第11話 白峰

 トゥバンがワンロンに支えられてふらふらと立ち上がると、


「うああああ!」


 悲鳴と共に緑色の物体が坂を転がり落ちてきた。トゥバンはふらふらとそちらへ向かうと、ドスンとその物体を受け止めた。


「あ、ありがとう。」


 ガンザンが首を捻ってトゥバンに礼を言う。トゥバンは力無く頷いた。と、


「やれやれ、騒がしいご登場ですなあ。」


 声が降ってきた。トゥバンが見上げると、金の板金鎧を着けた若者が、銀の板金鎧を着けた若者と共にゆっくりと坂道を下ってきている。両者とも西方系のそっくりな顔立ちをしていた。


「ちょっと!そんな言うことないじゃないか。」


 銀の方が金を睨み付けた。声までそっくりだ。トゥバンは黙ってガンザンを引き起こす。金銀二人は坂を下りきった。


「鳥は?」


 トゥバンが聞くと、金の方は眉をつり上げて黙って空を指差す。そっちを見ると、大量の鳥が好き勝手に飛び交っていた。人を襲うような気配は無い。


「あの『門』は大抵の呪法を無効化するんです。」


 銀色の方が言う。トゥバンは目線を戻した。


「そうなのか……そりゃすごい。」


「そりゃすごい?タァーッハッハッハ!お笑いだ!」


「ちょっと!」


 金の方が大笑いするのを銀の方が睨み付けた。トゥバンはガンザンがふらふらとあらぬ方向に行こうとするのを捕まえながら戸惑った顔をした。


「いったい何がおかしいんだ?」


 金色はまだ笑っている。



「アッハッハッハ……『何がおかしいんだ』だって?タァーッハッハッハ!……確かにいったい何がおかしいんだ?」


 金色は急に真顔になった。


「何で俺は笑ってたんだ?何で……」


 金色とトゥバンの目が合った。銀が大きくため息を吐く。奇妙な沈黙が流れた。


「またやってしまったぁあ!」


 金は突然叫ぶと地面にうずくまり頭を抱えてなにやらぶつぶつと呟き始めた。


「ああ畜生またやっちまった何回繰り返せば気が済むんだこのばか野郎俺は何てバカなんだちくしょうちくしょうアアちくしょう……」


 トゥバンは何が起こったのやら訳が分からず、助けを求めて銀色を見た。銀色はため息を吐く。


「本当にすいません。うちの兄は少々人付き合いが苦手で、初対面の人にはついつい高圧的になってしまうというか……。」



 銀色は横目でちらりと金色を見ると、笑みを浮かべてトゥバンに手を差し出した。


「申し遅れました。アリイファ・ユグラスです。ユグラスが姓でアリイファが名。金色のぶつぶつ言ってる方はファイリア・ユグラス。双子の兄です。」


 トゥバンもぎこちなく手を差し出した。


「トゥバン・トンクル。トンクルが姓でトゥバンが名前だ。」


 アリイファはちょっと眉をあげるとにっこり笑ってトゥバンの手を握り締め、ブンブンと力強く振った。


「これからどうぞよろしく。――そちらは?」


 回転の余波でまだ少しボーッとしていたガンザンがびくりと震えた。ガンザンは慌てて名乗る。


「ガンザン・トンクルです。」


 アリイファはこれまたガンザンの手をとってブンブンと振る。


「いやあ、お会いできて光栄です。トンクルといえば伝説の『灰狼の民』じゃないですか。まさか生きてるうちに会えるとは――しかも二人も!いやあ本当に光栄です。光栄でしか――」


 風車のようにクルクル回っていたアリイファの口がピタリと止まった。ガンザンが手を固定されたまま怪訝な顔をしてアリイファの顔をうかがう。アリイファの瞳に、誰かが近づいてくるのが写っていた。アリイファの額を汗が伝った。いつの間にかファイリアの呟きも止まっている。


「ファイリア、アリイファ、お前達はこんなところで何をしている?」


 冷たく、鋭く、芯の通った声が響いた。アリイファがバッとガンザンの手を振り放し、姿勢を正した。トゥバンとガンザンは声の方に振り向いた。真っ白なマントを着た背の高い人間が、町の入り口に立っている。顔はフードに隠れて分からない。


「私は何をしている、と言ったのだが?」


 再び声が響いた。アリイファがびくりと震える。ファイリアはガチャガチャ音を立てて立ち上がった。


「我々は、客人を迎えておりました。」


 ファイリアが声を張る。トゥバンとガンザンはぞわりと冷たい何かが自分の中を通りすぎるのを感じた。白いマントの人間が口を開く。


「お前達が本来やるべきことは?」


「『内門』の警備です。」


 今度はアリイファが答えた。


「なぜそれをほっぽってここまで降りてきた?」


「テピ・エンとマル・ウーを『外門』まで送り届けるためです。」


 ファイリアが答える。草地に倒れてヒーヒーいっている二人の禿げがふよふよと手を振った。


「……なればそれをこなせ。いつ敵が来るかも分からぬ。客人のために時間を潰せるほど門衛の仕事は軽くない。」


「「はっ!」」


 ユグラス兄弟は大急ぎで禿げ達に駆け寄ると、それぞれ禿げを背負いあげて、脱兎のごとく坂を駆け上がっていった。白いマントの人間はゆるりとそれを見送る。そして馬のそばに座って居眠りしているワンロンの方を向いた。


「久しぶりだな、ワンロン。」


 ワンロンはうっすら目を開けて微笑んだ。白マントは続いて子狼の方を向き、次にトゥバンとガンザンの方を向いた。二人は、また冷たい何かが体を通り抜けるのを感じた。


「……歓迎しよう。ついてきてくれ。」


 そう言って白マントは二人に背を向けた。ワンロンがよっこらしょと立ち上がり、白マントについていく。二人は深呼吸をすると、ワンロンの後を小走りに追った。子狼もそれに続いた。




 町の中には人っ子一人見当たらなかった。どの建物も扉や窓を締め切っている。


(ナルヤとはずいぶん様子が違うね。)


 ガンザンがトゥバンに囁いた。


「あんな掃き溜めとは比べないでくれないか。」


 ガンザンはびくりと震えて白マントの背中を見た。白マントの隣のワンロンがなだめる。


「まあまあ。ナルヤは彼らにとって初めての町ですから……。比べるのも仕方ないでしょう。」


 ガンザンは目をぐるりと回してまたトゥバンに囁いた。


(心臓が止まるかと思った……。)


「そのくらいでは止まらん。」


 ガンザンが大きく口を開けて白マントの背中を見た。若干過呼吸ぎみになっている。


「客人で遊ぶとは……まったくけしからん人ですな。」


 ワンロンは笑って言った。トゥバンは


 フフっ


 と微かに笑い声が聞こえたような気がした。一行は町の大通りを通って真っ直ぐ白い峰に向かっていった。トゥバンは、いったいどこに向かっているのかと背伸びして道の先を見てみるが、道の先は白い峰が塞いでいて行き止まりになっている。白マントが止まる気配はない。どんどんどんどん白い壁が近づいてくる。ついにあと数歩で白い壁にぶつかるというところで、トゥバンは我慢できずに声をあげた。


「あ、あの――」


 その瞬間、白マントがピタリと立ち止まった。トゥバンは拍子抜けして言葉を失う。白マントは、下から上へゆっくりと白い壁に右手を滑らせた。さらに左手を軽く上げ、右から左に壁を滑らせる。そして両手を下ろし、左手と右手の線の交点に顔を近づけると、


 フウゥ……


 と息を吹きかけた。その瞬間真っ白い壁が七色に輝き、息を吹きかけた点から膜が剥がれるように白い壁が消えていった。かわりに表れたのは焦げ茶色の板。板は瞬く間にその面積を増していく。


 数秒後、トゥバンは呆気にとられて後退りした。つい数秒前までただの真っ白な壁だったところに、屋形付きの巨大な門が姿を表していた。子狼が慌てたようにキャンキャン吠える。


「何が……どうなって……」


 ガンザンがかすれた声で言う。ワンロンは微笑みながら二人の様子を眺めている。と、


 ギイィ……


 重厚な音を立てて、門扉がわずかに開く。白マントはさっさと門扉の隙間に入っていった。


「ほら、行きますぞ。」


 トゥバンとガンザンは、ワンロンに促されて我に帰った。あちこちを見上げながらゆっくりと門を潜る。子狼も恐る恐るついていく。


門の中は巨大な吹き抜けになっていた。あっちこっちに謎の明るい光の球が漂っている。それでも、トゥバンがいくら背伸びして目を凝らしても天井が見えない。それでもトゥバンが必死に目を凝らしていると、子狼に早く来いとばかりに吠えられた。トゥバンは慌ててキョロキョロ辺りを見回す。壁際の階段でガンザンが手招きしていた。トゥバンが階段に駆け寄ると、子狼が一声吠え、一足先に階段を駆け上っていった。人間達も後を追って階段を上り出す。


ズウゥ……ン


背後で扉が閉まる音がした。


幾多の踊り場、幾多の階を通り過ぎ、途方もなく長い階段を上り続けること一千段。広めの踊り場で、白マントはようやく足を止めた。踊り場の左にある木製の扉を引き開ける。


「今、冷たい茶を用意しよう。」


 白マントはそう言って部屋に入っていった。パタンと音を立てて扉が閉まる。


ドサリ


トゥバンとガンザンは踊り場に寝転がってゼイゼイいいだした。それに対してワンロンと子狼は涼しい顔だ。


「いい運動になりましたな。」


 ワンロンが額にうっすら浮いた汗を拭って言った。


「ゼェ……ハァ……ハァ……正気か?」


 トゥバンの問いに、ワンロンは笑顔で頷いた。


「ハァ……フゥ……人間じゃ……ハァ……ない……」


 ガンザンが呻く。そりゃそうだとばかりに子狼がワンと吠えた。しばらく荒い息の音だけが踊り場を埋めた。


 カチャリ


 踊り場の全員がそっちを向いた。僅かに開かれた扉から白い手がのぞき、三人と一匹に手招きしている。


 パタン


 再び扉が閉まった。ワンロンが先頭に立って扉の取っ手を引いた。蝋燭に照らされた明るい廊下が現れる。


「入るぞ。」


 ワンロンは一声呼び掛けてドアを潜った。ちょっと身を屈めて廊下をまっすぐ進む。突き当たりの扉を右に曲がると、三人と一匹は居間らしき部屋に出た。部屋の左右の壁は本棚で埋め尽くされていて、部屋の中央に大きな燭台と、四人分のマグが乗った大きな円卓が腰を据えている。その向こうに、白マントが背後の窓から射す夕日の残滓に照らされて立っていた。トゥバンとガンザンがごくりと唾を飲む。白マントが勢いよく首を振ってフードを払いのけた。


後ろにまとめた黒い長い髪の毛が蛇のようにうねる。卵形の顔、きめ細やかな肌、軽く閉じられた切れ長の目、筋の通った鼻、きりりと結ばれた口。彼女は微かな笑みを浮かべると目を開けた。青白い、少し渦を巻いたような瞳が三人を見つめる。


「リバンザ・ゴルテだ。我が家へようこそ。」

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