第12話 首領
「さあお茶にしよう。かけてくれ。」
リバンザはそう言って椅子を引く。
「では失礼。」
ワンロンが目の前の椅子に座ろうとすると、
「待て」
リバンザが黙って壁際の巨大な椅子を指差す。ワンロンはおとなしく巨大な椅子を引きずってきてそれに座った。
「どうした?座らないのか。」
リバンザが唖然としているトゥバンとガンザンに楽しそうに声をかける。二人はぽかんと口を開けたままゆっくり椅子を引いて座った。リバンザは微笑んで椅子の後ろに体を捻る。彼女が体を戻すと、手に鮭の乗った皿を持っていた。
「小さな客人、君の分だ。」
そう言って皿を円卓の下に滑らせる。子狼は自分の目の前でピタリと止まった鮭を
「何にそんなに驚いている?そんなに口を開けていると魂がでていくぞ。」
トゥバンとガンザンは言われるがままに口を閉じた。ガンザンがまた口を開く。
「ワンロンは『彼』って……」
「失礼な。私は男だ。」
変な沈黙が流れる。
「……そんな顔をするな。冗談だ冗談。男ということにしているだけだ。私が女だと知れると色々と不都合が起きる。知っているのはごく一部だ。」
「不都合?」
「……玉座にふんぞり返っている詐欺師が十万人ほど動員するかもしれない。」
トゥバンは目を見開いてガンザンと顔を見合わせた。
「いったい何で……」
リバンザはおもむろに自分の青白い瞳を指差した。
「これは『千里眼』」
次に耳の辺りに手をやる。
「こっちは『
トゥバンとガンザンは首をかしげた。リバンザは笑みを浮かべる。
「簡単に言うと、奴にとって不都合なことを一から十まで知っているということだ。例えば7年前の例の事件……とかな。」
二人は納得した顔で頷いた。リバンザはマグを口に運ぶ。
「うん、良い出来だ。遠慮しないで飲んでくれ。」
トゥバンとガンザンはマグを口に運んだ。爽やかな香しい香りと、なんとも言えない酸味と苦味が二人を襲う。二人はそそくさとマグを置いた。リバンザがワンロンに目を向ける。
「ワンロンは飲まないのか?」
ワンロンは曖昧な笑みを浮かべて首を振った。リバンザは特に気にする様子もなくトゥバンとガンザンに向き直る。
「さて、本題に入ろう。」
「本題?」
トゥバンが首をかしげる。リバンザは軽く眉を上げた。
「君達を呼び寄せた理由、そして君たちがどれだけの価値を持っているか、だ。……ワンロン、人球儀を。」
ワンロンは腰の巾着から人球儀を出してリバンザに渡した。リバンザは椅子の後ろに手を回して、曲がった棒が生えている小さな円盤を取り出した。棒の先は先がくるりと曲がっている。それに人球儀の天辺にある金具をひっかけると、リバンザは燭台をのけて円卓の中央に慎重に台を置いた。人球儀がゆっくりと回り出す。リバンザが目を閉じて人球儀に手をかざすと、人球儀がピタリと止まった。
「
人球儀の一部がキラキラと輝き始めた。リバンザが目を開けて手を下ろす。人球儀は再びゆっくりと回り始めた。五つの粒が色とりどりの光を放っている。
「今は遠征で人が出払っているから分かりやすいだろう。光っている粒が私達だ。粒の色は加護を与えている星を表している。」
五つの粒はそれぞれ赤、紫、緑、青、橙色をしている。
「赤が天武星、紫が天魔星、緑が天狼星、青が天竜星、橙が天将星だ。光の強さが強ければ強いほど加護が強い。」
ガンザンが興味津々に星を眺める。
「じゃあ僕達は相当強い加護を受けてるんだね。」
「相当では足りない。英雄になれるくらいの加護だ。」
「え?」
リバンザが目を閉じて再び人球儀に手をかざす。
「
人球儀から光が消えた。リバンザは目を開けてまっすぐにトゥバンとガンザンを見つめる。
「私達の加護の強さは尋常では無い。一人一人が、負け戦を勝ち戦に変えられるほどの可能性を秘めている。」
二人は顔を見合わせた。ガンザンが丸まっている子狼に目をやる。
「この子も?」
リバンザはうなずいた。
「当然だ。」
「お前、そんなに凄いやつだったんだな……」
ガンザンがしみじみと語りかけると、子狼は当たり前だとばかりに尻尾をバタバタさせた。トゥバンは、
「そのうえ、トゥバン・トンクル、君は『皇帝の遺児』だ。本来なら政治的価値を全く持たない存在だが、血統第一主義の詐欺師にとっては大きな脅威になり得る。もし君たちが白仙軍に加わってくれるなら、ウォー・リャンを倒し、帝国の秩序を取り戻せる可能性がぐっと高まるだろう。」
リバンザは茶を飲み干してマグをカツンと円卓に置く。
「君たちの力を、白仙軍に貸してくれないか。」
「もちろん」
ガンザンが首を大きく縦に振った。
「ありがとう。……君は?」
トゥバンはリバンザの満足げな顔を軽く睨んだ。
「……なんで長々と俺たちが知らなくても良いことを話したんだ。俺たちに帰るところは無い。選択の余地なんてないだろ。」
「私たちだけが事情を知っているのは不公平だと思っただけだ。」
トゥバンはいっそう鋭くリバンザを睨む。
「ずるい人だな。余計断りづらくなった。もともと断る気はないが。」
「よく分かってるじゃないか。」
リバンザの口角がつり上がった。一瞬トゥバンと目線が交錯する。リバンザは、ふ……と表情を和らげた。
「ワンロン、外に案内人を呼んでおいた。彼らをそこまで連れていってくれないか。」
「承知。」
ワンロンが立ち上がる。椅子がギイィと音を立てた。
「さ、行きましょう。」
トゥバンとガンザンはワンロンに促されて部屋から出ていった。丸くなっていた子狼が片目を開け、起き上がってついていく。ワンロンは出ていきざまに心配そうな顔で振り返る。リバンザは満面の笑みを浮かべた。口が音をたてずに素早く動く。ワンロンは微かに頷くと部屋から出ていった。足音が遠のいていき、扉が開く音がして、最後にパタンと小さな音が響いた。
リバンザの家がしん……と静まり返る。
突然、ガタン、と音が響いた。マグが倒れて茶が床に滴り、人球儀がカタカタと揺れる。白い汗だらけの手が支柱を掴んで人球儀を支えた。荒い息が空気を揺らす。リバンザが円卓に片肘を突き頭を押さえ、きつく目を閉じていた。玉のような汗が次から次へと顔を伝っている。リバンザの手が支柱から離れ、円卓の上に力無く落ちる。リバンザは小さくうめいて円卓に突っ伏した。
再び家に静寂が訪れる。
リバンザの背後の窓に水滴がつき始めた頃、リバンザがゆっくりと体を起こした。閉じていた目をパチリと開ける。明るい茶色の目だ。リバンザはぼーっとした顔で虚空を見つめている。次第に目の色が青白く染まっていき、少し渦を巻いたようになった。リバンザが突然顔を引き締めて窓の方に振り向いた。椅子から立ち上がり、窓に手をついて下を見る。眼下に広がっている町は闇に呑まれて全く見えない。
「……面倒なものが入り込んだな。」
リバンザは見えないはずの町の一点を見つめて呟いた。
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