野菜だのキノコだのが並んでいる中に、大きなチーズがどんと腰を据えていた。トゥバンは唇を緩めて小刀を取り出し、チーズを大きく切り取ると、近くにあった干し肉をかっさらい、長机に座ってがつがつと食べ始めた。
トゥバンが広間に戻ってくると、ちょうどガンザンが扉から入ってきた。
「どうだった?」
トゥバンが聞くと、ガンザンは笑みを浮かべた。
「うん、楽しかったよ。馬も元気そうで――――」
ガンザンがいきなりバッと左を向いた。その顔からは笑顔が消えている。
「どうした?何か――」
「静かに。」
トゥバンは黙った。ガンザンは鋭い目つきで廊下の奥を睨んでいる。おもむろに矢筒から三本矢を抜き出し、矢をつがえ、弓を下ろした。
「何か――いや、誰かいた。」
トゥバンは心配そうな顔をして廊下を見やる。
「俺たち以外に誰かいても不思議じゃないだろ。そんなに警戒しなくても……」
ガンザンは微動だにせず廊下を睨み続けている。
確かに殺気が……
ガンザンは声もなく呟いた。ゆっくりと一歩踏み出す。音は無い。ガンザンはもう一歩踏み出した。何も起きない。ガンザンはゆっくりと慎重に歩き始めた。トゥバンは首を捻って後を追う。
ザリリ……
石の床が微かに軋む。二人は廊下に入り、茶色い普通の扉を通り過ぎた。ガンザンがピタリと足を止めた。その目は斜め前、四つほど先の赤い扉に向いている。ガンザンは素早く弓を上げ、ドアに向かって引き絞った。わずかに口が動く。
あ・け・て
トゥバンは全く訳が分からないといった様子で扉に近づくと、取っ手を取って扉を引いた。
ガタンッ
ドアが開かない。トゥバンの額を一筋の汗が伝った。思わずガンザンの顔を見る。
お・せ
ガンザンの口が動いた。トゥバンは頷いて思いっきり扉にぶつかろうとしたその時、
バァアン
凄まじい音とともに扉が弾け飛んだ。トゥバンは扉ごと壁に叩きつけられる。その一瞬の狭間に、人のようなモノが廊下の奥へと駆け出そうとするのをガンザンは見た。次の瞬間には、三本の矢が一本残らず人のようなモノに突き刺さっていた。ソレはギャッと少年のような声で悲鳴を上げ、廊下の奥へ飛び込んだ。ガンザンは素早く矢をつがえ、ソレを狙う。が、ちょうどその時割れた扉とぺしゃんこになったトゥバンが廊下に倒れてきた。ガタンドサリと音が響く。ガンザンは眉間にしわを寄せると、ガンザンを跳び越えて逃げるモノを追いかけた。
一瞬視界がさえぎられただけなのに、もう随分距離をあけられている。ガンザンは上着を脱ぎ捨て、全速力で廊下を駆け抜ける。後ろからトゥバンの声が聞こえるが気にしない。矢継ぎ早に逃げるモノに矢を放ち、獲物に当たらずに床に転がっている矢を拾い上げてまた放つ。どうも逃げるモノの後ろ姿に見覚えがあるような気がして、ガンザンは首を捻った。と、逃げるモノの姿が消えた。ガンザンは速度を緩める。走りから小走りへそして早足へ。ガンザンは最後に数歩歩いて立ち止まった。足元にぽっかり空いた暗い空間を眺める。空間は灰色の螺旋階段に埋められて、一段ごとに灰色から黒へと色を濃くしている。
「これが階段……か。」
壁際で儚げに燃えるろうそくがジジジ……と音を立てた。ガンザンは廊下を振り返ってみる。かなり遠くに来てしまったようだ。華やかに壁を飾っていた扉たちもこの辺りには見当たらない。遠くの廊下が随分明るく見えた。またジジジ……とろうそくが音を立てる。ガンザンはなんとなく背筋に寒気を感じた。階段に目線を戻す。階下に繋がっているであろう暗くよどんだ空気の中から、何モノかが見つめてきているような気がした。ガンザンはぶるりと震えると、階段から目を背けた。矢をつがえ、一歩広間の方へと踏み出した。何も起きない。また一歩。何もない。ガンザンはほっとして足早に二、三歩進むその瞬間、強烈な悪寒が背筋を襲った。
殺気だ。
そう認識するよりも早く、ガンザンは体の導くままに体を回転させ、わずかに地面を蹴って飛び退いた。背中に何かがかすったような感触。ガンザンは弓を引き絞り、襲撃者に反撃しようと目を上げる。
「え……?」
ガンザンの目が丸く見開かれる。口がポカンと開く。だがガンザンの腕は主の様子に関係なく、機械的に矢を放った。矢はまっすぐ飛んでいき、あやまたず目標の目を――――昨日出会った少年の目を貫いた。少年の顔がどろりと歪む。
――――――――――!!!
声にならない絶叫が廊下に響き渡った。「少年」は、歪に膨れ上がり鉤爪を成した両手で顔を押さえ、悶えながら階段の暗闇に消えていく。ガンザンの腕から力が抜け、カランと弓矢が転がった。ガンザンは呆けた顔で「少年」が消えていった暗闇を見つめている。
「どういう……こと……。」
ガンザンはかすかに呟いた。背後から、場違いに能天気な呼び声が響いてきた。それと一緒に足音も近づいてきて、ガンザンの後ろでザクリと止まる。
「ガンザン、何かあったのか?」
ガンザンはゆっくりと振り向いて、トゥバンの怪訝そうな顔を見つめた。
「あの子だ……名前も知らない……昨日会った少年……」
「え?」
トゥバンがきょとんとした顔をする。
「何で……今まで忘れてた?」
ガンザンが下を向いて呟く。顔に生気が戻り、きりりと眉が引き締まった。ガンザンはがばりと立ち上がり、トゥバンの顔をキッと見つめた。
「一大事かもしれない。ワンロンに――――リバンザに伝えなきゃ。」
トゥバンは気圧された様子で訳も分からずうなずいた。
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